あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

知らないどこかで

【無意識の攻撃】

人は誰しも、誰かしらと話す時に無意識的であっても、意図的にであっても、相手との円滑な人間関係の為になるべく相手が傷つかないような言葉を選んで喋る事があると思います。


勿論、気の知れている親友だったり、距離の近い親兄弟であれば、相手が傷つくであろう事であったとしても、間違った行動や思考、間違った方向に進もうとしている場合にはキチンと指摘する事も大切ですし、相手との距離感によっては遠慮なく物事を言える関係というのも存在すると思います。


そういった相手をお互いに思いやった上で、厳しい事を言っても縁が続く仲というのは素晴らしいものだとも、私は感じています。


ただ、世の中には相手の事を考えているわけでも、傷つけたいわけでもなく、無意識的にそれでも確実に傷つく言葉を口に出す人も多々存在するのも事実です。


相手が意図的に傷つく言葉を自分に対してぶつけている時は、例えその言葉がどんなに理不尽な言葉であったとしても、その言葉を口にしている本人も多少なりとも「相手を傷つけている」という意識やその言葉を発する事によって「そんな事を発言してしまった」という少なからず自己嫌悪や、その人自身も傷つく場合もあります。


無意識的に吐き出された言葉の場合に一番悲しいのは、言われた方はとてつもなく傷つき、どれだけ期間が経とうとその言葉をかけられた事実を忘れる事は出来ませんが、無意識的に発した方はなんの気持ちも理解していない為、何度でも同じように相手が確実に傷つく言葉をいつまででも何かしらのキッカケがあれば形を変えて発する。
という事実です。その場合に、言葉を投げかけられた方は、その度に傷つき、そしてその手当を自分でする以外に方法がありません。
相手に対して「言葉で傷ついた」と伝えたとしても、逆に相手は逆上して怒りだしたり「そんな事を言っていない」という言った・言わない問題に発展したり、どちらにしても、言われた方は余計に傷つきさらに深い傷を負う事は確かです。


ハッキリ言ってしまえばその「無意識的に傷つく言葉を発する人」に関して言えばその方の暴言が忠告やアドバイスによって直ることは決してありません。
大変残念ながら、人間「癖」のように無意識的に行なっていることに関して意識して直すというのはかなりの至難の技になります。


かと言って、無意識的に暴言を吐く人から物理的に離れられる場合には良いですが、人間関係的に何をどうしても離れられない縁や切る事のできない関係の人間という場合も勿論存在します。


その場合には、残念ながら、不意打ちに備えて該当する人と喋る際にはいつ傷つけられる言葉を吐かれても平気なように構えて付き合う、もしくは不意打ちにあったときに速やかに手当をできる方法を用意しておくほかありません。


そうやって自分で自分を守る方法をいくつか作り出しておく事が将来的にとても助かる事に繋がっていくのだと、私は考えます。