あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

お母さんと孤独

【妊娠・出産と社会との関わりについて】

私は出産した事はありませんが、周りに妊娠・出産をして子育てをしている友人は割といます。


世間的には、「既婚者 子持ち」と「独身者 キャリア」は割と仲が悪く書かれたり、相性が悪く書かれたりする事が多く、その文章や、双方の話を聞けば、わからなくもない意見も勿論多々あります。


今回はそちらへの掘り下げは行わず、子供を身篭ってから、出産を経て、子育てをしている女性と話していた時に私が気がついた事を書いていきたいと思います。


あくまでも、私が感じた事なので、全ての方に当てはまるわけでもないですし、違う意見の人もいると思います。


私が彼女たちと触れ合っていて感じたのは、妊娠時もものすごく大変なのは言うまでもないのですが、出産後の大変さの壮絶さとか、出産後の彼女たちと会ったり、話したり、メールして感じた事と、思った事を、今日はまとめていきます。


私が思ったのは、社会的に、「妊娠時」はお腹が出てきたり「見てわかる変化」があるので、周りもそれなりに気を使い、「妊婦ビジネス」も最近は盛んになってきて、世間的にも少しずつ「妊婦さん」の扱いが昔に比べれば少しは改善された部分もあったり、使い勝手の楽なグッズが出たりと僅かではありますが、ほんの少しは過ごしやすくなってきたり、周りの理解も少しは得やすくなってきているように個人的には感じます。


身近な妊婦さんを見ていて、出産後の彼女たちと決定的に違うのは、情報収集力の違いでしょうか?


妊婦さんは身体的にはとても苦しいですし、色んな不自由も生じて、どんなに便利なグッズが出来たとしても、本調子で快適!ってほどに調子が良いのか?って、聞かれればそうではないと思います。


ただ、仕事や家事に追われていたとしても、以前とは違うペースであったとしても行動する事柄を「自分のペース」で動ける。
故に、妊婦さんにどんな食べ物がいいのか?
とか
どんな環境がいいのか?
とか
どんなグッズが便利なのか?
とか、、、
スマートフォンや、インターネットや、雑誌なんかで、妊婦が色んな世間の情報を集める事が自らの手でできる事。


子供を出産してからの彼女達との違いはこの部分ではないだろうか?
と私は感じます。


子供が生まれると、まず、自分のペースで何かを行う事は出来ません。


全てが赤ちゃんとそして旦那さんのペースで日常が進んでいき、世間もそれを当然としてみている部分もありますし、むしろ母親である彼女達が赤ちゃんのペースではなく、彼女自身のペースで何かを行おうとしたら、白い目で見られる。。なんて事も多くあると思います。


そんな、「自分」のペースではなく全てが「自分ではない誰か」のペースで進んでいく生活の中で、産後の体力や、身体的な変化等にも驚きながら、言葉の全く通じないそれも理不尽な要求ばかりされ、そして、それに対して不当を訴えても本人はおろか、周りにも理解が得られない状況下だと、彼女達は「何かを調べる」「何かの情報を得る」という場面からとてつもなく、遠い場所。
に置かれます。


「え?スマホで調べればえーやん」って思うとおっしゃる方もいると思います。


24時間稼働で、赤ちゃんが寝てる時間は家事に当て、そして、細切れの睡眠時間なので母親自身も寝ないとお乳も出なくなりますし、家も何もしないわけにはいかないので、ある程度は荒れ放題でも、旦那さんや自分のご飯を作ったり、洗濯物をするわけです。
そして、睡眠時間は三時間おきくらいしかない。。。
そんな状況下で、貴方は何かを調べようという気力が湧きますか?


という事なのです。


例え調べられたとしても、必要に迫られた、今晩の献立。
とか
どこのスーパーが安いかのチラシ
とか
純粋に彼女だけが欲しい情報を調べる。
集める。何かを得る。
なんて時間が無いわけです。


私が彼女たちと会うという時間を設ける時に、衝撃的に感じたのは、子育てに忙しすぎて、suicaPASMOの存在や、購入の仕方を知らなかった事。


寝ている乳幼児を抱っこしたまま、切符買うの大変なんだよ!って怒られた時でした。


私が「suicaは?」
って言ったら
「え?何それ?どこで買うの?」
と聞かれたのです。
その会話をしたのがsuicaが導入されたばかりでも全くなく、既に私達が30を過ぎていた頃の話なので、コンビニでも当たり前にレジでsuicaなどの決済が出来た時期です。


その時に彼女は、suicaの存在は知っていても、
それを自分が利用して電車に乗る。
例えばどこで買って、いつチャージできるのか?
なんかの知識を得る場所がなかったのです。


赤ちゃん生みたてのお母さんは電車とか乗らないもんね。
って言う方もいると思いますが、彼女は毎月病院にバスや電車を乗り継いで通っていたのです。


娘ちゃんは既に3歳でした。


彼女は、たぶんsuicaを利用して改札を通っていたり、バスに乗る人たちを横目で見ていた筈なのです。
でも、それが何なのか?
自分も使えるものなのか?
そういう情報を耳に入れる場所が子供を育てる事に必死すぎて、情報を得る場所も、調べる事も、そのもの自体を知る機会すら、余裕がなくなっていて、何もできなかったのです。


そして、彼女達を養っている旦那さんは奥さんがそんなに世間の情報から遠ざかった状態で子育てをし、家事をしているなんて、考えても勿論いないので、教える事すらもない。。。


その間彼女は、幼い子供を連れて毎月遠くの病院まで、切符を買う時にとても苦労しながら子供が生まれてから3年もの間一人で頑張って通っていたわけです。


毎日睡眠不足で、やる事満載でBGMのように流しているニュースやワイドショーの内容なんて、頭に入るわけもなく、ましてや自分の時間も無ければ、インターネットで何かの最新情報を読むわけでも無ければ、子供や家庭のためになる情報意外に何かを特別に調べたりする機会はとても減ります。


特に専業主婦の人は外部の人と接する時間が極端に減るので、働いているお母さん達より余計に何かの情報や、外部の人と接したり、触れたりする時間がほぼゼロになるわけです。


もちろん、働いているお母さん達の方が時間がない!っていう事実もあります。
ただ、赤ちゃんと接していない時間は専業主婦のお母さんより数時間は確保されるわけです。


自分が自由に使える時間 は確かに働いているお母さん達は減るとは思います。
ただ、そういうお母さん達に見られるのは、
「限られた時間をいかに有効利用するか」
ということを身につけている。


自分に使う時間はなくても、家族に使う時間も限られてはいるので、家事をいかに効率的に週末だけですませるか?
とか、時間的にどういうローテーションで子供のお迎えからお風呂夕飯作りまで頭の中で考えたりもします。


そして、働いているお母さん達には何より、家庭の人以外のアルバイトや、パート仲間や、仕事場のボスやら、、、接客業ならばお客様とか、とにかく家の中の人以外との接する時間があるわけです。


仕事をしていても、理不尽な理由で手を止めなければいけない事ももちろんありますが、子供のように言葉も通じない相手にいきなり脈略もなく、全ての予定が潰されるという事は、稀にあるかもしれませんが、仕事においては、おそらく毎日そういう状況に置かれる事は少ないように思います。


子供と触れ合っていない時間をもって、何かしら自分で行っている。
という時間はとても大切なように思います。


もちろん、仕事をしていても
「◯◯ちゃんの、お母さん」と言われる仕事先もあるとは思いますが、基本的には「彼女自身」として扱われる職場が多いと思います。


勿論、自分だけの時間は少ないのですが、周りに目を向ける時間を持つ。
という意味ではおそらく働いているお母さん達の方が多いように思います。
それはやはり、家庭内だけの世界に留まらない時間がほんの少しでもあるからではないでしょうか?


自分の視野や、世界を広げる事は「お母さん達」に限った事ではなくて、全ての人に大切な事に思っていますが、家庭内だけの生活をしているお母さんになったお友達は「自分が世間から取り残される不安感」と「自分が自分でなくなる不安感」と常に隣合わせの世界で、でも、忙しくて、視野をどうやって広げていいのかもわからず、不安感だけが取り巻く。。。
という人が多いように思います。


でも、それは彼女達が悪いわけでもなんでもなくて、むしろ周りがサポートして、一緒に子育てをしていく事が大切ではないのではないか?と私は感じています。


子供が生まれる事によって、仕事にやる気が出て、仕事をバリバリ頑張るお父さんもいます。
勿論お仕事をしてくれなければ、家庭は成り立たないので大切ですが、子供を育てるのはお母さん一人ではないはずなのに、作るときは二人だけど育てるときは1人。
という家庭が少なくありません。


別に今もてはやされている
イクメン」になる必要はありませんが、
私が思うのは、そういうお母さん達が
とてつもない「孤独」を抱えている事が多いのです。


子供にも恵まれて、旦那さんはお仕事もバリバリ忙しくて、、、
多分周りから見たらとても羨ましがられたり、羨望の眼差しで見られる状況かもしれまさんが、彼女達は誰よりも孤独で、たった1人で生活しているのです。


でも、周りからはその孤独は理解されないので、誰にも話せない。
でも、自分が自分ではない人間になっていくような気がする恐怖はなくならない。


そんな風に周りで見ていた私には映りました。


お友達でできる事は限られています。
会っている数時間だけ子供と遊ぶ。
彼女達の話を聞く。
彼女達が普段入るのを躊躇うようなお店に連れて行く。


お友達でできるのはせいぜい「数時間の気分転換」それだけです。


やはり、家族や、一番近くにいる旦那さん達のサポートが無ければ、彼女達の孤独はどんどん深まっていくと思います。


あまりに孤独が深まればそれはもう「数時間の気分転換」では晴れる事はなくなり、カウンセリングや、心療内科などの専門機関に行かないと永遠に闇の中を彷徨ってしまって、日常生活が送れないレベルになってしまう事も多々あります。


子供が生まれて、家族が増えるのは望んでいた夫婦であれば喜ばしく、周りにも祝福される嬉しい事のはずなのに、いつの間にか日常生活が送れなくなるほどに精神が破綻してしまったら、これほど悲しい事はありません。


そして、そんな苦しんでいるお母さん達を見て、子供達はもっと深い闇に足を踏み入れてしまう事もあるわけです。


そんな悲しいループが永遠に続いてしまったらこんなに悲しい事はありません。


私はお友達として、できる限りの事をできるように心がけるしかできませんが、もし、周りにそういうお母さん達が居たら、闇や孤独が深まる前に、お友達であれば、お友達でできる範囲の事を、家族であれば家族でできる事を、旦那さんであれば旦那さんでできる事を、是非してあげてくだい。


何にも特別な事はしなくていいのです。
数時間子供を見ていて、お母さんがゆっくり1人で、昼寝をする。
ゆっくり1人で、お気に入りのDVDを見る。
ゆっくり1人でリビングでコーヒーを飲む。
ゆっくり1人もしくはお友達とお茶に行く。
ゆっくり1人で本を読む。
ゆっくり友達と電話をする。


子供を寝かしつけた後に
旦那さんとゆっくり話をする。


たったそれだけでも、お母さん達の孤独感が少しは薄れます。


私にはできる事が少なく、そして、女性ならではの「もう私には産めない」「羨ましい」という、気持ちももちろん入り混じってしまう事もあります。


何より、2人で子供が欲しいと願って作ったのだから、たった1人ぼっちで子供を育てさせようとせず、お父さん達が稼ぐ以外に何をしたらいいのか分からなければ、ただ、奥さんの話を聞いてあげる時間を設けるだけでも違ってくると思います。


お母さん達が笑顔で、健康に子育てを出来たら、それはゆくゆくは、そのお母さん達に育てられた子供達も健康に育っていくという事です。


お母さん達が孤独で、闇をどんどん深めながら育てられたとしたら、それは、子供は必ず空気を読み取ります。
それは悲しい事にそのうちの何人かは、いつかこころを病んでしまう可能性があるという事です。


自分の子供が鬱病でもしくは何かしらのメンタルの病で苦しむ事を望む親がいるでしょうか?


私が思うのは、お母さん達もお父さん達も、そして将来大人になるであろう子供達も、生きていく上でのいくつかの問題を乗り越えて、それでも、たった1人ぼっちという気持ちを味わう事なく、生きていって欲しいという事です。