あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

勇気とは

【見捨てる勇気】

メンタル系の病の人に関わらず「自己評価」の低い人に良くみられる行動で「承認欲求を欲するあまり、友人や恋人、家族の為に奔走し、ボロボロになってしまう」行動を繰り返してしまう場合があります。
いわば「共依存」のような関係になって、相手の人に振り回されていたとしても、相手に尽くして居る自分や、相手に必要とされる自分の姿に酔ってしまい、結果的にお互いに、ボロボロになってしまう状況です。


メンタルを病んでいようが、病んでいなかろうが、その行動を行なって居る本人が心からその相手を支えることが幸せでHAPPYであるならば、私は別に構わないと思うのも事実です。
ただ、そういう「自らの自己評価が低いあまりに、自分の承認欲求を満たすために人に尽くす」という行為は、結局のところ見返りがなければ段々と不満だらけになり、尽くされて居る相手からすれば「頼んでもいないのにそっちが勝手にしてくれただけでしょう?」と感謝の気持ちすら持たれていない事も多々あります。


結果的にその関係は、悲しい結果に終わってしまう事が、ほとんどで、お互いがお互いに傷つけあってしまい、心の闇はどんどん深まるばかりなのは確かです。


以前の親との関係性で書いた事もありますが、たとえ親と子であっても自分以外の人間を変える事はほぼ、不可能に近いと私は思っています。
私の力で私でない誰かを私の中にあるビジョンにあるのと同じように操作することは不可能です。
ただ、例えば私の働きかけ、相手への態度によって、相手が相手自身の中で「変わりたい」と思えばそれは、変わる可能性はあると思います。
ただ、それはあくまでもその相手自身の気持ちが「変わりたい」と動いたからこそ変わるわけであって、周りの人間がいくら騒いだり、暴言やアドバイスをしたところで、相手の心へ響かない限り相手の根本は変わりませんし、むしろ「煩わしい事を言う嫌な人」として扱われてしまう可能性もあります。


人間誰しもいつ、どのタイミングで友人や恋人になる人と出会い、どれだけの関係性を深めていけるかはわかりません。
子供から大人へ成長していくに連れて、自分が属するコミュニティの規模も段々と大きくなっていく中で、友人もその分増える人もいれば、友人は昔からの知り合いのみで知り合いだけが増えていく方も居る事でしょう。
どちらが良いわけでも、悪いわけでもなく、古くからの友人であっても、残念ながら、人を利用するだけにしか思えない思考の人が、存在するのも事実です。
また、恋人となると自分自身の中に相手への好意が存在する為、あまり良くない事だと理解していても、相手のワガママに答えてしまう事も多々あると思います。


勿論、それが心から嬉しくて、相手に見返りを求めず、お互いに支え合っていける仲であれば、なんの問題もないと思います。


問題はそうではないと自分が気付いた時。
その時にその相手や周りの人の評価を気にして、その相手を見捨てる勇気が持てない時です。
「見捨てる、諦める、縁を切る」どれもマイナスな言葉ではありますが、他人を利用し、その事柄について「利用」して居ることに気づかず、利用できないと分かるとすぐさま風評被害を周りに吹き込んだり、非難の言葉を浴びせかけたり、突然縁を切られる人間も残念ながらこの世には存在するのです。
そういう人達は私の経験上でしかありませんが、大体にして距離感を保つのも苦手ですし、こちらが距離感を保とうとしても物凄いスピードで近づいて離すものかと食らいついてくるのも事実です。


そんな時は、先程上げた 見捨てる、諦める、縁を切る
の三つの言葉の中に当てはまるどれかで、自分の中で相手に見切りをつけて違う方向を向き、走って逃げてしまうのが一番です。
その方が相手も余計に傷つかずに済みますし、自分自身も守る事になり、完全に距離感を保てたり、逃げきれたり、縁が切れたり、相手に対して諦めがつけたり、してから自分の心理とじっくり向き合えば良いのだと思います。


次に出会えた人とお互いに、ベストの距離感で互いに助け合えるようなそんな関係性を築けるように、残念だった出会いは、その為の自分を見直す機会だったと思って進んでいければ最高にハッピーだと思います。


勿論、何かしらの縁で知り合った人なので、縁が切れたり、嫌われたり見捨てたり諦めたりする事は少なからず自分も傷つきますし、相手も傷つきます。
楽しかった思い出もあれば、相手をとても好きだった時間があったのも事実です。


ただ、その関係性から抜け出せなくなってフト気付いた時に身動きが取れなくなり、心身共に疲れ果ててしまうと、病でなかった人でさえも、病になってしまったり、元々病んでいた人は以前とは比べられないほどに症状が悪化してしまう事がほとんどです。


そういう悲しい事が起こらないよう、マイナスイメージの言葉や行動にも意味がある。
というお話でした。