あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

今年の毒は今年のうちに

2020年も、私らしく色んな事があった。

18年チームとして組んでいた主治医を離れたり、心の故郷を作ってくれたコミュニティを離れたり。様々な自分なりに決断した別れもあるし、逆に色々と新たなスタートを切った事も多々あるし、新たなスタートを切った事による新たな繋がり、新たな活動、新たな人脈も増えた。

 

そして、私の内面的な部分で新しい人脈から興味深い話を聞くことができたり。

様々なこれまでも興味のあった方面から新しい刺激をもらえたり。

 

沢山の事柄を吸収できた一年でもあり、そして私から周りへ様々な事柄をアウトプットできた一年でもあったと思う。

 

一番興味深かったのは、ここ最近ずっとテーマにあった周りの人達から言われる私の

「母性」と「包容力」と「人をダメにしてしまう」能力だ(能力と言って良いのか?は不明だけど)

の、謎が解けたのが凄く良かった。

 

前回の記事にも書いた通り、私は幼い頃から親からのレスポンスが一切ない状態で育ったので、そもそも「相手から何かしらのレスポンスを貰える事が奇跡」位に価値観がぶっ壊れていて、だからこそ、誰かに何かをしても見返りを貰えるとはなから思わずに「したい事をしたい相手にしているだけ」という私の行動が相手からすると「母が子に送る無償の愛」そのものらしいという事には気づけたものの。

昔からメンタル病み気味の男女問わず友達に

「貴方の母性は甘えたい人間からすると、例え人混みの中に貴方が居ても、真夜中の田舎にポツンとあるコンビニくらいに光り輝いて見える」という言葉だ。

 

普通に歩いてて「光り輝いて見える!?!?」

なんじゃそりゃ?である。

これには、長年チームを組んでいる心理士さんも、主治医も頭を抱えていて、どうにも理解不能だったのだが、この間やっと分かった。

 

全く別のベクトルで仕事先で出逢った人が

一眼私を見るなり「あ!!!君は!君は!ダメだっ!!」と、突然顔を真っ赤にしてまるで初々しい中学生男子が本気で好きな片想いしている女子に取る様な態度になった。。

 

一瞬「え、この人大丈夫??」って思ったけど笑

私はいつも通り接客を続けてると。

その人はこう言った。

「君は『甘えたい願望』の強い人間の『甘えられる人』の思想全部が詰まった様な外観をしている」

「その君が甘やかしてくれたら一般の人間は、すぐにダメになる」

「逆にIQの高い人間は君を怖がるだろう」

と、教えてくれた。

 

どうやらその人は脳神経学と、心理学の研究をしていた人らしい。

確かに心理学の専門用語やら哲学的な用語が会話の中に山ほど出てきた。

し、心当たりのあることばかりだった。

 

長年チームを組んでいた主治医と心理士さんは

私に対して「甘える対象」としての視点から見る事は無かったので、当たり前だけど、私のその甘えられる母性が外側に滲み出てる事も、光り輝いている事も認識出来ないわけだ。

だって、彼らにとって私はチームの一員で絶対に甘える対象にはならないから。

そして、最初から最後まで「甘えられる人」ではお互いにないから。

 

そして、過去に付き合ったパートナーや、友人達は余程本人の意思が堅い人でないかぎり、スピード感は、それぞれ違うけれど、どんなに気をつけていても、結果的に私は彼らの「ダメ」な部分を引きだしてしまっていた。

それはきっと彼らに「無償の愛」を降り注いでしまったから。

 

健康な人間関係は、ギブ&テイクお互いに、得るものがある関係が健康的な人間関係なのに、私だけそれをどがえししてしまっている、愛の大きさと熱量が周りと違って飛び抜けておかしい。

そりゃー、愛され慣れてない人でもどんどん麻痺してしまって、壊れてしまう。

 

そして、逆を言えば「常に誰かに愛されたい」「誰かに必要とされたい」という人達からすると、その過去の友達が言ってくれた様に、夜中のコンビニみたいに光り輝いて見えてしまうのだろう(それは、どこをどう直したらいいのか?なんて分からないし私はいつも私だ)

という事がやっと理解できた。

 

で、一番人に自分の心理を読まれない様にするにはどうするか知ってる?と聞かれて「知らない」と答えると。

「いつも、自分に素直でいる事」「表も裏も作らない事」だそうで、それは、ハッキリ言って今現在の私そのものやないかい!と笑ってしまった。

 

最早、守るものも、守られるものも無い私の状態で嘘をつく意味もなく、表面を繕う意味も勿論ない。

私の経験した事で役に立つ事柄があるならいくらでもどうぞ、お役立て下さい。

 

私が死んだ後に私の持っている物で欲しいものがあるなら、どうぞ、好きなだけ持っていってください。

 

な、人間に表も裏もない。

むしろ、人に好かれようと気遣う事をしなくなった私はきっと今までの人生の中で一番自分らしく、そして、一切嘘偽りのない私だ。

 

そのお客様は言った。

「君は多分過去に物凄く悲しい思いをした上で今のその笑顔が作れているだろう?」

「そういう人はね、過去を克服した。のではないんだよ?」「そういう人はね、最早一般の人を超越した心理と考え方うーんと、分かりやすく言うと魂のレベルが超越しちゃってるんだ」

と言われた。

嘘とも誠とも言えないそのお客様の言葉に私はとても報われる思いを感じた。

 

だからこそ、『甘えたい願望』の強い人は、君の外観を見ただけで「この人は甘えさせてくれる人だ!」って本能的に分かってしまうだろうし。

逆にIQの高い『甘えたい願望』の強い人はきっと最初君を怖がる。

 

そして、君は人見知りをしないだろう?

余程「この人はヤバいなー」と思う人以外

例えば「ヤ○ザ屋」さんみたいな人でも、もんもん背負ってる人を見てもなんとも思わないだろ?とそのお客様は言い当てた。

まだ、お会いして5分も経っていないのに。。

そう、私は生まれてこの方一度も人見知りをした時期がない。

赤ちゃんの頃もだ。

ただの一度もない。

強面の人だとしてもその人の瞳の表情と、その人自身から紡ぎ出される言葉を例え文字だけのやりとりであっても、その人の脳味噌が駆け巡って、出したその言葉を聞かない限りは、その人に対して「こういう人なんだろうなあ」という勝手なイメージ付けはしない。

そして、その人の言葉を聞いてからその人との今後の関係性を繋げていくのか、切り離していくのか?もしくは、表面上だけにとどまるのか?深いところまで付き合うのか?

が、切り替わっていく。

 

そして、このふにゃふにゃの見た目とぼんやりした話し方で、まあ、まず、人様に怖がられる事はない。

舐められる事はあるし、ぶりっ子に間違えられて一言も喋ったことのない女子に謎に全力で嫌われたりする事はあるけど、殆どの人にまず初対面で私を怖がる人はまー、いない。

ここ最近、たった一人だけ。

「おや、珍しく私を物凄い勢いで警戒しているな」って人は約1名居る。

実際に会って普通にお話ししているだけなのに、ここまで警戒心剥き出しに接する人久しぶりに会ったなーって思ってたけど、そのお客様の話しで合点がいった。

きっとその人はIQがとてつもなく高い。

それは、このお客様に出会う前からずっと感じていた事なので。

(その人の頭の回転が物凄い速い人だという所に関して)

多分、そういう意味では、私はその人からすると得体の知れない、裏が読めない怖い相手なんだろうな。。と、やっと色々とこんがらがっていた紐が突如するすると、解けたかの様に、分かった一年でした。

 

家族関係については、相変わらず

父の癌治療について、あれやこれや、母から色んな闇を突きつけられて、だいぶ色んな自分の手当てには慣れていた私でもそれなりに手こずった一年でしたが、それでも生きる事の喜びを沢山知り、43年間生きてきた中で「もう、初体験なんてないだろな」と思っていた私が初体験の連続の一年で、本当に周りに感謝しかない一年だった。

 

自分なりにも割と充実していた一年の様に思う。

 

来年は一体どんな、自分の新たな一面が見られるのだろうか?

 

再来年45歳になる時は誰と一緒に年を越しているのか?

それこそ、私自身生きてるんだか、死んでるんだか?も分からないけれど笑

 

だからこそ、いつ死んでも良い様に「今」を思い切り楽しみたい!

と、思いつつ。

 

この投稿を2020年最後の投稿とする。

 

本当に気紛れなる更新ですが笑

来年2021年も、どうぞ宜しくお願い致します

m(_ _)m

 

 

 

 

人肌??

自分で、自分にイライラする。

例えば体質とか、それを自分である程度把握してるつもりだけど、作業に夢中になりすぎて、気づいたら周りに迷惑をかけてしまってたりとか。。心配をかけてしまったりだとか。

 

もう少し、ちゃんと考えて大人になれる様になりたいけど。(お前は一体幾つなんだよ。。既に大人なのに、頭悪過ぎだろ)

 

夢中でできる事があるのも嬉しくて。

楽しくて、自分の体温管理なんかそっちのけで

作業してたい時もあって、気づいたら頭ふらつく位体温下がってたり、上がってたりする。

爬虫類って大変だなって思った。

 

何にしても、自分がポンコツ過ぎて嫌になる事の方が多い。

 

今後も一生「帰る」事のできない親の住む家に通って介護して、見送ったら自分が死んだ後は行政に処理されるだけで、分かってても「今」がどんなに楽しくても、たまにフト「虚無感」に襲われる時があるけど。

 

それでも、10数年ぶりに「どうしてもこれがやりたい!!!これをやってみたい!、編み物みたいに、自分の体にこの技を身につけてみたい!!」って思える夢中になれる物が見つかったのはすごく嬉しくて。

 

親の介護しつつ、行政にお世話になりつつ、

お猫様の治療費の為に少しだけ仕事して。

 

好きな友人とたまに会ったり、電話したりして。

 

お休みの日は自分の家の事をして。

 

寂しい時はツイキャスで配信したりして、みんなに相手して貰って。

余りにもキャパオーバーしたら、

馴染みのカウンセラーさんにカウンセリングして貰って。

 

適度に運動して、料理してご飯食べて。

お猫様を愛でて。。

 

 

自分の性格や、体質に苛々する事も多いし

自分の外観を最近では何だか分からないけど褒めてもらえる事が多くて、嬉しい反面凄く困惑してる部分も多分にあって(私はこの外観で物凄く誤解される事が多いし、女の子にまぁ、嫌われて凄まじくイジメられたし、男の子にも「イメージと違った」っていっつも付き合った後に振られるし)

 

結果「外観に似合わないスゲー性格の悪い嫌な女」が私なんだろなww

って、自覚してても、それだけの為に自分の外観変えても意味ないし、自分では、可愛いとも綺麗とも思った事なくて、今の地域に越してきてから、沢山の人がリアルでも、ネット上でも褒めてくれる人多くて。

 

自分の声や喋り方にもコールセンターのオペレーターという仕事を長年していたのにも関わらず、酷いアニメ声で、喋り方も遅い(自分ではあまりよく分かってないけど、、、)自分の声もぜんぶ嫌いすぎたけど、それも、ここ最近は「こんな声でも役に立つ事があるんだ」とか「喜んでくれる人が居るんだ」とか。

ただ、嫌いになって、嫌だ嫌だと言ってても仕方ないから「逆にそれを逆手にとってどう生かすか??」にシフトチェンジしたら凄く嫌いではなくなってきたし。。

 

やっぱり、人脈って大切だなって凄く思うし。

今まで出会った人達のお陰で今の自分がいるから、今も繋がってくれてる人達も。

もう、会えなくなった人達も。

それぞれがそれぞれに別々の場所でそれぞれに生きて、過ごしてる中でたまたま出会えて、接点があったその時間のお陰で今やっと少しずつ

「大嫌いな自分」から「こんな自分も悪くない」と思える様になれただけでもめちゃくちゃラッキーに思える。

 

ホルモン周期的にもバランス崩しやすいこの時期に、ポンコツ過ぎる自分に毎回苛々してしまうけど、でも少しずつ自分を愛せる様になっていると思いたい。

 

ほんでもって、前のパートナーと別れて来年の春で約2年が経過する今日この頃。

やっとまた「あーーーー!恋愛したぁぁぁあい!」ってwww

男の人に甘えたーーーい!

くっつきたぁぁぁぁーーい!

って、自分の甘えん坊で寂しん坊でめんどくせー「女」の部分が出てきて戸惑いつつ。

そんな奇特な人はまー。。この世に存在しないよなぁwww

 

って一人で部屋で自分に自分でツッコミつつww

 

今日もお猫様を愛でますかね。

 

冬ってやっぱり人肌恋しくなって甘えたくなる季節なのを噛み締めた12月でしたwww

 

 

母性の正体と進化

 

ここ、5年くらい前からやたらと言われる様になった「母性」と「包容力」の正体が最近やっと分かってきた。

 

ハッキリ言ってしまえば、私は自分に母性があるとも、包容力があるとも一切思った事がない。

勿論、私だって人間なので自分が好きな人(恋愛・友情問わず)に対して「気に入られたい」という思いから、相手の要望を聞きやすい性格は昔からあったものの、多分周りの人達が言っている「母性」だとか「包容力」なんて物は皆が私の外観から想像で創り出した幻想に過ぎないと思っていた。

 

が、最近「そうか、これを母性と呼ぶのか」

と、周りの人達の言っていた意味が少し理解できる様になった。

 

私の親はど天然でサイコパスなので、私は幼い頃から親に何をしても親から「レスポンス」が返ってくる事が無かったのだ。

両親共に恐らく別々の形の無意識なネグレクトのまま大人になって、結婚して子供を作ってみたものの、父親は本気で「お母さんが欲しいっていうから仕方なく作った、お前達は俺の財産を減らしてしまう負債でしかない」って真顔で私が病み散らかしてる28歳くらいの時に言うし、母親は「貴方、私の好きなタイプの女の子じゃなかったからお母さんどうして良いか分からなかったのよねぇ。妹は気があったから楽しかっけど」と微笑みながら本人は1ミリも悪意なく思い出話的に私が39歳の時に言う人なので、多分幼少期の私は私の目の前で一心に親の愛を注がれる妹を見ながら、私はいつ親に気づいて貰えるんだろうか?と日々淡い期待を無意識に持ちつつ、親に振り向いて貰おうと独りで戦っていた様なのだ。

だから「何かをしたらレスポンスが貰える」事が私の中では「物凄く特別な事」で「何も返ってこないのが当たり前」の世界で親の不在時には高校生だった私が家事炊事・お金のやりくり(一定の額を親が家に置いていっていた)を妹と2人で住みつつ、高校に通いながら行っていたので、ついつい「世話焼きお母さん」みたいな振る舞いをしてしまう、分かりやすい「母性」が多分昔から勝手に備わってしまっていた。

そこいらへんが、大体2019年くらいまでの周りの人達が言ってた「母性」なんだと思う。

 

で、2020年になって、どうやら私の母性のカタチが変化して行っている。

それは、私もヒシヒシと感じていて。

「お世話を焼く人は自分が選んだ人のみ」

になったのと、レスポンスをちゃんとくれる人でない限りは世話を焼かない様にした。

そして、何より「世話を焼くカタチ」を先ずしない様にし、それよりも「今まで自分が経験してきた事で同じ様な経験で困ってる人にその事柄が少しでも軽くなる様な方法を伝える」

というカタチに変化してきた様なのだ。

 

と、偉そうな事をグダグダ言ってるけど

じゃあ、お前はそんなに色んな事たいそうな経験をしてきたのか?

って言われたらまぁそうでもなく笑

たまたま、過去の私と似た様な事で困ってる人が近くに居たから「こんな方法もあるよ?」って一応お伝えだけする程度なんだけどさ。

 

物理的に世話を焼くのはお猫様と、それに匹敵する位に愛せるヒトに対してのみに今後は

しようと思うし、ヒトに対してはちゃんとその分レスポンスしてくれるヒトに対してのみする様に心掛けて行動したいと思う(私のこの物理的なカタチの母性は本当に人をダメにしてしまう)

 

包容力については。。うーんと。。

これは今も未だによく分かってない。

太ってるからベイマックス的な??

とも思わなくもないけど、たしかに「包容力」も謎に昔から痩せてようが太ってようが、よく言われていたから、外見的な要素が大きいのではないか?と勝手に推測している。

 

好きなヒト・モノは、とことん重過ぎるほどに愛してしまうのは昔から変わらない性格だし。

嫌いな物は嫌い!で全くもって関わらない様にするし。。

そういう意味では、どちらかと言うと「母性」とも「包容力」とも真逆の「かなり冷酷で冷徹」な人間だと今でも自分では思っている。

 

来年には44歳になる私の「母性」とやらは今後どんな変化を遂げてくれるのかな?

人間として成長をしていけるのかな?

本来の「母性」という言葉の意味とは全く違うカタチのモノになってしまうかもしれないけれど。

 

それでも、その人の伸び代は諦めない限り作り出し続けられるのではないだろうか?

と、最近勝手に思っている。

 

それでもやっぱり人に言われると「母性かぁ」

「母性ねぇ?」と思ってしまうのよね笑

輪廻と断絶

私の体質は、笑ってしまう程に血縁者の悪い所全部が寄せ集まっている。

扁桃腺が父方の祖父の遺伝で一般的な人より倍以上の大きさがあり、故に喉が少しでも乾燥したりすると、すぐに悪化して高熱を出しやすい。

 

母方の祖父の遺伝で副鼻腔炎持ちな上に、鼻と耳を繋ぐ管が人より細いらしく、排出が上手くできにくいらしくて、風邪を拗らせると、耳の鼓膜の内側に水が溜まって老人の如く耳が聞こえにくくなる。

 

父方の親戚でも同じく婦人科系統の疾患を持っていた人が居たらしく、11歳で初潮を迎えてから起き上がれない程の生理痛に毎月悩まされていた物の、自身の母はその様なトラブルなく育った人だった為そのまま放置されて大人になり、結婚した後に子宮内膜症と判明して、半年間ホルモン治療したものの婦人科の先生には「99.9%妊娠しないでしょう」と言われたのに謎に妊娠して流産。

そこで人生で初めての全身麻酔で流産の後の処置としての手術を、行う。

 

その後当時の旦那とは離婚。

 

人生で2回目の全身麻酔の手術は、29歳の時に、当時のパートナーにフルボッコにされながら不本意に妊娠させられた子供を産み育てられる自信が無かったので、私の勝手な判断で中絶手術を行った。

 

33歳の時に町医者に子宮癌検診に行ったら謎に電話で癌告知され、当院で手術して取り除けばヘーキという怖い宣言に疑問を持ってそのまま大学病院に転院したら子宮筋腫+子宮内膜症+卵巣嚢腫が判明し、結果癌では無いものの、トリプルコンボの人生3回目の全身麻酔での手術で250gにまで育った筋腫を取り除く手術や内膜症の癒着と卵巣嚢腫の患部のみを採取する人生で3回目の全身麻酔の手術を行う。

 

 

その後、38歳で父方の親戚と同じく

「若年性更年期障害」になり、生理はあるものの、更年期障害として、自律神経が壊れてしまい、体温が爬虫類の様に維持できなくなる。

 

また、月経前症候群(PMS)で、生理2週間前から異様に腰が痛くなって起き上がれない程の治療の為に超軽量ピルを処方されるも、数十万人に一人の確率で起こる副作用で一瞬大学病院の医師が子宮体癌かも?覚悟しといて!というくらいの副作用が出るも、やはり癌ではなく、副作用と判明。

月経前症候群は母方の親戚筋も持っているそうな。

 

去年(2019年)は胆嚢炎で胆石が見つかって

人生で4度目の全身麻酔での胆嚢摘出手術をしたが、後でよくよく調べたら父方の祖母も若い頃に胆石で胆嚢摘出手術してたらしい。

 

んで、去年は胆嚢炎の手術後に乳がん検診行ったらものの見事にシコリが見つかって、痛過ぎる病理検査までするも、やっぱり癌ではなく、単なる脂肪の塊と判明。

 

と、人生で3回も癌告知され、計4回の全身麻酔での手術を行っていた人生でその上25歳で流産と離婚で一回メンタル崩壊するも、なんとか建て直し、イェーーー!!やっと我の人生楽しむぜぇぇぇ!ってなったら今度は更年期障害て。あんたww

 

という経緯で、現在体温を維持出来ないのと、更年期障害からくる不眠症により、ヘルプマークを着けて必ず外出している。

 

メンタルぶっ壊れも、従兄弟に1人いて、彼は20年前に亡くなった。

 

そして、計4回の全身麻酔手術に家族として誰一人付き添い人が居たことは一度もない。

(家族は全員健在でそれぞれに楽しく暮らしている。家族としてはとうの昔に機能していない)

 

ここまで来るともう、とりあえず「この血縁者の悪い所全部私が持ってくから私以降の血縁者は皆健康で生きろ」

としか、思えないし、私は結果的に子供を産む事はできなかったのだが、そこで輪廻を断ち切れたので良かったと今では思っている。

 

そして、こんだけガン告知され続けてると

「いつ自分が死んでも良いように」と、身の回りの整理をして、所持品から友人まで全てを把握して「今をどれだけ楽しむか!」にフォーカスして生きるので毎日が楽しい。

 

そして、今は「どれだけ自分の身体の状態を把握して、いかに様々な症状を悪化させない様に未然に防ぐか」を物凄く大切に感じて日々実行して生きている。

 

夏は暑過ぎると体温もすぐに上がって熱中症になりやすいので冷えピタなどの冷やせる物を必ず携帯してるし、冬は冷えるとどんどん体温が下がり続けるので、ホッカイロなど直ぐに身体が温められる物を携帯している。

 

そして、一年を通して喉のケアは忘れないように、のど飴はいつでも、どこでもどんな時でも絶対に手放さない。

昔、コールセンター勤務18年の経験のお陰で7時間以上喋りっぱなしの仕事をしていたので、飴を含みながら、相手に気付かれずに喋る事など容易くできるようになり、大好きなカラオケも、飴を舐めながら普通に歌えるようになった。

 

メンタルも一度は崩壊したものの、全てを建て直したら、どうやらそこまでめちゃくちゃに弱いメンタルではなくなってくれたようで、手当ての仕方を理解できてるから多少凹んでも、自身での手当と周りにヘルプを出してケアできるようになり、立ち直りまでの切り替えが恐しいまでの速さで立ち直れるようになった。

 

体温を上げるには筋肉量を増やす事と、医師に言われてウォーキングをしていたら副産物として過去に45kg太ったうちの30kg迄は更年期障害後も、ちゃんと減量できた。

筋肉量も増えはしたものの、残念ながら体温は上がってはいない笑

 

でも、全ての自分の体質を把握して、どんな手当てをすればいいのか?

どうやって悪化する手前で未然に防ぐのか?

が、一番大切で。

それが把握出来さえすれば、必要以上に心配することも、怖がる事もなく、普通に生活はできる。

 

そして、ヘルプマークはあくまでも「内部障害を持つもの」に配られる物で、メンタル的な障害を持つ者だけが携帯しているものではない。

あのマークをつけていて、人々の優しさに触れる事も多々あるし、本当に有り難いと感じる事も多々あるものの。

あのマークを付けていると、心ない人から暴言を吐かれたり、悪戯好きな高校生に意図的に電車内で突き飛ばされたり、訳の分からない頭の悪い中年男性に何も言われ無いまま急に道端で腕を掴まれて引きずられそうになったりもする。

 

あのマークをつけると言うことはそういう

「あの人は障害があるから何してもわかんないだろ」という人間が持ってはいけない心を持たせてしまう悪魔のマークでもある。

 

私に限らず。

メンタル的な病でこのマークをつけている人に対しても「何をしてもいい生き物」なんてこの世に存在するわけもないのに、たまーーに

わかりやすいものを外に提示していると、そういう人間の奥底に眠る人間らしからぬ感情を爆発させてしまう、物でもある。

 

しかし、このマークをつけていることによって、周りになんらかの障害を持つ事をアピールし、自分の口で説明が付く人であれば、会う人に説明をし、安心してもらうこともできるし、万が一なんらかで倒れた時に、同席した人が慌てずに対処できる。

そんな、とても有り難いマークでもある。

 

このマークが様々な内部的障害者が携帯する物である事が世の中の人に浸透してくれることを

切に願う。

 

そして、私の身体に起きている様々な体質的な問題に対しても、自分で自分の事を把握していれば怖がること無く生活が送れる事を体現しつつ私は今日も元気に楽しく、そして繋がりたい人と繋がって、お猫様を愛で、自身を愛しながら生きている。

 

だから、もうこの血縁者の悪い所全部引き取ったから、どうか私の姪っ子達よ。

そして、それ以降続いていく血縁者達に

身体的「体質での辛さ」が出ない事を願う。

 

輪廻は断ち切った。

後はそれをどう活かすか?

どう生きるか?

人生正に生きててなんぼ。

 

私は最高に今、楽しいよ。

 

 

 

 

 

 

 

シンボルツリーの代わりに猫神様と

2年後。2022年の夏。

45歳の夏に私は離婚して20年が経過する。

離婚と、流産をした後にメンタル崩壊して、一つずつ全部創り治していって、メンタルの健康を5年前位に取り戻して、後2年で20年が経つ。

 

自分でも「もう、昔の事だし。笑い話くらい」と思ってて(特に離婚の事は)流産に関しても、自分でなんとか昇華できたと、思ってる。

これでも。思い出して泣くとかも今は無い。

結果的に、メンタル崩壊した私に来年20歳になる様な人間を育てられたとも思えないから、良かったと思う。(同時期に妊娠した友人の息子が来年20歳!)

 

流産した時に、水子供養なる物や水子地蔵なる物があるのも知ってたけど、離婚したてでメンタル崩壊した私にそれを実行できる金銭的余裕も、メンタル的な余裕もなく。

私の身内は「流れてよかったね!」って本気で笑顔で悪気なく言う血縁者しか居なかったので、自分で自分のケアをするしか無かった。

でも、例え結果的に離婚したとしてもその時愛していた人の子供を一時的にでも妊娠したのは事実で、まだ、細胞として全然人間のカタチにすらなってなかったただの塊のエコー写真を

見ただけでも、人間は不思議で、心の中に「愛しい」と思ってしまうのだ。

 

だから、私はどんなことがあってもその事実が自分の中で例え年老いて認知症になって、自分が誰なのかすらわからなくなったとしても、忘れないように、自分の体に「生まれてきたらこの名前をつけたい。」と、当時旦那にすら言ってなかった勝手に心の中で思っていた名前を

自分の身体に彫った。(知り合いに紹介してもらった彫師さんにお願いした)

 

人間は、脆い。

直ぐに壊れる。

本当に壊れると、全ての感情が無くなる。

本当に悲し過ぎると、人間は泣けなくなる。

 

私は、流産した事実に泣ける様になったのは、

流産してから一年後だった。

フト、なんの気なく見てたドラマの、何でもない子供が出ているシーンに、突然涙が後から後から溢れ出て、止まらなくなった、嗚咽が漏れるほどに泣いた。

当時一緒にいたパートナーがびっくりして、怯える程に泣いた。

 

でも、泣いている時私は

「ああ、やっと泣けた」「やっと、会えなかったあの子に向けて泣いて送り出す事ができた」と思った。

身体に名前を彫ったのは、その後26歳の時だ。

 

今でも身体に刻み込んだ事に後悔は一切ない。

だって、自分で絶対に忘れたく無い事なのだから。

離婚も流産も私にとっては生きてきた大切な記憶なのだから。

見た人にドン引きされるし(簡単に見えない場所なので、そうそう見られる事はない)私の外観には到底似合わないタトゥーという存在だけど、そのくらい後悔しない自信がなければ、自分の身体に一生残る物を作ってはいけないとも思って彫ったので、一切の後悔はない。

 

同じく、一番最初に生活してくれた私の人生に欠かせないお猫様も、同じ彫師さんにそのお猫様が亡くなる直前に写真を送って、生写しで彫って貰った。27歳の時だ。

私に生きる事の大切さと、死ぬ事について、そして自分が存在している意味について深く教えてくれ、今も7代目のお猫様と私は生活している。

 

長年の付き合いだった主治医に

「子供が生まれていたら貴方はきっと病気になっていなかった」「貴方の様な人は守るべき存在がいれば、どこまでも強く生きれる人」と言われた様に。

 

私が「もう、ダメかもしれない」と思う度に必ず目の前に「瀕死のお猫様」や「長生きしてくれたのに、なぜか今の家の人達に保健所に連れて行かれそうになってるお猫様」が後の私の人生には登場する。

 

その始まりを作ってくれたのは、まだ私が自分の病気に気づくずっと前。

生きるのに必死過ぎて、荒む事も、反抗する事も、自己主張もできないままに必死に生きてた高校生の頃に、私の元に来てくれたお猫様。

黒猫の咲(サキ)ちゃんを、記念に左肩に彫ってある。

絶対に彼女の。そして、お猫様という私にとって大切な人生の中で唯一の、神とも思える生き物を忘れない為に。

 

私の行為を「頭がおかしい」と言う人も勿論いる。

「貴方の容姿やキャラクターに全く似合わない、勿体ない事を」という人も居れば

「若気の至りだね」と嘲笑う人もいる。

 

でも、どれも違う。

私にとってこのタトゥーは、私が生きてきた歴史をただ、身体に忘れたくなくて刻んだもの。

大切な大切な記憶。

どんな事があっても、忘れたく無い記憶。

だから、彫った。

後悔は全くない。

そして、これ以上増やすつもりもない。

 

友人が紹介してくれたその彫師さんはどうやらとてもその道では有名な方だったらしく。

確かな仕事をしてくださったので、衛生管理も勿論ちゃんとしていて、タトゥーにありがちな肝炎等も勿論かかっていないし、彫ってから20年近くが経とうとしているけど、その間メンテナンスを一度も行ってないタトゥーも、未だにその綺麗を保ってくれている。

 

事実は小説よりも奇なりが私の人生の中で何度も起きていて、泣きたくなる事も、なんで自分が生きているんだろうか?と思う事も。

なんなら、私の寿命を差し出してこの人に命を渡したい!!!と何も出来ずに悔しく思う事も沢山あるし、今後も生きている間に山ほど起きるだろう。

 

でも、私にはきっと「生きていなければならない」理由があって、色んな人に支えられて「生かされている」

私の今までの経験が誰の何の役に立つか?なんて私には分からないけれど、でもやっぱり生きてると楽しい。

新しい出会いがあったり、別れがあったり。

思わぬところで、自分の経験が役に立ったりする物だ。

 

自分の生きてきた軌跡を誰かの役に立ててもらえたらこんなに嬉しい事はない。

 

そう思って。

亡くなった私の子供と、先に空に登った咲ちゃんをいつも、身体に感じながら。

今日も、私は生きていく。

 

情けなくて、本当に、本当に、人間して

ポンコツ過ぎるけど、でも、今の私は

生きていてサイコーに楽しい。

誰に何を言われようとも、楽しいのだ。

そして、そんな自分が好きだ。

 

今までの不器用でぶつかってぶつかって、凸凹に傷だらけになって生きてきた、不恰好な自分が好きだ。

 

それなら気づかせてくれた人に。

そして、これから出会える人に。

私が貰えた今までの感謝を別のカタチで返して

いけたら最高だ。

 

と、思って。

私は今日も生きている。

 

本当にありがとう。

 

 

時は流れゆく

先月、私はとてつもなく卑怯な手を使って

一つのコミュニティから離れることにした。

 

そのコミュニティを嫌いになったから?

その中の誰かが気に入らなかったから?

 

そんな事は実は微塵もなくて。

今でも、私にとってはとても大切で、尊敬している、大切なコミュニティだ。

 

ただ、そのコミュニティに入らせてもらって

5年が経った今。

段々と私の心理の変化や、体調や家族との距離感の変化等々も併せて、そのコミュニティ内に居させて貰っている事自体に何となく私自身が違和感を覚えてきたのだった。

 

コミュニティの人達には、私の人生において、絶対に欠かす事の出来ない大切なカタチのない財産を貰った。

 

それは、間違いのない事で。

とても感謝している。

 

じゃあ、何故離れたのか?

しかも、卑怯な手を使って。

 

そのコミュニティをとても尊敬していて

大切過ぎる故に、そのコミュニティ内で

段々とズレていく自分の感覚と、そのコミュニティ内の人達との距離感の取り方や、いずれ

そのコミュニティ内の人達が思う「私像」と

「本来の私」がどんどんズレていって、自然消滅的にそこに居られなくなったり、ずっと私の心の中に違和感を感じたまま、でもそれを口にする事もできないままそこに入っている事がきっと出来なくなる事が分かってきたのと。

 

心の底から、彼等にいつか嫌われてしまう事が起こり得るのであれば、その前に自分から

嫌われる様なことをして、嫌われてそこから

離れたかった。

 

なので、自分がした事に対して100%悪いのは私で、本当は誰かに謝罪してもらいたかったわけでも、なんでもなく。

 

ただ、そのコミュニティ内で暗黙の了解で許させていたルールの中で時が経つに連れてそのコミュニティ内で「それは許せるけど、これは許せない。。」という違和感を誰かが口にするのを見た時に「多分、許せる範囲内の『コレ』と許せない範囲内の『コレ』の境界線が分からなくなったのは、コミュニティ内で許されてきた実績があるから、どこまでが許させるボーダーラインなのか?がそのご本人に分からないまま時が経ったからでは??」と「途中」からそのコミュニティに入らせて貰った人間からは見えてしまった。(あくまでも外側の人間から見た時に)

そして、その暗黙のルールによって判別付かない『コレ』と『ソレ』をごちゃ混ぜにしたまま、たまに「それは許せないやつ」をする人に対してのコミュニティ内での「何故あの人はやらかすのか。。」的な会話を聞いていて

「それは、長い事コミュニティ内で○○だから」と許してきたコミュニティ内のルールによって、そのまま大人になったからでは。。

 

と、途中からやってきて勝手に入った私からは見えてしまって、でもそれを上手くコミュニティ内の人に言えないまま時が過ぎ、その間に親の体調やら自分の体調やらも変化していき、そのコミュニティに通う以外に自分でやってみたいと思った事。

やらなければならない事。

その為に、今後の事も考えるとお酒をやめて生きていく他ない事。

 

なども考えた結果。

 

私はわざと、嫌いになってもらうように仕向け

結果として一番尊敬している人達を傷つけ、そしてそれに対して、なんの弁解も弁明も、謝罪もする事なく、その場を離れた。

 

自分でも割と最低だなぁ。と思う。

それでも、知らない間に嫌われてたり

知らない間に、軽蔑されてたり

知らない間に傷つけてたり

そして、気づかないうちに自分がそのコミュニティに居られなくなってしまうよりかは

全然良かった。

 

全ては、私のエゴでしかない。

 

それでも、彼等が私の心に「心の故郷」を与えてくれた事。

長年抜け出したくても抜け出せなかった

「恋愛依存」から抜け出させてくれた事。

なによりも「自分らしく生きるのが一番」と

教えてくれた事。

数え上げたらキリがない位に大切な物を

貰った。

 

時は流れゆく

けど、私の中の心の故郷は

今でも変わらないし。

自分らしく生きるのが一番楽しいし

40代半ばにした今も尚、新しい扉を開いて自分が興味を持った事に対して自分のできる範囲で出来ることをしていきたいと思っている。

 

時は流れゆく。

ガチガチのネグレクトで母親と話すと吐き気がしていた数年前から今ではその母親のメンタルのケアをする為に毎日電話をし、週に何度かは実家に通い、傍若無人な父親とメンタルガタガタの母親と一緒に食事が出来る様になった。

 

時は流れゆく。

まさか、自分が40時半ばになって、今まで好きだったクラブ音楽に合わせて踊ってみたい!と思ってダンスを習いにいくなんて、一年前には思いもつかなかった未来が、今ここにある。

 

自分がこれから何が出来るのか?

なんて、1ミリも、分からないけど。

彼等が教えてくれた私の長所・短所

自分では気づきもしなかった「文章を書くのが好き」な事や「人見知りしない性格は悪い事では無い」事

そして「頑固」で「負けず嫌い」で「ワガママ」で「自分の欲望に貪欲」な事も沢山

実感できた5年間。

その間に、脳味噌の中で抹消されていた事実のロックが解除され、人生において最大にして最後のパンドラの箱が開いたり、本当に幸運な時期に、人脈に恵まれ、私は私自身が勝手に纏っていた「こうでなければならない」鎧を脱ぎ捨て、物凄いスピードで「自我」を目覚めさせ、そして、我ながらに「性格悪すぎるし、可愛げがなさ過ぎる女」と思う自分が本当の自分だと気づいた5年間だった。

 

だからと言って、誰かを傷つけて良いのか?

といえば、絶対的に傷つける事はいけない事で、そのタブーを犯して私はコミュニティを離れた。

 

最低な事に後悔はない。

何よりも。

彼等には感謝しかなく。

私にとってお猫様の次に尊い、人間である事は紛れもない事実。

 

いつまでも、彼等に感謝し続けながら私はこれからも、生きていく。

 

時は流れゆく。

10年後の私はどこを向いて歩いているだろうか。

 

事実は小説よりも奇なり

人生は不思議だ。

 

久しぶりに会った、ちゃんと働くことの出来る

私より歳下の友達が治療方法のない難病で余命2年だとか。

 

恩師の人が昔からタバコを吸っても居ないのに肺癌になった後に、何度かの局面を乗り越えても尚、腫瘍が出来て手術を繰り返して居るとか。

 

昔から好き放題、やりたい放題。

10歳になる前からタバコを吸いまくって、定年後はお酒も飲み放題で傍若無人に磨きのかかった父親が胃癌だけど、まだ生きてて、ピンピンしてるものの、そのショックで母親のメンタルが壊滅的に破壊されちゃって、私は一生戻る事の出来ない実家と自宅を行き来して、母親のメンタルのフォローしてるとか。

 

 

人間、本当に。

本人が死にたいタイミングでなんて、ちっとも死ねなくて。

人生のうちで3回くらい癌告知された事あるけど、結果的に毎回癌では無いし。

去年も人生で4回目の全身麻酔の手術した時も毎度の如く立会人がいない事に病院側からドン引きされるし。

 

なんで、自分は生きてるんだろうか。

って思うときの方が多いけど。

多分、何らかの意味があって生かされてんだろうから、未だに生きてるんだと思うし。

 

去年、全身麻酔で死ぬかもしれないから

誓約書書かされた時点で死んだ時の準備だけは

万全にしてあって。

私が死んだとて、行政が全て処理して無縁仏に葬られて、誰にもサヨナラをいう事なく、この世を去る事なんて、全身麻酔の手術を受ける受けないに関わらず、誰かと結婚でもしない限りわかりきってる未来で、ほぼ、確定している私の未来とも言える事実。

 

で、じゃあ、恋愛できんの?

って聞かれたら「色んな依存から抜け出して、人に無理して好かれようとしなくなった私」には可愛らしさが皆無で、見えるのは自分の可愛くないところばっかりだ。

気が強くて、わがままで貪欲で、頑固。

そんな、可愛らしさゼロの女を好きになる様な人はまー居ない。

当たり前だけど。一緒にいて快適な人を人間は好きになるわけで、どう考えても、今の「本来の自分」になった私はお世辞にも可愛いとは言えない。自分でも本当に性格悪いと思う笑

 

皆んな、必死に生きてて。

私も私なりに一応必死にそれこそ、いつ死んでも構わないつもりで生きてて。

 

でも、明らかに自分よりもずっとずっと努力して、日々頑張って、ちゃんと生きてる私の友人達にはなんの力にもなれない位苦しい病を負って居たりして。。

 

なんで、私は昔のあの時、死ななかったのかなぁ。って。

私の寿命をその友達たちに分けて、私の寿命が10年くらい縮んでも全然良かったのに。って

思うのに。

彼らにはちゃんとパートナーや友達や家族が居て。

大事に大事に日常を生きているのに。

なんで、私は生かされてるんですかね?

って、日々、まあ信仰心とか皆無だけど、たまに「神様って何考えてんだろね本当に、色々間違ってんよあんた」って言いたくなるよね。

 

私が生きてて役に立っているなんて、思った事

ほとんど無いけど。

まあ、いい人は早死にするって言うから。

だから、私の周りの友達たちは大変な思いをしてるのかな。

 

主治医が「貴方の物事の考え方は哲学的です」って昔に言ってくれて「哲学?何じゃそりゃ?」てなんの学もない私は思ったけど。

そもそも「自分が何で生きているのか?」

「自分が生きている意味とは?」って考えながら生きている人があんまり居ないらしいってのにやっと気づいてそれであの主治医の言葉になったんだろな。って気づいたけど。

気づいて、哲学的文書を読んだところで、なんら解決しないのは目に見えて分かっている。

 

私がすべきは、親の介護。

自分の生活の最低限の家事。

お猫様との日常を守る事。

適度に運動して自身の心と体の健康を保つ事。

身の回りの整理をして、いつ死んでも平気な様にしておく事。

そして、生きている事に感謝して日々の日常に

楽しみを、幸せを見つけながら楽しく生きること。

 

それだけだ。

シンプルイズベストってやつだね。

とりあえず寝よ。