【アウトプットの方法は様々】
前回の三浦春馬さんの訃報を聞いて書きました
個人的な見解の記事が、様々な所から反響を(今までの私的数値としては)頂き、本当にありがとうございますm(_ _)m
その後の時間経過により、私の中でも実感した事柄があったので、今回はそのことについて
書かせて頂きます。
ストレスや、自分の中に燻る思いや気持ちを
発散したり、吐き出したしする方法は何も
一つに絞る必要は無い!
というお話しです。
「そんなの、当たり前じゃないですか!」と
お思いの方も沢山いらっしゃると思いますが、
人間無意識に、自分の中で色んな選択肢を狭めている可能性がとても高いのです。
ポイントは「無意識」
私の場合は、昔病み期MAXの頃はまず
発散方法が「食べる」のみだったので
やがてそれが病的になり「過食症」になり
結果として45kg太るという大変な結果となりました(その後病み期も経て過食症も治り、減量して25kg落としました。残り20kg減量迄絶賛運動中です)
健常者の方にもこれは言えることで、例えば時にはカラオケで歌を歌う事が有効な時もあればお酒を飲む事が有効な時もあれば、人と会ってお喋りをする事の時もあれば、一人でゆっくり本を読む等々、方法は様々なのですが、いつものパターンで試してもしっくりこない。
もしくは、いつもなら楽しいと思える事が上手く楽しめない。。なんて時は自分でも思いもよらない別の方法がその時のアウトプットに適合している場合があります。
最近の私は、例えば幼い頃から鬼ほど読まされてきた本や、映画を紹介する地元のイベントに参加出来ない事が重なって、でも、何処かで誰かに紹介したかったので、紹介に特化したブログを初めて見たり、本当にプライベートな事柄でまあまあヘビィな事柄は内内の友人だけと繋がっているSNSでのみ文章にしてみたり、どうしても「何か」を造りたい時に料理なのか、編み物なのか?それとも趣味として参加している文芸部のテーマに沿った文章なのか??
それとも、逆に仲間内で行なっている配信系媒体での配信なのか?
もしくは、このブログにて解説している様な内容を動画にまとめたYouTube活動なのか??
今までやってきた自分の行動範囲外の事で
実は自分に合ったアウトプットの方法が新たに見つかる可能性は無限大です。
勿論、継続は力なりですが、そこに固執し過ぎて、逆に依存し過ぎてしまったり、既存の方法で上手くアウトプット出来ずに、自分のメンタル的な物のコントロールがうまく出来なくなってしまう事も十分に考えられます。
そして、今まで自分の選択肢の中にある方法をそういう時に試しても自分の納得いかない出来になってしまって、余計にストレスが溜まる可能性もあります。
ストレスでも、もしくは自らを表現する方法
でも、一つのカタチにこだわり過ぎず、様々な方法を試すのは、全く悪い事ではないと私は思います。
また違った自分の別の顔を発見できて、人生の楽しみが増えるかもしれませんし、そのみつけた新しい扉から、プロ級になる程の腕前になれる様な「何か」が見つかるかもしれませんし、嗜む程度に、人生の趣味としての彩りを増やせるかもしれません。
勿論、周りに迷惑をかけてしまう様な振る舞いは良くありませんし、始めたり、辞めたりするのは一人で出来ることなので、周りを巻き込むことなく、初めての一歩を踏み出してみるのは
独りぼっちで、たったの一歩かもしれませんが、後々その一歩が物凄く大きな一歩になるかもしれません。
歳を重ねてるからこそ出来る事もあれば
歳を重ねたので、プロ級にはなれないけれど
趣味として嗜める事柄も実は増えているのかもしれません。
試す、試さないはご自身次第ですし、今楽しまれていることをもっと掘り下げるのも素敵です。
が、今までの方法であまりにも手応えが得られない場合には新しい扉を開いてみるのも個人的にはお勧めです。