久しぶりの更新となりました。
現在は2020年7月18日
世界中がコロナ禍で、首都圏は第2波に襲われている渦中ですが、そんな今日。
これからが楽しみだな〜と思っていた俳優の三浦春馬さんが亡くなりました。
私はSNSでこの事を知り、その後は特に報道番組等は見ておりませんが、三浦さんは自殺だったそうで、様々な報道番組や、週刊誌やらの報道合戦が週明けから始まる事でしょう。
それを見ても私個人としては余り意味がないと思っているので、見る予定はありませんし、どんなに事細かな三浦さんの情報を得ても彼が亡くなった事にかわりはありません。
これは、勝手な憶測ではありますが、報道のカタチとして「世の中への影響を。。。」とか「身内の方やファン方への影響」について、色々と語るコメンテーターの人が沢山出てくるんだろな。。
ってのだけは想像がついています。
で、ここで私が言いたいのは。
「自殺しようとしている人は、周りに与える影響なんて考えられる余裕はない」
「例え、どんなに地位や、名誉や、富を得て色んな一般常識を持つ人であっても、その時は死の事しか考えられない」って事。
なんだ、そんなこと?
って思うかもしれませんが。
「そんなこと」が本当に人を「死ななくては」という思考にし、本気で簡単に人は死にます。
私は恥ずかしながら過去に5回ほどICUに運ばれるレベルの本気の自殺行為をした事がありました。
一度、ICUの個室で目が覚めて病室の天井が見えた時は「まだ、死んでない!死ななくては!!」と、必死で体についている点滴やらなんやらの管を引っこ抜いて大暴れした後に、もの凄い鎮静剤を打たれて、気を失っている間に閉鎖病棟送りになったこともあります。
でも、そのくらい「本当に死にたい」と思う人は「自分が死んだら周りはどう思うのだろう?」なんて考える余裕すらなく。
とにかく「死ななくては」という脳味噌になってしまうということです。
今回亡くなられた三浦春馬さんが、どういう経緯で、自ら死を選んだのか?なんて全くわかりませんし、どんなに側に居た人であっても、彼の本当の思いは、誰にも分からないことだと思います。
ただ「死ななくては」という思考に至るまでは、ものすごく苦しかったり、彼なりに悩んだり色んな葛藤があったんだろうな。
と思います。
勿論、世の中には「誰かに気づいてほしくてそういう行為をする人」も存在します。
どっちが良いとか悪いとかではないですし、どっちの方が悩みが深いとか浅いなんて事もありません。
どちらにしても、苦しいのは同じです。
私は、ICUで大暴れした後も、その後3回程
本気のそういう行動をとってしまいましたが、現代医療のありがたさにより、特に後遺症もなく、現在も生きております。
「何で、あの時助かってしまったのだろう」と思う事も生きていれば多々ありますが笑
それでも、生きていたからこそ得られたものや、気づけた事も多々あって、ああいう事があったからこそ、感謝できる事柄もあるんだと勝手に思って生きています。
何故、私がその後そういう事をしなくなったのか?は、本当に身近な友人がやはり自ら死を選んで知らない間に亡くなられていたからでした。
「残された側」の立場になると「自分はこういう思いを周りにさせていたのか」と別の角度で「もし、自分が自殺したら」という事柄を見て、考えて、感じることが出来たのです。
私はその友人の死を受け入れるまでかなりの時間が必要でしたし、本当に悲しかったです。
但し、不謹慎かもしれませんが「友人の死は無駄ではなかった」と勝手に思っています。
死後の世界が云々かんぬんなんて、誰にもわかることではありませんし、亡くなられた方の周りに居た近しい方々、身内の人、友人等はまた、別の苦しみを伴うかもしれません。
でも、だからこそ。
亡くなられたその方の死を無駄にせず、悲しむだけ悲しんだら、残された人はその人生をその人なりに歩んでいってほしいと、願います。
私自身今でも「なんで生きてんのかなー?」っ感じる事もありますが笑
「生きてて良かった!」て思える事もその分沢山あるのです。
死を選んだ彼等は、その「感じる事」が苦しかったり、悲しかったり、耐えられなかったのでしょう。
もしくは「その後」の自分の「感じる事」を想像できないくらい、頭の中が「死」でいっぱいだったのかもしれません。
もし、今「死」で頭がいっぱいな人
有名な方や身近な方が亡くなってめちゃくちゃなショックを受けている人。
そのショックに耐えきれずに亡くなった方々と同じことをしたら、ご自身が今度は自分の周りにいる人達に同じくらいの悲しみと苦しみを亡くなって、ヒトとしての姿を失くしていても尚、与え続ける存在となる事を忘れないで下さい。
私は、めちゃくちゃ運良く死ななかったらしいから、なんでか?は分かんないけど多分「何らか」の意味があって「生きてる」のではなくて「生かされてる」のだと思って笑
基本ノーテンキなので、過去自分が経験した事、経験した上で活かせる事、伝えられる事、なんかを、その時々に必要な人に伝えられたら良いなぁ。と思いながら、今日もノホホンと生きております。
時は流れるのです。
今、真っ暗闇の中で前も後ろも右も左も分からない場所にいても、永遠にそのままって事は大抵の事であればありません。
何よりも、自ら死を選んだ三浦春馬さん、過去私の大切な友人が、最期にほんの少しでもその苦しみから解放され、絶命した事を願うばかりです。