メンタルがホルモン周期的に凹む時期に入ると私は自分が何で生きているのか?が分からなくなる事が多い。
友達や、他の人から言わせれば「先ず、何で生きてるのか?を考える思考が分からない」と言ってくれる人も居れば「存在しているだけで偉い」と言ってくれる人も居る。
どちらもとてもありがたい言葉だ。
なんで、私が「存在している意味とは?」とグルグル考えてしまう原因も、だいぶ前から分かっていて、私が完全なるネグレクトだからだ。
但し、物理的に暴力などの虐待を親から受けたのか?と言えばそれは違う。
我が家はおそらくごく一般的な中流家庭で、両親共に育ちも良く、親の仲も良好で、経済的にも全く困窮していない、寧ろ親はバブル景気の恩恵を受けまくって仕事をしていた世代だ。
なのに何故私がネグレクトなのか?は
「親が私に一切興味を持たなかったから」
なのと、4つ下の妹は母の好みの子供だったらしく、私には注がれなかった母の愛を妹が目の前で湯水の様に浴びているのをまざまざと目にして育ってきたからだ。
妹が生まれる前から多分私は寂しかったらしく
3歳の頃からずっと自分の中にある気持ちが未だに消えない。
それは「お家に帰りたい」だ。
3歳で、実の両親と共に何不自由なく育っている子供がなんで「お家に帰りたい」なんて気持ちを抱くのか?
私は親と一緒に住んで、ごく普通の家庭で育っているはずなのに。。だ。
私は幼い頃の記憶が小学校一年生位まで殆どないのだけれど覚えているのは「母親の笑顔が自分に向けられた事がない事」と「お家に帰りたい」とずっと思っていた事。
だけなのだ。
親の話によれば、私は生まれて一度も人見知りする事がなく、道行く人全てにニコニコしながら「こんにちは」と挨拶していた子供らしく、親の仕事の都合で日本全国を転々と引越しを繰り返していたけれど、そのいく先々で色んな人に可愛がってもらっていたらしく、全く血縁関係のない商店街の八百屋さんやお肉屋さんや、魚屋さんにまでお年玉をもらったり、大富豪らしき高齢のご夫婦のお屋敷にお呼ばれしていたらしいが、そこいらへんの記憶はほとんどない。。
残っている記憶は「お母さんが私に対して笑わない事」と「お家に帰りたい」と自分の家にいるのに、存在しない何処かの「お家」に「帰りたい」という寂しい気持ちだけ。
今、分かるのは。
多分子供ながらに一切自分に興味を示さない親に対して元々寂しん坊で甘えん坊の性格の私は物凄く心の中で孤独を感じていたのだろう。
という事と、その寂しさを埋める為に「人見知りしてる暇はなく、それよりも自分を必要としてくれる人を必死に子供ながらに探していたのだろう」という事。
だから、人見知りを赤ちゃんから一度もせず、誰にでもニコニコと挨拶をして、自分に興味を持ってくれる人を探し求めて、ただそこに「存在しているだけで良いんだよ」と、言ってくれる人を探していたんだと思う。
だメンズ好きなのも、長年付き合いのカウンセラーさんとの分析で、原因も判明している。
父親が子供に一切興味を持たない人間だったので、自分にとって初めて意識する異性は「自分に興味を持たない人」とインプットされて育つ→そのまま大きくなった時に自分に興味を持ってくれる人=いい人
というアホみたいな図式が頭の中に出来上がってしまったのだ。
そして、だメンズの人達の好意はとてもわかりやすいんだそうだ。
「俺はお前を必要としている!」と表面にわかりやすく出すので「必要とされている→嬉しい」となってしまって、勝手に恋に落ちてあれやこれやと相手の世話を焼く。
なんとも、だメンズを更にだメンズに育ててしまうダメ人間製造機の一丁あがりである。
その時々に付き合っただメンズ君達はその時々の私に確実に必要であった人達なのは間違いなくて、彼等から貰った歪だったり、方向性がちょっと間違っちゃった愛で、たくさんの事を学び、本当に亀ペースでやっと自分の性格やら、根底にある原因故の孤独感やら、だからこそ安心感を求めてよりダメな人、ダメな人を掴んでしまう事もやっと理解できた。
少し、遅すぎんか?とも自分で思うけど、こればっかりは仕方ない、きっと私には亀ペースであちこちぶつかってぶつかりまくって、全部体験して痛い目を見ないと理解できなかった事なんだと今は思うし、全ての時間は無駄ではなかったと今は思えるし、だメンズ君達とだって楽しかったり、幸せだった記憶も沢山ある。
で、どフリーになって2年経って初老を迎えつつある今は、寂しいんだろな自分が。。ってのをヒシヒシと感じる。
ただ、安心したいんだろなってのと、愛されたいし、愛したいんだろなってのがあって、でもどっちも現時点での「私」には恋愛をする権利すらない事も分かっていて、だから余計に焦るし、早く今の現状を、打破したいのに身体が脳味噌についていけなかったりしてて、悔しくて悔しくて、唇を噛む事もしばしば。。
本気の虐待を受けてきた人達からすれば
「何甘ったれた事言ってんの?」ってなるだろうし、馬鹿にされても仕方ないと思う。
そう、私はずっと甘えん坊と寂しん坊がきっと3歳の頃から進化出来てない、欠陥品な大人。
そして、何一つ成し遂げる事もなく、全てが中途半端でしかない大人で、そんな人間が愛される事なんてないのだよ。
しかも、若くもなく初老だし。
愛してくれる人が出現したとして、私はその人の事を骨の髄まで愛することはできても、子供を産むとか、そういう一般的な女性が相手にしてあげられる事が何一つできない。
ご飯作る事くらいしかできないのだよ。
だから、ホルモン周期的にダメダメ時期は凹むし、亡くなってしまったメンタル的な病で知り合った私より若くて可愛らしくて、本当にまだまだ、未来も沢山選択肢があったであろう彼女達が、何故死んでしまって私が生きてるのか?が未だに理解できない。
多分、何らかの理由で生かされているのだと思うけど、じゃあ、その何らかの理由は一体何なの?ってその理由のお陰で私は生きていても良いとされているの?って思いたいから、その理由を誰かに教えてもらいたいと思う。
まあ、ホルモン周期的にダメダメ時期を抜けたらまた大元の性格のあれこれ途中はグダグダ言ってても、最終的には「楽観主義」な性格で「ま、いっか、それも私の一部だし〜」って思えるんですけどね。
でもね、幾つになっても、いつかは「安心感」をそして「愛し愛されるパートナー」を得たいと思うのはダメな事なのだろうか?
いつか、私は安心して、愛してる人の腕の中で眠る事が出来るのだろうか。
そんな、頭の中高校生のお花畑かよ!と自分でツッコミたくなる夢を初老になっても持ってる自分に反吐が出そうになるけど、実際そうなんだよね。
信頼しあって、一緒に安心して睡眠が、取れるパートナーと共に残りの人生の時間を過ごしたい。
それだけなんだけどね、難しいね。
とりあえず、死なない様に頑張るよ。