あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

偉くて偉くない

【役目とは】

ある時、友人と電車に乗っていた時に建築業の方が向かいの席でどっかりと脚を広げて座られて居たのを見て「なんで、ああいう職業の人達って皆んな威張ってるのかな?別に人として偉くもなんともないのに!」と発言していた事があり、とてもビックリした覚えがあります。

 

確かに、たまたまその場にいた建築業の方はマナーが悪かったかもしれません、ただ、マナーが悪い=偉くもなんともない は結びつかないし、私からすればそれぞれの職業はどれも、どの職業は偉くて、どの職業は大したことない。。なんていう差は特に無いと考えていたからでした。

建築業の方が居てくれるからこそ、私たちは屋根や壁のある「家」という建物に住む事が出来、具合が悪くなったら駆け込む病院も、国を動かしている政治家の人達が討論を交わす場も、その建築業の方々が働いてくれなければ当たり前に行えるであろうはずの場所が存在しなくなり、仕事として100%満足のいく仕事が出来なくなるわけです。

 

じゃあ、無職な人はどうなのさ?

となりますが、例えば「お母さん」という肩書きは、世間一般的に見れば「専業主婦」や「専業主夫」だったり勿論「兼業主婦」や「専業主夫」も存在しますが「職業」という点で言えば「無職」の部類に属する人が存在します。

そうだったとしても「お母さん」や「妻」という存在が居なければ「お父さん」や「夫」という人は朝起きてから会社に行くまでの間の朝食や、会社に来ていくワイシャツが当たり前のように洗濯されていたり、靴下や、ネクタイがちゃんと清潔な状態で用意されていることはないでしょうし、その全てを「お母さん」や「妻」が行なってくれているからこそ「家庭」という仕組みが正常に機能してまわっているという事がしばしば忘れられてしまい「お母さんがご飯を作る事は当然の事」だったり「部屋が掃除され、洗濯物が洗濯されて清潔な状態を保たれている事」が当たり前の事の様に感じてしまい、外の会社でお勤めしている人だけが「偉くて立場的に上」というように扱われる事も少なくありません。

 

私のように、行政の助けを受けていかなければ自力で生活できないような人間であっても、必要としてくれる「誰か」は存在してくれていて、私は私という人間として存在する事によって、私を必要としてくれる人達が安心してくれたり、癒されてくれたり、明日を生きるエネルギーを蓄えてくれたりするわけです。

勿論その逆も然りで、私は私を必要としてくれている人々の存在のお陰で自分を必要以上に卑下する事もなく、私もその人々から元気や勇気や、生きていく力を貰って生きています。

 

仕事や、立場や、肩書きというものは確かにその人を映し出す重要な手がかりの一部にはなりますが、それによって「この人は偉い人」「この人は職業が大した事ないから雑に扱ってもいい人、偉くもなんともない人」なんて分類をしていたら、結果的にはその人を映し出す「一部」だけを見て決めつけている事になり、その人の仕事の内容や、成果、そしてその人の人となりを知らないままに勝手に優先順位をつけて周りの人を扱い、知らない間に自分にとって大切な人を失ってしまったり、自分が勝手に「偉い人」と決めつけていた人にとても傷つけられてしまったり。。

と、残念な結果を迎えてしまう事も少なくありません。

 

勿論、残念ながら人を殺してしまったり、罪を重ねてしまう人間も存在しますが、基本的に「無駄な人間」きこの居なくても良い人間」は存在しないと私は思います。

人間は、本気で死のうと思えば割と簡単に死んでしまう生き物で、私も実際に友人を自死という形で失った事があります。

私自身が病気の症状があまりにも酷い時には自分で自分の命を断とうと試みた事も本気でありますが、結果的に私は現在も生きているので、亡くなってしまった友人と何が違うのかは未だ私にも分かりませんが「何かしらの生きる意味」があるから、今も自分は生きているのであって、それは、決して独りぼっちで生きているわけではなく、周りの色んな人達に支えられて「生かされている」のであろうとも思います。

それならば、生かされたい人命を大切に、無職である自分をいつまでも嘆いたり、悲しんだり、蔑む前に与えられた範囲の中でいかに楽しく、人生を送っていくのか、それがきっと私に与えられた最大の課題なのではないだろうかと思い、今日も生きています。

 

どんな事でも、不平や不満を言うのは容易い事ですが、自分が置かれた状況の範囲内でいかに楽しく、自分を楽しませながら幸せを感じて生きていけるのか、は割と難しいけれど、とても楽しく、周りにも嫌な気分を撒き散らす事なく、自分も楽しく幸せを感じながら時を重ねていく事が出来るのはとてもありがたい事だと思いますし、実際にハッピーに過ごせます。

 

私は未だに自分が何の為に存在しているのか、どんな役目を担ってこの世界で生活していけているのか、、については解明できていませんが、悲劇のヒロインよろしく、自分を憐れみながら生きる時期も通り過ぎて、今はとても楽しく日々を送っています。

どんな職業にも、どんな人間にも何かしらの意味はあって、どんな仕事だから偉くて、どんな人間だから偉くない。

なんて事はありません。

 

自分に自信を持つ事はとても難しい事ですが「自分は存在してはいけない人間なんだ」と思わなくなるだけで眼に映る様々なものや人や時間が自分の中の気持ちがだいぶ過ごしやすくなる事は確かです。