あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

被害者意識

【脱・悲劇のヒロイン思考】

メンタルの病んだ人に割と多い(健常者にも散見されますが)悲劇のヒロイン思考。


私も昔はガッツリ悲劇のヒロイン思考に浸っていました。


悲劇のヒロイン思考=被害者意識


なのですが、別にそれ自体がとてつもなく悪いと言っているわけではありません。
事実本当に被害者な部分もあるわけだし、自分を一定時間可哀想がって、「頑張った、頑張った、偉い偉い」と褒めるきっかけになる思考の一部であればそこまで問題はないように思います。


問題なのは、いつまでも被害者思考で、自分の行動を見返してみることもなく、全てを人のせいにする思考です。


自分が被害者なのは確かかもしれない。
でも、見る角度を変えると別の人には自分が加害者なのかもしれないし、もし、本当に被害者なのであれば、次回からどう被害を受けないように行動するのか?
を考えてなるべく被害を被らないように動く必要があります。


被害者思考が強くて、いつもいつも、誰かのせいにしている人は、その被害を被った時に最終的な判断を下してその道を選んだのは「自分だ」という部分が抜け落ちていることが多くて、結局毎回、同じ道を選んでは誰かのせいしてしまうので、ずーーーーーっと被害を被ることになってしまいます。


例えどんなクズと付き合おうと、誰かにお金を貸して逃げられようと、その人と付き合うとか、お金を貸すという判断を下して行動したのは自分なのです。


誰さんに言われたから、誰ちゃんがこう言ったから、という意見もありますが、あくまでもその人達の「アドバイス」をそのまま受け入れるか否かは自分の最終的な判断によるという部分がすっぽ抜けていると、永遠に同じような事が繰り返されます。


よく、誰かとどこか知らない場所に行く時に、いつも誰かに連れて行ってもらっていて道を全く覚えない人が居ます。
自分の最終的な判断を全て人のせいにするというのはそれに似たものがあります。
最後は自分で判断したはずなのに、人任せの意識が強くて、被害を被った事を反省して次に生かさないのです。


人間、ずーーーーーっと機嫌が悪かったり、この世の不幸を一手に背負っているような表情の人とはあまり付き合いたいと思わない事がほとんどだと思います。
そういう人に話しかけてくれる人は、最終的には興味本位で話しかけてくれる人がほとんどで、親身にきちんと話を聞いてくれる人はほとんどおらず、相手の興味が満たされればその人達はすぐに離れて行ってしまいます。


そして、たいがいにしてそういう人達の意見は、いい加減な事が多く、本当に真剣に貴方の事を考えて意見を述べてくれる人は残念ながら少ないです。


勿論、人間色んな打撃を受けて凹む事は多々あります。
でも、ただ凹むだけではなくて、その凹みを次回は凸に出来るように、存分に凹んだ後に何処の判断があまり良くなかったのか?
他に最善の行動はなかったのか?
を考えてみる事が大切ではないでしょうか。


笑顔で普段いられるようになると、相乗効果で、ハッピーな人や、耳が痛くてもちゃんとした真実をきちんと伝えてくれる人や、貴方がどんなに凹んでも浮上しても同じ温度で見守っていてくれる人達が自然と周りに居てくれるようになります。


傷の舐め合いは、とても甘美で楽チンですが、そういう相手は往々にして自分の気が済めば残酷にも貴方を見捨てて新しい傷の舐め合いができる相手へらと移動してしまい、貴方は二重にも三重にも傷つきかねません。


一時的にはそれでよくても、一生そういう友人しか周りにいなかったらやっぱり虚しくなるし、哀しいと思います。


先ず、自分の行動や、判断に責任を持って、他人任せにせず、失敗しても成功しても一度立ち止まって、なぜ、そういう結果になったのか?
を見つめ直すと、自然と悲劇のヒロイン思考から抜け出せて、楽しくなるかと思います。


悲しむのはとても大切な行為なので、勿論トコトン悲しんでから、見直して次回に生かしてくださいね。