あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

暗闇の中で

【手当の仕方】

 

昔、メンタルの調子が一番良くない時期の私は本当に真っ暗闇の中を必死にどこが前なのか下なのか、右なのか左なのかもわからないまま、もがいてどうにかしてとにかく前へ進めないものかとがむしゃらに闘っていた時期があります。


その頃には、例えば誰かと接していて不要意に傷つけられる言葉を投げつけられることもしばしばありましたが、私は傷つける言葉という矢がどこから放たれるのか、そして、どこから狙われているのか、それよりも自分が攻撃されているのか、怪我を負っているのかすら気づかない程にただがむしゃらにもがいていた時期が年単位で存在しました。


決してその時期が無駄であったとは思いませんし、その時期のおかげで、自分が傷を負っている事、手当が必要な事。
攻撃して来る言葉を放つ人物が誰なのか。などを把握する事が出来るように思います。


ただ、気づけるまでにかなりの時間を要し、その分手当も遅れ、結果的にメンタルの治療が長引いた。
という結果も事実です。


今現在の私はほぼ穏やかな日々を、過ごして暮らせていますし、勿論親と交流する上で不要意に傷付けられないようになるべく物事を把握して、攻撃対象になりそうな事柄から逃げる力もつきました。


しかし、脳みそが様々な症状を、乗り越えて「大丈夫だ」と判断すると昔辛かった記憶をわざと思い出させないようにしていたブロックの鍵が外されてしまう事もあるので、自分ではそんなに傷ついていなかったと思っていた事柄を不意に思い出して、急に悲しくなったり、苦しくなったり、また、傷つけて来る当人と接しているうちに昔を思い出して気分が悪くなってきてしまう事もあります。


言ってみれば「古傷が痛む」感じになるのです。
もしくは、治っていたはずの傷にまた膿が溜まって切開して膿を出してあげないと、どんどん膿が溜まり続けていつかまた、破裂してしまう場合もあります。


そう言った場合に、自分でその膿を出して手当をする仕方を把握しているかしていないかによって、再度通常運転の生活レベルまで浮上してくるまでの時間が異なってきます。


手当の仕方は勿論人それぞれ異なります。
例えば、何かものスイッチを切ってとにかく眠る。
という人もいれば、誰かに話を聞いてもらう。
という場合もあるでしょうし、とにかくわんわん泣く。
という場合もあるでしょう。


気分転換と若干似ているようにも思えますが、気分転換と違うところは「なによりも自分の感情に素直に行動する」事でしょうか。
普段、穏やかな生活を送っていればいるほど、気分の落ち込みや、自分が意図しない涙が突然流れてくるなど、通常であれば、マイナス要素に見える事柄が起こるとなんとかその状況を打破して元の穏やかな生活に戻るようにと、不安をなくす頓服薬に頼ったり、泣く事が悪いことのよう感じて、泣くのを我慢したり、周りに勘付かれないように明るく振舞ったりしてしまう場合が多いのです。


そうすると、表面上はまるでいつもと変わらない状態に戻ったように自分では思えても、結局はその時に蓋をしてしまった傷は自分の気づかないうちにジクジクと悪化し、知らない間に余計な膿を更に溜め込んでしまう事になりかねないのです。


私も、つい最近までは気分が落ち込んできたり、意識していないのに急に涙が溢れてきてしまったりした時に最初は「これは異常だ、何か対処してこの落ち込みや涙を止めなくては」と考え、主治医に頓服薬を処方してもらえないかを打診した事もありましたが、主治医の答えはノーでした。


それは、脳みそがリミットを解除した為の過去の悲しみであり、やっと自身でその事実を受け止めた瞬間でもあるため、存分に悲しみ、泣き喚き、そして落ち込みましょう。
と言われたのです。
私はとてもびっくりしました。
まるで、自分の病気の状態が悪化して後戻りしているんじゃないかと思うほどに調子が悪くなる時期もありましたし、食事をしている時に何も意識していないのに勝手に涙がボロボロと流れてきた事もあります。


それでも、それは過去の暗闇の中で必死にもがいていた時の涙や悲しみ、落ち込みとは明らかに種類の違うものだ。
と、恐る恐る感情の流れるままに眠り続けてみたり、涙が溢れてきても無理に止めず、そのまま泣いてみたりしたところ、悲しかった事実をきちんと再認識し、受け止め、冷静になれる事に気付きました。


悲しい事柄や昔の記憶がそのように自分なりに手当てをしたからと言って、悲しみが消えるわけでも、無くなるわけでも勿論ありません、悲しいものは悲しいのです。
でも、それで良いのです。
悲しい事柄を悲しくないと自分の感情に蓋をする事で病気になった私たちにとって、例え10年前のことであっても、きちんとその事柄を悲しい事と認識して悲しむ事が出来たことこそが、治療の効果の現れなのです。


そうして、自分の手当てをした後は、浮上時間が昔に比べて遥かに早く、そして自分自身もほんの少し気持ちも楽に、人間的に成長して通常の生活に戻れるのです。


これを読んでくださっている方々が、ご自身なりの手当てを見つけられ、そしてイザ、脳みそのリミットが外れて悲しみが襲ってきた時に、存分に悲しむ事が出来ることを願っております。


多分、その悲しみの闇は昔の真っ暗闇とは全く違うものなのですから。