あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

積み重ねているものは

【伸びしろと引き出し】

私は一時期年下の人としかお付き合いできない時期がありました。


それは若干の離婚の影響もあるとは思いますが
(元旦那が年上だった為)
多分、たまたまではありますが、結婚前や、離婚後に多少お付き合いさせて頂いた年上男性が
「俺スタイル」が出来上がっている方々で、女性観についても「俺スタイル」を強く求め、自分の好みの女性像にそぐわない部分を極端に嫌がり、結果としては彼らは私という一個人を愛するというよりも、「俺スタイル」を忠実に守る女性ならば誰でもいい。
という状態だった為であろうと気づきました。


この「俺スタイル」はもちろん女性版もあるわけで、年を重ねていったぶん、「自分のスタイル」が構築されていくのは当たり前の事ですが、問題になるのは「自分の決めたスタイル以外を認めない」にあるのではないだろうか?
と思いました。


新しい物やスタイルや情報を見たり聞いたり見につけたりするのは別に悪いことではないし、取り入れてみて、自分に合わないな。。
と思ったら、その後はそれを取り入れないスタイルにすればいいだけなのに、不思議と、頑なに試すことも無かったり、合わなかった事柄を、まるで悪のように取り扱ったりするのはなんだか少し違うなぁ。。。と思うのです。


私がたまたまお付き合いをした年上の方々はとにかく、自分のスタイルの中にないもの以外は悪と決めつけて、それ以外を罵倒し、スタイル以外の物に興味を持った私ですら馬鹿にするような感じの方々だったので、私はなんとなくウマが合わないなぁ。。年上の人ってそういうものなのかなぁ??
と思って自然と避けていたように思います。


その後出会った年上の方でその私の中の偏見は崩れましたが、年上であろうと、年下であろうと、やはり人間としての引き出しの多さと伸びしろによって、その人の中身の深みや、人間性が変わってくるんだろうなぁ。
と実感しています。


どんなに年齢を重ねていても、その人自身が自分の認めているもの以外に全く興味を示さず、なにも取り入れようとしなければ、失礼ながらその人のお話は多分2〜3回お話をしただけで、その後はつまらなくなってしまうでしょう。


反対に年下であっても色んなジャンルに興味を持って、興味を持ったジャンルを上手に取り入れている人との会話はとても楽しく何度でも話をしたいと感じます。


引き出しの多さは、その人が経験してきた事をどれだけ、自分の中に取り入れて大切にしておくかによっていくつ引き出しを持っていられるのかの違いになると思います。


どれだけ年齢を重ねても、その人が自分の中に上手く自分の経験を取り込んで行けてなければそれは残念ながら年齢を「とった」だけであって年齢を「重ねた」ことではないのだと思います。


年上である という事実だけで威張っていたりする人は失礼ながら薄っぺらな中身しかないという事になります。


自分なりに色んな事柄を、取り入れる中で選択して自分なりの生き方を掴んでいくことによって年齢を上手に重ねていける
「大人」になれるのではないのでしょうか?


日々色んな物や事柄や、ツールがどんどん出てくる中で、その新しい物をどうやって取り入れるのか?
その新しいものに「使われる」のではなくて
いかに自分が心地よくそのツールを「使えるのか」が大切なんだと思います。


なので、反対にとても若くても全てを決めつけた自分の中の定規でしか物事をはかれない人は残念ながら歳をとった時に誰も相手にされなくなってしまう可能性があります。
そして、上手に年齢を重ねていった人は幾つになってもとても楽しく、色んなジャンルや、年齢や男女関係なく色んなお友達や、話せる人が存在しているように思います。


私は現在、人生が80年であれば折り返し地点位の年齢になりますが、自分がいつか60歳くらいになった時も、色んなジャンルの様々な年齢のお友達と話が出来ているような大人になりたいと思っています。