あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

なんでだよ

2023年の1/21に腐れ縁で繋がっていた女友達が亡くなった。

と、いう報せを1/22の夜に聞いた。

あまりにも、びっくりした。

でも、彼女の事を誰よりも愛していた、元旦那さんであり、再婚する予定だった旦那さんが泣きながら電話してきたから冗談では無い事だけは理解できた。

 

思えば本当に不思議な縁で知り合い、おそらくごく普通に生活していたら絶対に友達になったり、関わり合いがほぼ無いであろうと思える種類のお友達だった。

が、妙にうまがあい、何でもお互いに言い合えた上で激しい喧嘩をよくしては、年単位で音信不通になるも、ちょっとした拍子にまた連絡を取っては、何事も無かったかのようにまた笑い合う。

そんな、不思議な友達だった。

 

見た目も中身もキョーレツで唯一無二の存在感。

多分彼女と少しでも時を共にした人は彼女の事を忘れる事は無いと断言出来る人間だった。

 

彼女の旦那さん達総勢4名のうち3名には会い、勿論入籍しなかった彼氏達にも幾度となく紹介され、彼女の恋愛遍歴も、結婚離婚遍歴もその殆どを何故かその傍らに居て、何なら彼女が恋人や、旦那さんと別れて次の家に行くまでの行き場がない時に我が家に大体1ヶ月滞在し、マイペースな凸凹コンビとして「誰か」と生活するのがとんでもなく苦手な私がいちばん長く付き合ったパートナーと、妹以外で唯一一緒に住む事の出来た数少ない友達である。

 

彼女と、妹と、30代の時に長く付き合った彼氏以外には、散らかりまくった自分の部屋をどうしても見られるのが嫌すぎて、どんなに仲良くしているお友達でも家にあげられない事もある、もしくは、お友達を呼ぶ時はとにかく目につく場所はとことん綺麗にして自分が満足するまで掃除しない限りは誰も呼べないという、極端な価値観の私なのだが、その3人だけはどんなに散らかった部屋を見られても平気だったので多分相性が良かったのだろう。

 

そんな、彼女が亡くなった。

しかも、自死で。

私は、彼女と最後に連絡した時は4番目の元旦那さんと、1月末に再婚する予定とかで、彼女は甲斐甲斐しくお弁当を朝早くから起きて作ったりして、メンタルも落ち着き充実した専業主婦みたいな生活をしていたのに、、

色々とお互いの行き違いで、私と彼女は文字のやり取りで喧嘩をその後にして、距離を取っていたほんの半月からひと月の間に謎に彼女は元彼氏と連絡を取り(旦那さんはそんな彼女の全てを愛していたし、彼女は2年周期で、別の男の所にいく癖のある人だった)

一旦はヨリを戻したものの、元彼氏は勿論旦那さんの存在も知っているのと、今月末に入籍する予定だったのも知っていたからか?当たり前に彼女の事を拒否したらしい。

まあ、普通に考えれば断るのが当たり前な状況だと思う。

が、元々彼女は瞬間湯沸かし器みたいな性格の人なので、昔から自死行為を仄めかしたり、実行してしまう人だったので、何回か病院に運ばれた事も実際にある人だったのだが、どうやら今回は本当に亡くなってしまった様だった。

 

何となく、私も彼女もお互いに「コイツは死なないな」「ずっと図太く生きていく人だ」的な意識がお互いにあったので、まさか、これから彼女の望む落ち着いた専業主婦的な生活が目前に待っていて、彼女のメンタルも体調も全て理解してくれている旦那さんと前々からずっと一緒に住んでいて、愛猫2匹と今後も旦那さんの稼ぎで幸せに暮らしていく、、筈だったのに!?なんで?つうか、本当になんで??

 

と、しか報せを受けた私には頭に浮かばなかったし

最初「え?嘘でしょ?」としか言えなかった。。

位になんていうか、鈍器で頭殴られたみたいなすっごい衝撃が走ったのは覚えてる。

最初はぜんぜん事実も状況も呑み込めなくて、死を受け入れる事すら出来なくて、なんだか、こう神隠しにあったみたいな、、狐につままれたみたいな、そんなフンワリとした感覚しか無かったけど、電話口で泣く旦那さんの震える声を聞いて「これは真実なんだろう」と頭では分かってるけど全然信じられない感じのまま3~5日が過ぎ、、その後も私の日常は当たり前に過ぎていく中で、友達に話を聞いてもらったりしつつ、この間出かけていた時にフト聞いていた音楽でめちゃくちゃ彼女を思い出して、静かにバスの中で泣いた。

私の人生は多分音楽と共にあって、意識してなくても誰かを強く思い出す曲が存在していて、何の気なしに聴いて思い出すって事が数多くあるけど、今回も不意打ちで、自分でもびっくりした。

が、泣ける事、悲しめる事は人間にとって、とても大切な行為なので、泣けるうちにないて、悲しめる時に存分に悲しんで、それがきっと自分自身の心の整理もしてくれるし亡くなった彼女の供養にもなると勝手に思っている。

 

私が、年下のお友達の訃報を聞くのはこれで3回目。

初めて聞いた時はもうお友達が亡くなって数ヶ月経過していて、何もかもが終わった状況だったのでそれこそ、その死を受け入れられず、2年余りその子の最寄り駅で乗り継ぐ時にその子の後ろ姿を探してしまうという、行動を無意識にしてしまってとても辛かったのを覚えている。

今回の友達はとても遠い地方に住んでいた事。

家庭の事情でお葬式等を出来ない環境だったこと。

唯一、籍は入っていないけど、元旦那さんという立場で、現在も一緒に住んでいる同居人として、現地で亡くなった彼女に寄り添えるのが元旦那さんのみなので、彼が血縁者からの意向でただ1人、彼女の火葬に立ち会えた事。

そして、亡くなった報せも、火葬の予定も、今後細かな所が明らかになるであろう彼女の亡くなった時の状況も、元旦那さんが連絡してきてくれるだろう。。

 

私は、徐々に彼女の死を受け入れ、なんとか今年中には彼女が住んでいた場所にそのまま住み続けるらしき旦那さんが飾った遺影に向かってお線香を上げに行こうと思っている。

その時、本当に彼女の死を受け入れられるのかもしれない。

 

何回経験しても年下のお友達が亡くなるのは本当に慣れない。

そして、悲しい。

 

それと、同時に私は何故かまだ生きているなぁと、思ったり、もうこれは「生きてる」じゃなくて、何らかの理由により「生かされてる」んだろなぁとしか年々思えなくなってきている。

 

多分だけど、今回亡くなった彼女は、沢山の男性達から本当に愛され、彼女も、彼等を彼女なりに愛し、その中で本当に彼女の人生にはどんな事があっても欠かせない存在となった、元旦那さんと知り合い、彼の愛を一心に受け、その元旦那さんともぶつかり合ったりしつつも、最終的には「イチ女性として、全ての愛を注がれた人生のすごろくをゴールした感」があったのは周りにいた私も感じられていたことなので、もしかしたらだけど、本当に本当の意味で天寿をまっとうしたのかもしれない。。

と、思った。

彼女が本当の意味でちゃんと人を愛する意味と、本当の意味で愛される事を知った時、ゴールに駆け込んで

でも、そのゴールはこれまで刺激的過ぎる程に刺激的な人生を送ってきた彼女からしたら退屈だったのか?は分からないけど、でもなんか本当にゴールした感は否めないので、綺麗に行くべき時に逝ったのかもしれない。。とさえ思う。

旦那さんからしたら、そんな事はきっと決して無いだろうし、傍で見てきた私ですら「多分旦那さんが彼女以上に好きになれる人居ないんだろうなぁ」と思ってしまう程に、きっと今後も旦那さんは亡くなった彼女の事を永遠に彼の人生が終わるまで愛し続けると思う。

この世でただ1人の男性の一生分の想う心を永遠に封じ込めたのだ。

彼はきっと彼と彼女の思い出の宝箱の中でのみ、きっと人を愛し続けるんだと思う。

勿論、旦那さんが今後新たなスタートを切って新しい人と幸せになる未来があるのならそれはとても素晴らしい事だし、私も嬉しいのだけど、多分それは中々に難しそう。。と彼女を知ってる人なら口を揃えて言うだろうな。。と、思う今日この頃。

 

私の2023年はどんな風に進んでいくんだろう。

去年はなんだか慌ただしすぎて、とってもキツかった印象なので、今年は穏やかに淡々と生きていきたいと思ってたのだが、既になんだか波乱の様子を含みつつスタートしてる気もしなくも無い。。

 

ですが、きっと私は今年も図太く、私らしく生きていくのであろう。

 

そして、これ以上年下のお友達を見送る事が私の人生でもう起こらない事を願いつつ。

悲しい事は時間薬と、悲しめる時に思い切り悲しむ事が大切なので、徐々にいつものペースを取り戻しつつ、今年も自分ファーストで、面白楽しく生きていこう。

 

いつか、私が自分の寿命をまっとうした際には先に逝ってた彼女達に会って頭1回叩かせてもらうわ!

と、勝手に思いつつ。

おばあちゃんになった私に気づいてもらえるのか?が少々不安でもあります。