あんこ と おはぎ

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【目的意識】


先日、お友達とお話をしていて
「ああ、そう言えばこういう事を言っていた女友達が昔にもいたな。。。」と思い出した事がありました。


適齢期の女性に多い
「なんのために結婚をしたいのかがわからなくなる女性」

「結婚がゴールで結婚したら、相手が自分を幸せにしてくれるはず」
と信じて疑わない女性。


「結婚」と一口に言っても、様々な形や思想が存在するので、一概にどれが正解ですどれが不正解なんてことはないとは思います。
なので、今回は私が実際に結婚→離婚を経験したことと、周りの結婚したい女子と結婚した後の女子達の意見
なんかを参考にしたり、感じたことを書いていきたいと思います。


まず、一つ目は
「なんのために結婚したいのかわからなくなる女性」
なんとなく、適齢期になってきて、周りもチラホラ結婚しだしてるし、なんとなく自分もいつかは結婚したい。。。と思い始めて、そのうちに焦りが募ってきて、ガムシャラに婚活に励んだり、今付き合っている相手に結婚を迫ってみたり。。。


別にそれが悪い事だとは言いません。
ただ、その場合に、二つ目の
「結婚はゴールで、結婚さえすれば、相手が自分を幸せにしてくれる」という思考の女性の場合にはかなり危険な行為だと思います。


恋愛と結婚はもちろん別物であるので、「結婚をしたいから相手を探す」も、勿論悪い事ではありませんし、むしろ同じような目標の相手を見つける為なのであれば理に適っている行為だと思います。


ただ、その場合、貴方が探しているのは「結婚」が出来る相手なので「この人と結婚したい」ではなくて「この人 で いいから結婚したい」という結論で相手と結婚をするわけです。
そして、貴方の目的は「結婚」をする事であるので、入籍した時点で目的は遂行されてゴール。。。


それであれば、貴方はその後の結婚生活には文句はでないはずなのです。
だって、目標の「結婚する」というミッションは遂行され、遂行するにあたって最適の相手を自分で見繕って、結婚したはずなのですから。


問題は、二つ目の「結婚さえすれば相手が自分を幸せにしてくれる」思考の女性です。


この女性達は、相手が自分を幸せにしてくれると思い、相手がその意向に反する行動や思考をすると途端に相手を糾弾しますが、だとしたら、貴方自身は相手をどうやって幸せにしてあげられているのかを想定していない事です。


そもそも、「結婚」がゴールという着地点に設定していて、「とりあえず」20代のうちに結婚できそうな相手を見繕って結婚したわけで、その人とのこれから何十年も続くであろう共同生活や、人生に起こりうる沢山の困難もなーーーんにも考えずに、とにかく「結婚」が出来る人で、選んだ人が入籍を終えても尚、貴方を無条件で幸せにする義務はあるのでしょうか?


結婚そのものがしたかったのであれば、入籍を終えればその目的は果たされているのだから、
その時点で相手はかなり貴方に協力してくれていることになります。


例えばこれが、子供を産みたいから結婚して出産したい。。。
であれば、お互いに入籍する前に妊娠・出産に問題がないのか調べてから入籍して、妊娠・出産をすればそれはお互いに立派に目的を果たしたことになるので、その結婚と出産の中に愛情がなかったとしても本人達にはなんら問題のない関係が構築されるわけです。


例えばこれが、祖母の世代なんかになってくると、結婚して当たり前、子供を産んで初めて一人前として親に認められる。。なんて思想の世の中であれば、愛のない結婚であっても、祖父母からすれば、結婚して出産してナンボなわけなので、逆に恋愛結婚が信じられないわけです。
ステータスとしてのバロメーターの一部としての結婚なので。


で、最近は勿論お家柄なんかによってはお見合いで然るべき相手としか結婚できず、有無を言わさず勝手に相手が決定される。。なんてお家の方以外はほぼ、お見合いであっても自由にお断りできたり、恋愛結婚するのがごく一般的になっています。


なのに、何故か彼女達の中では結婚が
昔の日本のように「ステータスのバロメーター」としてその人柄を結婚してるのかしてないのか?子供を産んでいるのか、産んでいないのか?なんかに、よって勝手にランク付けされてたりするわけです。


そのランクに自分もランクインしてみんなに羨ましがられたいから、結婚する。


そんな人が失礼ながら多いように思います。


誰しも、結婚する時に離婚する事を想定して結婚する人はいません。
(稀にハリウッドスターとかは事前に契約書書く人もいますけど)


そもそも、結婚自体は赤の他人がその用紙を書いて周りにも公表し、届出をすることによって、身内になり、万が一お互いに何かあった時に公的に認められた連絡の行く人になる。
といういわば契約にすぎません。


病院や、不動産屋、災害時や、何かを解約する時にも、一番重要な事柄が起きた時に、恋人や、内縁の妻や、同棲している相手では公的には認められていないので、連絡も来ませんし、相手が危篤状態であっても病室に入る事を認められなかったり、手術の説明を聞けなかったり、契約時の本人確認で身内と認められなかったりするわけです。


裏を返せばそれは入籍後数十年放浪の旅に出かけていた男が現地で命を落とした時にもまず、一報がはいるのは妻である入籍手続きを済ませている女性。となるわけです。


適齢期の女性達がしたくてたまらない結婚はそういう事であって、決して相手が自分を無条件で幸せにしてくれる契約ではないはずなのです。


だから、その女性自身が幸せなのであれば、周りから見てどんなに危なそうな相手であったり、到底幸せには思えないような相手であっても、周りは何も言えないですし、彼らには彼らにしかわからない絆や幸せがあるはずなので
何も言いませんが、「結婚」そのものをしたいだけの女性たちは、相手が誰であろうととりあえず「結婚」がしたくて、選んだ相手のはずなのに、その後の生活に対してズーーーーット文句を言いながら生活していくわけで、あまりにもダメだった場合には離婚に至る。。。るという事なのかな?と思います。


私の友人に、とにかく結婚と出産がしてみたくて、お見合いで交際期間が1ヶ月に満たないスピードで結婚した友人がいました。
彼女は結婚3ヶ月後に「私、最近やっと旦那さんのこと割と好きなのかも?って思い始めたのー!!」って電話をかけてきてくれた時は私は倒れそうになりましたけれども、彼女は彼女の目的を果たしてくれる旦那さんを見つけたので、未だに旦那さんへの文句を聞いたことがありません。
そして、旦那さんも、「健康な子供を産んでくれる結婚してくれる女性」を探していたので、特に結婚生活に支障もなく、めでたく2人目も生まれました。


彼女のように自分の目的をはっきりと把握した上でその目的に沿って相手を探して結婚する分には全く問題がないと思うのですが、それよりも「なんとなく適齢期だから」「焦ってしまって」で、畳み掛けるように結婚した女性たちの方が結婚後の生活にとても苦しみ、文句をズーーーーット言っているか、離婚するか、もしくは最悪精神を病んでしまうか。。。になっているのです。(少なくとも私の周りでは)


恋愛と結婚が違うのは、経験者から言わせてもらえればそれは
「綺麗事だけの生活ができなくなるから
」なんだと思います。
人間生きていくためには何かしらでお金を稼がないとダメだし。
夢と愛だけでは電気もガスも水道も止まってしまいますからね。。。


そして、今までお互いに生活してきたペースや習慣がある一個人が一つ屋根の下に住むというのはもう、本当に「異文化コミュニケーション」とか「海外の人と暮らしてる」くらいの勢いで住まないとお互いのちょっとした習慣や、捉え方の違いで憤りを感じることが度々あって、大概どちらかが、我慢しすぎてそのうち爆発する。。。という感じですね。


海外の人との国際結婚も勿論すごく大変なんだと思うのですが、海外の方相手だと、どこかで諦めがつくところもあるみたいなんですね。。


がっ!同じ日本人同士だと、なまじ言葉も通じあってしまうので、私の常識は彼の常識でもあるであろう。
という甘い考えのもと、信じられないお互いの実家の習慣やら、癖やらが露見するわけです。


そして、言わなくてもいい、一言をなまじ言葉が通じてしまうせいで発言してしまい、お互いにお互いの機嫌を損ねる。。。
という事が本当にいくらでも勃発します。


そういうことを積み重ねて「結婚」の先の「結婚生活」が織り上げられていくというのに、「結婚」を、熱望する彼女達には、その後の結婚生活が一ミリも想定されていないわけです。


そりゃー、うまくいくはずもなく、どちらかが強烈な我慢生活を送ることになり、ズーーーーット文句を言いながら生きていくのか、はたまた離婚するのか、はたまたメンタルを病むのか。。。
もしくは、仮面夫婦でお互いに不倫しあうのか??はそれぞれの自由だと思うのですが、やはり、それ相応のリスクは伴うということです。
の、はずなのに、彼女達には結婚イコール天国くらいの勢いで幸せになれると信じて疑わない世界が脳内では繰り広げられているので、そこが私はただ、心配なのでした。


自分がどんな理由で結婚したいのか、そして、結婚後も続く結婚生活にもその相手は耐えうるのか?
それを見極めてから婚活に励むといいのかもしれないですね。


誰しも、結婚後に苦しかったり悲しい思いはしたくないはずです。
それでも、色んな苦しみも悲しみも、この相手とだからこそ、歩いてこれたと思えるようなそんな風な夫婦に知り合いの子達がなってくれたら嬉しいなぁ。。。と願っております。
それこそが「病めるときも健やかなるときも。。。」なのかもしれないですね。