あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

先程申し上げましたが何か?

去年末に食道がんステージ4を宣告され、何故か治る気満々で入院していた父親が一旦治療を終えて自宅に戻ったそうな。

 

で、母親いわく、父親は治療さえすれば

また、口から食べ物を食べられると信じて

治療する事にしたそうな。

 

小学校低学年からヘビーにタバコを吸いまくり、そんなに強くもないお酒をサラリーマンの営業だった父は大好きになり、定年後は「それは確実にアル中の飲み方やないかい。。」を定年してから13年間続けてきた人間が1ヶ月半の胃瘻だけで、そう易易と口から食べ物を食べられる状態にならないであろうな。。と、昨年末にその話を家族の誰よりも遅くに知らされた私は、一応その家族の中で唯一「誤り」であったとしても、ガン宣告を3回された人間だったのと、私の周りに癌で闘っている友人・知人がそれなりに居たのと、ドクター運だけは有難い事に謎にめちゃくちゃ良くて、ちゃんと、今私の身体がどういう状態で、恐らくこういう結果の場合は治療したらこのくらいは体力復活するかもね。的な事を的確に教えてくれるドクター達だったし、今もガン宣告されがちな炎症を起こしがちな婦人科系統は30代の時に手術してくれた執刀医が癌専門の大学病院に異動なさって、3ヶ月置きに、ガンに関する様々な話をして下さっている。

 

ので、年末に入院して年始に胃瘻の手術して、その後抗がん剤や、放射線治療に臨むと言う両親の話を聞いた時は「は?あ?え?」「ステージ4で、退職後面倒で健康診断1度もしてなくて、好き放題に拍車かかって体に悪いことしかしてなかった70代が??」とは、思ったけどそんな事言えるはずもなく。

年始の胃瘻の手術前に主治医から今後の治療方針云々の説明がある事を聞いて、冷静さを失っている母に話しても言葉が通じなかったので、直接父親の携帯に聞いた方が今後の父が生きていく上で選べる道の選択肢が増えるかもよ?的な感じの事柄を項目別にして、送ったものの父親の返事は「全部母に任せてるから知らない」だったのと、母は具合が悪くなった父親を目にして無意識に喜んでいたので「あー。。またか。もう好きにしてくださいね、知りませんからね」と、そっからは「とりあえず、死んだ時は連絡してくれ流石に」とお願いしていた。

 

で、今日母から電話が来て話を聞いたら1回目の治療を終えたものの「口から食べ物を食べられないなんて、聞いてなかった!」「こんなの蛇の生殺しだ!」「生きてる意味がない!」と父親は喚き散らしているらしく、母親はそんな戻ってきた父親を邪険に扱い、また、祖母の介護の時の様に無意識に母の長年の恨みをぶつける介護を父にしている様だった。

 

「だから、言ったのになぁ」と思ったけど、まあ、言っても仕方ないし、選んだのは彼ら夫婦自身なのだから、自分の選んだ事に対して、周りに喚き散らし、周りのせいにして、結果自分も周りも嫌な気分にさせてしまうとは、何とも哀れな人生の最期だろうか。。

 

2人とも立派な学歴でその後一流企業に就職し、そのまま結婚。

「世界の中心は俺」な父親と「この世の姫は私だけ」の母。

 

私は、今までの人生でICU入るレベルの入院5回と、それとは別にガン宣告の誤報を3回されているが、その経験を踏まえて、定期的に検査に行くのは、癌が見つかったとて、延命治療する気は微塵もなく、何なら2019年の胆嚢炎の手術の際に何度も何度も付き添い人の居ない私に病院から「死ぬかもしれないからな」「知らんぞ?いいのか?」と念を押され、死ぬ準備万端な私が助かりそうにない疾患になったら、延命治療なぞせずに、余命を逆算してどれだけその時の自分の出来る範囲内で残りの人生楽しめるのか?に振り切って楽しむつもりで、検査を定期的に受けているし、死ぬ前に会っときたい人に会って、食べたいもの食べて、やりたい事やって、色んな人にお礼を言って死ねたら最高じゃないか!と思って生きている。

 

永遠に誰かの悪口を言う為でも、誰かに恨み節を言い続ける為でも、誰かに恨み辛みをぶつける為でもなく、自分と、そして自分に関わってくれた人達にお礼を言って、感謝の気持ちをちゃんと伝えてから死にたいのだ。

その為の定期検査。

その為の、自分の体調の把握。

過去15年間私は祖母宅に通い続けてずっと掃除をしてきて、時折母と共に祖母宅に行き、母が無意識に昔の恨み辛みを加齢でもう自分では何も出来なくなった祖母にぶつけているのを見て、本当に哀しくなった。

あれだけは、自分の親にしたくないし、あんな風になる自分を見たくない。

 

そして、誰にも礼を言わず、何かをしてくれて当然という態度の祖母から「感謝する事の大切さ」「それをちゃんと相手に伝える大切さ」を学び、誰に対しても「無力になった相手に対してのみ、恨み辛みをぶつける愚かさ」を母から学び、どんなに高学歴であったとしても「傍若無人に振る舞い、世界の中心は俺」な人間には友達が1人も出来ない事を父から学んだ。

 

その後、私自身の身体のポンコツさからの対処策を自分の体験で学び、メンタル的な問題も40歳にして最大で最後の抹消していたトラウマを思い出せ、その後PTSDも乗り越えられる程までに脳みそも回復した上での40代の前半戦が今年で終わろうとしている。

 

私の両親は死んでも何も学ばないだろうし、死ぬまで全てを誰かのせいにして、死んでいくのだろう。

 

娘としては最悪かもしれないが、私は

両親の事は嫌いにはなれないが、人間としてはおよそ、尊敬出来ない類の人間である事は間違いない。

そんな、罰当たりで親不孝者の私でも、一応

両親の後片付け位はするつもりですけどね。

まぁ、彼らの中で私は気が狂っている

最大の汚点のようだから、そもそも亡くなったとて、連絡くれるのか?すら危ういけども。

 

彼等夫婦がこれから歩む道は険しい事には違いない。

 

私はマイペースに生きるよ?

そして、様々な人達から沢山の事を学んで

吸収して、人生の後半戦楽しむよ?

例え死ぬ時独りぼっちで、見送ってくれる人が居なかろうと、私は私の人生楽しんで生きてくんだから。

 

だから、もう「なんで教えてくれなかったの?」って二度といわないでね?

私は去年末、最初にちゃんと伝えたよ?