あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

友人について

【変わらぬ温かさ】

私は病んでいた時期もその後もその前も人に嫌われることを極端に恐れる人格でした。
誰しも人に嫌われるのは嬉しいものではありませんし、できれば嫌われない方がありがたいのですが、何をどうしてもウマが合わない人や、何だかよくわからないけどとても不穏な空気が流れてしまう人、中には一緒にいると気分の悪くなってしまう人も居ます。


私は元々人見知りを全くせず、あまり人に対して先入観を持たずに話をする癖があるのもあって、明らかに見た目からすると絶対的に気が合わなそうな人ともお友達になったり、年下の人だととても懐いてくれる子も居ました。


何かを頼まれればなるべく期待に応えられるように自分なりにつとめて相手が喜んでくれるように振舞って居ました。


ただ、何をどうしても気が合わない人もいれば、残念ながらそういう風に振る舞う私を利用するように自分が困っている時や、何かをして欲しいだけにしか連絡してくるようになる人も何人か居たり、もしくは、いつも上から目線で何かを言っても全て否定してくる人も多くいました。
それでも、悩みを相談してくれたり、何か頼まれごとをしたりするのは相手が私の事を好いてくれていて、必要とされているからだとも思い、特に問題にも思っていませんでした。


それよりも、嫌われてしまうことが怖く感じていてように思います。


2016年に健康上に大きな問題を抱える可能性が出てきた時に、残念ながらそういう私を利用するだけの間柄の人や、馬鹿にしているような態度をとる方々はみんな、連絡が取れなくなりました。


その時に、私はとてつもなく不愉快な気分になって、今後の人生の中でこういう不要な不愉快な思いをもうしたくないと思い、彼女たちに「なぜ、貴方達と関係を断ち切るのか」を告げてから縁を切らせていただきました。


そこから約一年ほど経って、私は今更ですが気づいたことがありました。


それは、何か大きな問題や、健康上の不安を抱えていても、いつも変わらない温度で見守っていてくれ、傍に居てくれる人の大切さでした。


余程間違った方向に行かない限り、叱ることも、利用することも、気分が乱高下する事もなく、温かさが感じられる距離で、とりとめのない私の話を聞いたくれたり、一緒に遊んでくれたりするお友達たちの大切さを「無駄」を省いた事によってとてもハッキリ見えるようになり
そして、とてつもなく彼らたちに感謝を以前にも増してするようになりました。


相手に対して嫌われてしまったらどうしよう?とビクビクしながら、付き合うよりも、親しき仲にも礼儀ありな適切な距離感を保ちながら、通年を通して同じ温度で居てくれる、そんな人達に囲まれている自分はとても幸運に思いましたし、より一層そういう人達に対して感謝の気持ちを忘れずに大切にしていきたいと思いました。


そしてまた、私もそういう人達にとって、同じような温かく、通年を通して変わらずに見守っていてくれるような安心感を与えられる存在になれれば嬉しいなと思うようになりました。


誰しも、何かしら悩みがあったり、愚痴があったり、不安があったりするものですが、自分が弱っている時に、心の中でとてつもなく支えてもらえる存在にお互いがお互いになれれば本当にこれ以上の事の事はないなぁ。。
と思います。


その為にはまず、自分が落ち着いて、適切な距離感で相手と付き合えていけるように。
まず、自分が自分のことを把握して生きていけるように。
そして、誰かを馬鹿にしたり、頭ごなしに否定したり、利用したりする事のないように生きていけるように日々成長をしていければと思っています。