あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

ハラスメント的な

【様々なハラスメントについて】

少し思うことがあったので、あくまでも私の中の個人的な意見ではありますが、様々なハラスメントについて今回は書きたいと思います。


昨今様々なハラスメントが度々話題に上って、その中でも「マタニティハラスメント」やら「セクシャルハラスメント」なんかが、割と注目されがちです。
また、セクシャルハラスメントに付随して、ドメスティックバイオレンスモラルハラスメントも最近は割と敏感に話題になるようになったと感じます。


どれも割合に異性から異性へのハラスメントとして捉えられがちで、特にマタニティハラスメントとセクシャルハラスメントは当たり前のように異性からのハラスメントとして報道されますが、私が今まで受けてきたハラスメントやら、その他の付随した事柄を考えると、もちろん女性の人権やらなんやらはとても基本的な大原則ではあり、勘違いを起こしている男性が取りがちなハラスメントも多々ありますが、それより何より、そんな男性達を産み育てる母親となる女性達の考え方や、女性的に妊娠や出産、また生理痛や中絶についても「経験者からのハラスメント」や「マウンティング」が大元にあって、そこいらへんの意識改革から始めないとおそらくハラスメント的な問題は根本から解決はしないでしょうし、いきなり男性側に「意識改革を!」と訴えかけても、余計な反発を受けてしまうだけだと私は予想しています。


マタニティハラスメントで言えば、私が就業中に妊娠と出産でお金がいるからと、雇用主に妊娠について伝えずに無理をして勤務し、その後切迫流産の恐れがあるため、突然出勤しなくなった人の残務を全て私に投げられた過去があります。
私は妊娠をした事もほんの少しあるので悪阻が苦しいとかも一応はわかるつもりですが、ある程度の大まかなマタニティハラスメントに対する国の基準は輪郭程度で決めた方が良いにしても、やはり、妊婦さん一人一人で悪阻の酷さや、体重の増え方なんかによっても、全く異なるので、それこそオーダーメイドのマタニティ就労規則が必要になってくると思うのです。
なぜ、その妊娠した人が就労先に申告しなかったのか?
それは上司であるチームリーダーに妊娠出産経験があり、その人が大変に軽い悪阻と短い出産時間だった為に、「妊娠なんて大した事ない」という考えがその女性の上司に根付いてしまったので、悪阻での欠勤などが認められなかったからでした。
結果として無理をした彼女が突然出勤できなくなり、彼女の半年ぶんの仕事を全て私がかぶり、日々何時間もの残業を余儀なくされたわけです。


生理痛に関しても、男性達には勿論経験のない事なのであまりわからずに無理をさせてしまう男性も勿論存在しますが、それよりも、元々生理痛がない女性からの圧倒的なイジメやら、マウンティングやら、嫌がらせの方が激しく逃げ場のない先行きに生理痛で苦しむ本人が余計に苦しくなって仕事を辞めたり、はたまたそれが原因で鬱になりかけたりする人もいます。


結局、そういう思考を持った男性達はそういう事柄でたまたま症状の少ない女性達からの意見だけを参考にしてハラスメントを行なっている。
ということが割と多々あるように私には感じられました。


なので、例えば主婦の仕事を馬鹿にするだとか、出産したばかりの赤ちゃんの世話を大変だと思ってくれないだとか、そういう事柄は勿論男性の今まで歩んできた人生からなる価値観が大半を占めますが、大元はその男性を育ててきた母親達の価値観や、父親と母親の関係性から彼らの根元になる価値観は作り上げられていくように思います。
そこから、小学生や中学生など。経てたまたまものすごく生理痛がひどい同級生を見たり、聞いたりしない限りは彼らにとって直接的に関わらない「生理痛」の痛みなんて知る由もないのです。


ドメスティックバイオレンスについても、心の傷やらなんやらはあるにせよ、やはり圧倒的に多いのは幼少期に親がドメスティックバイオレンスをしていた人に多いように見受けられます。
モラルハラスメントも然り。


それはある意味「刷り込み」みたいなものがあると思うので、その人の根本の部分を覆さない限りは中々変えられない部分だと思いますし、根本から覆されるということはその人が今まで歩んできた人生そのものを否定するということになりかねないので、とてつもなく本人にも辛い作業になりますし、認めたくない部分になると思います。
だからこそ、頑なに譲れなかったりする場合もあるのでしょう。


立場は永続的に同じものではなくて、
どちらか一方がずっと頼っていて、どちらか一方が頼られっぱなしではいずれ共倒れしてしまいます。
どんな時であっても「平等」は実はとてつもなく難しくて、ほぼ不可能に近いことでもあります。
ただ、「時と場合によりどちらか一方が優位に立つ」はごく普通の日常生活でほとんどの人が自然と意識せずに行なっていることではないでしょうか?
夫婦であれ、恋人であれ、会社の上司と部下であれ、ママ友であっても、それでいいのだと私は思います。
パソコン関係が苦手な人がパソコンを教わる時は相手が先生で、パソコン関係が得意な人に世間で起こっている話題の事柄を教える時は反対に自分が先生で。。
そんな感じで、本当にフトした日常生活の中で役割分担も、立場もいくらでも入れ替わりはあるはずなのに、何故か格式張った「夫婦の役割」なんかになると人はとても頑なにお互いの立場を絶対に入れ替わらず、いつでもどちらか一方が優位に立とうとしがちです。
夫婦としての夫や妻 の立場は入れ替わることはないのだから、妻だから弱い夫だから強いとか、夫の方が外で働いているから偉いだとかそういうことを言い出したらキリがありませんし、そもそも主婦業に関してだけ言えば主婦業はお休みがないので、多分男性のフルタイムのお給料に匹敵もしくは上回るお給料が発生するはずなわけで。。
そこいらへんを「愛」だとか、「扶養してもらっている」とかで無給の主婦業。
勿論主婦側も「扶養してもらっている」という意識は持った上で夫からのなんらかのハラスメント側もあった場合にはキチンと話し合う必要があると思います。
どちらか一方が相手に対する感謝の気持ちを忘れて自分の権利だけを主張してしまう。
そんな悲しい関係にならず、せっかく縁あって夫婦になったのだから、心が寄り添って夫婦という時間を歩んでいってほしいと私は考えます。


そんな様々なハラスメントに対して、人権侵害やらなんやらと叫ばれる中、根本の意識はどこから始まっているのか?
そこにもう少し焦点を当てて、そして、お互いにお互いへの感謝の気持ちと思いやりを忘れない、そんな社会になればと少し感じました。