あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

造ること

【私が感じたメンタル治療】

メンタルの治療は、私の経験的な感想としては、それまで自分の人生で培っていた判断力や、過ごしてきた中で育ってきたプライド等を一旦全て壊して全くの更地にしてから、また家を建てる為に自分でレンガを一つ一つ積み上げて少しずつ、少しずつ自らの家を造っていく作業であると、私は感じました。
治療が終わったら家造りが終わるわけではなく、治療を終えてやっと家の基礎が出来たくらいで、その後の人生を過ごしていく中で一つ一つ積み上げてその人生が終わりを迎えるまで、ずっと進化しながら造っていくものなのであろう。
ということです。
多分「治療が終わったら、全部終わり!」でその後本人の成長していく意志が無ければ、家は永遠に建つ気配もなく、結局またいつか何かしらの壁にぶつかった時に自分のダメージに気付かず、いつのまにかまた闇の中に迷い込んでしまい、再度イチから更地に戻す作業を繰り返していくだけなんだと思います。


今現在の私は、治療のお蔭もあり病気以前では出来ない思考や自分の意思を端的にではなく、分析した上で何らかの判断を下す事も出来るようになりました。


ただ、一つ治療の影響として「自分の判断が果たして客観的に見てもおかしくないものなのか」については、どちらかと言えば自信を持てない事柄が増えた事もまた、事実です。


病気になる以前の私はどちらかと言えば世の中には「善と悪」「白と黒」しかなく、自分がおかしいと感じた事は誰しもがおかしいと感じるに違いないと、決めつけてしまう事が多くありました。
メンタルの治療をしてからは「世の中にはグレーゾーンもある」事や「必ずしも、物事は自分と同じ様に他人にも見えるわけではない」事「物事を多角的に見てから判断する事」等が理解できて、昔程物事を決めつけたり、自分の考えだけを正義として相手に押し付ける事は少なくなってきた様に思います。


ただ、メンタルの病気になる前の自分の考え方や判断。
また、病気中の一番酷い症状だった頃の破茶滅茶な自分を知っているからこそ、たまに「この、自分の考え方は一般的な事柄からかけ離れているのでは無いだろうか?」と分からなくなってしまう事があるのも事実です。
それはおそらく、病気中に壊れたメンタルが酷い壊れ方であればあるほど、造り治した自分との落差が激しければ激しい程、フトした時に「あれ?これはもしかして一般的な判断からはみ出してる?」と自分の考え方に自信を持てない時があります。


今現在の私はその時々で自分に余裕があれば、直ぐに判断を下さずに、自分なりにじっくり考える+男性・女性共に信頼できる人に「客観的な意見を聞かせてください」とお願いして事柄を何かしらの手段で伝え、相手の意見を聞いた上で、再度自分の中で判断を下す。


という作業をすることにしています。
少し、自分に自信がなさ過ぎるのかな??とも感じますが、急いで決めなければいけない事で無い限りは、自分で納得した上で判断した方が後々悔いが残らないかなぁ。
と思うのですが、人によっては「なぜ、ストレートな感情のままに動かないんだ」とか「何事も分析してからでないと決められないのか」とか「感情が見えにくい」という風に受け取られることもしばしばあります。


私の今後の課題としては、人間としていかに成長しつつ、誰かに聞かなくても自分の判断に少しずつでも自信が持てるようにする事なのかな。
とも思えるようになって来ました。


本人が諦めない限りは、どんな形であっても、人間は成長出来るのかもしれません。