あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

信頼とは

【信じること】

今日は、私が母に対して違和感を感じたことについて書きたいと思います。


私は、生理痛がとてつもなく重かったり、様々なものにかぶれやすかったり、少し厄介な体質でした。


そんな時にお腹が痛い
とか
皮膚がかぶれて痒い
とか
一番最初に訴えるのはやはり母親に対してでした。


その時に母親からの返事はどんなことに対しても
「もっと大変な人はいる」「きっと貴方のは大したことない」
という返答で、胃痙攣を起こしても、救急車を呼んだりすることもなく、階段から落ちて歩けないと訴えても、病院まで歩けという母親でした。


結局のところ、足は骨折していて、ギブスがはめられましたし、生理痛は婦人科系の病気で、不妊気味と診断され、生理痛が酷すぎてなんとか病院に連れて行ってもらえた時は、医師に母親が「なぜ、こんなにひどくなるまで放置していたのですか?」
と聞かれる始末でした。


母親は未だに私が何か不調だったりで何かのお願いごとをした時に、まずそれを信じない
という特徴があることに気づいたのでした。


一番幼い頃から傍にいる人に信頼されないというのは、その後の人間関係を作っていく上でとてつもない、影響力があるように思えます。


結局私は今現時点では母親に触られたり、あまりにも近くに座られたりすると、哀しいかな、、蕁麻疹や湿疹が出てくるようになってしまいました。
もう、それは何か苦手意識が強いという類のものではなくて、無意識的にだと思います。


病気になって10年目くらいの時に祖母宅の掃除に母親と一緒に行った時に「過呼吸が起きそうだから、帰宅したい」
と母親に言ったら、熱を測ろうとした母親に私がとてつもなくビックリしてから母親に近くに居られると身体に異変が起きるようになりましたが、、、過呼吸はご存知の方も多いと思いますが、発熱等は通常の場合ほぼ関係なく、ビニール袋を口元に当てて、呼吸を整えるというのが、基本的な解決法です。
確かに親の前であまりそういう発作的なものを起こしたことはありませんが、私も10年病気だったのと、妹もそれなりに引きこもり期間が長かった事や、母親は心療内科的な本を自ら買ってきたりしていたので、まさかそんな行動を取ると予想できなかったのも大きかったかもしれません。


しかし、それほどに、母親は、私の病気を知ろうとはせず、そして、幼い頃からの私の不調のSOSを信じてくれることが本当に少なかったように娘としては感じました。


勿論子供であっても仮病を使って学校を休んだり、親の関心を引きたくて嘘をつくことはあると思います。


ここで、私があくまでも子供目線で物を言わせて頂くと、「なぜ、その子は嘘をつかなくてはいけなかったのか?」
ということです。
例えば、仮病であれば
何故学校に行きたくなくなったのか?
いじめられているのか?
友達と喧嘩をしたのか?
はたまた、宿題をするのを忘れたのか?


どちらにしても何かしらの理由があって、その子供は仮病使わざるをえなかった状況だったということです。


親の関心を引きたくて嘘をつく。
ということは、何かしら親の関心がその子供からそれている、「親が見ていてくれない」という不安を子供が抱えているからではないでしょうか?


100%嘘をつく子供が悪くないと言えばそれはまた違うと思いますし、嘘をつくことは自体は悪いことだと思います。
嘘をついた事についてはきちんと「いけないことだ」と教えるのも親の役目だと思いますが、「何故その子供が嘘をつかなければいけなかったのか?」にもできれば目を向けて欲しいのです。


そして、次回そういう状況に置かれた時にその子供が嘘をつかずに正直に親に「◯◯だから学校に行きたくない」と言える関係性を作ってもらえたら親も、頭ごなしに叱ることなく、その事柄についての解決方法を子供と一緒に考えることもできますし、親子のコミュニケーションも少なからずとれると、私は考えます。


そして、その関係性を深めるためにも、まず親が子供を信じてあげることが大切ではないだろうか?と思うのです。


結果としては私は何か問題が起きた時、苦しい時、余程の事がない限り親には頼らなくなりました。
それは以前癌の疑惑が上がった時も、治療費を親に相談するつもりも起きないくらいに親に何かを伝える気持ちすらなくなってしまうのです。


多分相手を信じるという事は親と子供だけの関係性ではなく、恋人や夫婦や友達との関係でも大切なことだと思います。


相手を信じて初めてその人とのおつきあいが始まるのかもしれません。
逆を返せば、相手を信じる事が出来なければ、何十年来のおつきあいの人でも根っこでは繋がっていないという事になると、私は考えます。


相手を信じるという行動は、時に騙されたり、裏切られたり悲しい事もたくさん起きてしまいますが、全く人を信用できない状況で人間関係を構築しているのであれば、自分も相手には全く信頼されていないという事を頭の中で理解して納得した上でその相手の方と付き合っていく必要があるという事です。


自分は信頼しないけど、相手には自分を信頼してほしいなんて都合のいいことは起こりえないのです。
そういった関係性はどこかに歪みがあって、どっちみち破綻してしまうのですから。
それで良いと自分できちんと把握した上でもし相手に裏切られても、文句を言わないで付き合えると言うのであれば、私は止めません。


大人になればなるほど、心から信頼できる新しい関係性を構築できる人を見つけるのがとても困難になります。


幾つになってもそんな風に信頼しあえる関係性を保てるような新たな出会いがあると良いですね。