あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

母性の正体と進化

 

ここ、5年くらい前からやたらと言われる様になった「母性」と「包容力」の正体が最近やっと分かってきた。

 

ハッキリ言ってしまえば、私は自分に母性があるとも、包容力があるとも一切思った事がない。

勿論、私だって人間なので自分が好きな人(恋愛・友情問わず)に対して「気に入られたい」という思いから、相手の要望を聞きやすい性格は昔からあったものの、多分周りの人達が言っている「母性」だとか「包容力」なんて物は皆が私の外観から想像で創り出した幻想に過ぎないと思っていた。

 

が、最近「そうか、これを母性と呼ぶのか」

と、周りの人達の言っていた意味が少し理解できる様になった。

 

私の親はど天然でサイコパスなので、私は幼い頃から親に何をしても親から「レスポンス」が返ってくる事が無かったのだ。

両親共に恐らく別々の形の無意識なネグレクトのまま大人になって、結婚して子供を作ってみたものの、父親は本気で「お母さんが欲しいっていうから仕方なく作った、お前達は俺の財産を減らしてしまう負債でしかない」って真顔で私が病み散らかしてる28歳くらいの時に言うし、母親は「貴方、私の好きなタイプの女の子じゃなかったからお母さんどうして良いか分からなかったのよねぇ。妹は気があったから楽しかっけど」と微笑みながら本人は1ミリも悪意なく思い出話的に私が39歳の時に言う人なので、多分幼少期の私は私の目の前で一心に親の愛を注がれる妹を見ながら、私はいつ親に気づいて貰えるんだろうか?と日々淡い期待を無意識に持ちつつ、親に振り向いて貰おうと独りで戦っていた様なのだ。

だから「何かをしたらレスポンスが貰える」事が私の中では「物凄く特別な事」で「何も返ってこないのが当たり前」の世界で親の不在時には高校生だった私が家事炊事・お金のやりくり(一定の額を親が家に置いていっていた)を妹と2人で住みつつ、高校に通いながら行っていたので、ついつい「世話焼きお母さん」みたいな振る舞いをしてしまう、分かりやすい「母性」が多分昔から勝手に備わってしまっていた。

そこいらへんが、大体2019年くらいまでの周りの人達が言ってた「母性」なんだと思う。

 

で、2020年になって、どうやら私の母性のカタチが変化して行っている。

それは、私もヒシヒシと感じていて。

「お世話を焼く人は自分が選んだ人のみ」

になったのと、レスポンスをちゃんとくれる人でない限りは世話を焼かない様にした。

そして、何より「世話を焼くカタチ」を先ずしない様にし、それよりも「今まで自分が経験してきた事で同じ様な経験で困ってる人にその事柄が少しでも軽くなる様な方法を伝える」

というカタチに変化してきた様なのだ。

 

と、偉そうな事をグダグダ言ってるけど

じゃあ、お前はそんなに色んな事たいそうな経験をしてきたのか?

って言われたらまぁそうでもなく笑

たまたま、過去の私と似た様な事で困ってる人が近くに居たから「こんな方法もあるよ?」って一応お伝えだけする程度なんだけどさ。

 

物理的に世話を焼くのはお猫様と、それに匹敵する位に愛せるヒトに対してのみに今後は

しようと思うし、ヒトに対してはちゃんとその分レスポンスしてくれるヒトに対してのみする様に心掛けて行動したいと思う(私のこの物理的なカタチの母性は本当に人をダメにしてしまう)

 

包容力については。。うーんと。。

これは今も未だによく分かってない。

太ってるからベイマックス的な??

とも思わなくもないけど、たしかに「包容力」も謎に昔から痩せてようが太ってようが、よく言われていたから、外見的な要素が大きいのではないか?と勝手に推測している。

 

好きなヒト・モノは、とことん重過ぎるほどに愛してしまうのは昔から変わらない性格だし。

嫌いな物は嫌い!で全くもって関わらない様にするし。。

そういう意味では、どちらかと言うと「母性」とも「包容力」とも真逆の「かなり冷酷で冷徹」な人間だと今でも自分では思っている。

 

来年には44歳になる私の「母性」とやらは今後どんな変化を遂げてくれるのかな?

人間として成長をしていけるのかな?

本来の「母性」という言葉の意味とは全く違うカタチのモノになってしまうかもしれないけれど。

 

それでも、その人の伸び代は諦めない限り作り出し続けられるのではないだろうか?

と、最近勝手に思っている。

 

それでもやっぱり人に言われると「母性かぁ」

「母性ねぇ?」と思ってしまうのよね笑