恋人たちの予感
昔から、とにかくとんでもなく
恋愛体質だった私。
恋愛体質というよりも、単に誰かに
何処かに依存したかっただけなのだけど
だからこそ、そういう人間は依存先を絶やさるれると
生きていかれなくなるので、結果的に途切れる事がほぼなく、どの時期にもパートナーが有難くも存在してくれたので、結果的に「恋愛体質だった」という事になるのだけど。
それとは、また全く別に元々映画や本がとても好きな私の中で、本当にとてつもなく大切な大好きな、何ならセリフも全部覚えてる様な、映画が存在していて
その映画は恋愛コメディー映画なのだけど、その映画を観ると私はいつも「恋愛」をしたくなる
もしくは、パートナーが欲しくなったり結婚したくなったりする気分になりがちだったので、2021年以降自分の恋愛観が180度自分でもびっくりする位変わった今(2024年5月)観た時に、また恋愛したくなるのだろうか?そうなると面倒だなぁという気持ちがあって、少し不安で、2年以上封印していた映画があった。
のだけど、、単純に自分でも観たらどんな気分になるんだろう?てのもあるし、元々とっても好きな映画なので、もう何回も観てるけどやっぱり定期的に観たくなるし、、で、観てみた本日。
結果は、、終始「可愛らしくてニコニコしてた」だった。離婚したり、失恋したりで思い悩む主人公達を見ていて「可愛らしい」とニコニコしていた。
癖の強い主人公のカップルのキャラクターニコニコしたりしてて、ラストシーンのセリフの素敵さはこの年齢になっても、本当に素敵な価値観だし、この言葉でプロポーズされたら本当に納得しそうだわ、、とは思ったけど、もう「素敵ね〜」って多分親戚のオバサンポジション的な視点でニコニコ観られるってのが分かったのと、それだけ自分が年齢を重ねたのに伴って、誰か1人に1点集中して依存して生きていかなくても、生きて行かれるようにようやくなったという事に気付いた47歳の初夏で、楽しかった1日。
この間、私の性格を本当によく知る同級生の友達と
その、私の中でのフェイバリット映画を観たらどうなるんだろうね?という話をしていたので、何となく、嬉しくて覚えておきたかったので、メモ。
人間は「何らか」に依存して行かなければ生きてはいけない生き物だけど、依存具合と、依存する先によっては、内臓を壊したり、人間関係を壊したり、日常生活を壊してしまったりするので、依存するにしても、ある程度迷惑のかからない程度に、なるべく本人も楽しく、内臓が壊れない程度に、こまめにストレス発散して、ストレスフリーで生きていくのが一番だね。
てのに、、人生半分過ぎようとしてる位にようやく気づけたけれども。それに気付けただけでも、ラッキーだったと勝手に思っている。
あと、半分あるかも?な人生、存分に終わりまで楽しんで自分らしく生きていきまっしょい。
爆笑した20周年
気付くと、27歳で担当についてくれたカウンセラーさんと、20周年を迎えていた私です。
2023年も私らしく足早に過ぎ、あっという間に2024年がやってきて、無事に47歳を迎え、私のメンタルはいつも通り安定していますが、メンテナンスと言うよりも、過去幼少期からの自身の親との関係性を今だから笑って話せるので、どんどん深堀りしてカウンセラーさんと分析して研究材料にしちゃおうぜ!的なのもあって、ここ多分5~6年は1~2ヶ月に数回オンラインカウンセリングを受けて、過去の私の状況と、現在の私の状況を分析して、親(特に母親)との関係性や私と母親の性格の違いや、なんでネグレクトが遺伝してしまいがちなのか?なんかを深堀りするセッションをしていますが、本当に、有難いことに、私の場合は今のカウンセラーさんに出会ってカウンセラーさんの勤務先も変わったりしたものの、お互いにとても相性が良いので、そのまま移動して、お付き合いが20年続いたのもあり、今だから話せる話などもあるのですが、出会った頃の私が27歳の頃は私が流産と離婚をしてメンタル崩壊後相性の悪いメンタルクリニックで必要のない薬を大量処方されて更に悪化して、1度措置入院された後転院先の、当時通っていた小さなクリニックでは手の施し様がない(というか、開院したての若い先生が気弱で、鬱になりかけてた)という事で、とりあえず別の入院施設のある病院に入院してみよう!ってんで見つけた先の病院のカウンセラーさんという出会いで発症から約2年で一番私の病が荒みきってた本当に荒み切ってたし、ここから約後2~3年はMAXでまっ暗闇の漆黒のどうしようも無く酷い時期、とりあえずこの後4回はICUに担ぎ込まれる位の事をやらかしていた時期を何とか乗り越えさせてくれた、有難いメンタルを支えてくれた医療チームである。
んで、当時の話をして、タイトルの爆笑の20周年
当時、私はメンタルの治療をするなら包み隠さず全てをさらけ出さねば意味が無い、見てわかる病気(骨折とか)では無いのだから、とにかく心の中の膿を全て出すんだ!位の気持ちでカウンセリングにもメンタルの主治医の診察にも臨んでいたのだけど、その時に家庭環境も勿論当たり前に、当時の状況そのままにお伝えしていた。
我が家の親は、それなりに稼いでいて、凄いお金持ちって訳ではないけど、多分まあまあに稼ぎは良く、サラリーマンの営業の仕事をしていた父は栄転コースで、単身赴任をしていて、赴任先の支店長をしていたが、浪費家なので、残された私達は割とカツカツの生活をしていた的な会話をしていたのだけど、両親自体は多分そこまで、貧乏という訳ではなく、2人ともハイブランドではないけど、そこそこのブランド物をお揃いで買って密かなペアルックを楽しんだり、それなりに仲睦まじい夫婦生活を楽しんでいたりもしていたが、本当に単純に「子供」に興味が残念ながら無い親だった。というだけなのと、蝶よ花よと姫状態で育てられた母と、目に入れても痛くないまるで一国のワガママ王子の様に育てられた父の間に生まれてしまった長女の私の育て方が分からなすぎた母が、色々と母性にも目覚めなくって本当に扱いに困って、バッキバキに厳しくできそうな所は厳しくし過ぎたものの、離しちゃ行けない所を思いっきり放して育てちゃったもんだから、25歳の頃にそれ迄は何とかかんとか鈍感に育ってしまって自らが抱える闇という名の溜まりに溜まった膿の塊に気付かずに居たんだけれども、ストレスが大きすぎで、ある日突然大爆発が起きて、ぜーーーんぶが、吹き飛んで、私はゼロになって病気になったのだけども、、
カウンセラーさんは、そのソコソコ裕福な家庭のお話が、実は鬱病患者さんにありがちな、虚言(患者さんの中の理想の家庭のお話)だと初期の頃は思っていたそうだ
と言うのを先日のセッションで初めて聞いて大爆笑した。
その頃、何度かICUに入る事件があり、ICUに入る→その後措置入院が当然発生するので、その際に1度だけ両親揃って、仕方なく病院に来た事があったのだが、その時遠くから担当カウンセラーさんも、我が家の両親を見に来たそうなのだ、、その時に初めて「本当に割といいスーツを着た、本当にちゃんとしたご家庭のお金に困ったとは到底思えないご夫婦」がそこには立っていて、今までカナコさんが言ってたのが真実で、これは、本気で子供に興味のない、本当にドラマとかで目にしてた、お金持ちの親が子供に興味持たない、冷たい家庭で育ったネグレクトで子供の情緒ぐちゃぐちゃになって育ったやつ!!!!
と、衝撃を受けたらしい
と、言うかそれを聞いて私が思ったのは、どうやらドラマで描かれているお金持ちで子供に本気で興味持たなくて云々かんぬんのネグレクトって物凄く多いようでそこまででも無いから、ドラマとかで描かれんのかね?とちょっと改めて思ったりもする、、まあ、もしかしたらそこら辺を持て余してるお金である程度埋められるのかも?だけど、我が家の親みたいに、湯水の如くお金持ちじゃなくて、中流家庭が一番めんどくさいのかもしれない。
で、それをカウンセリングを受け始めて20年経過して始めて告白されて、もうね、爆笑しましたね。
あと、多分確かに私が入院した当時やっぱり、入院先で、出会った子達は本当に悲しいかなシングルマザー家庭で育って本当に経済的に苦しい家庭だったり、ご両親揃ってるけどご両親共未成年で結婚なさっていて、やっぱり経済的に困ってらっしゃるご家庭で育った子が多かったのも事実。
なのと、その子達の語る内容に虚言癖が多いのもこれまた、本当に事実。
そして、我が家の親は周りから見たら完璧な親な訳です。
人当たりは柔らかいし、ちゃんとした親だし、何に不満があるの?と思うだろうな、、っていう。
要はめちゃくちゃ人あたりの良い、外面完璧な親。
でも、子供に一切興味が無い親。
多分、幼少期の私の情緒えげつない程不安定だったろうねって、カウンセラーさんと大盛り上がり。
そらぁ、親と一緒に住んでる3歳から、別に暴力的な虐待を受けてる訳でもないのに「お家に帰りたい」と謎に思うわけです。
お家にいるのに。隣に親が寝ているのに。
そこら辺を、死ぬまでに深堀りして、分析して、その資料を今後のメンタルヘルスの世界で色んな人達の健康に役立てて貰えたらなぁと、そして同じように、歳とった時に爆笑出来るくらいまでになれたら、本当、楽しいよーって。
そういう意味では、あと13年くらいは心理学としては、ワクワクがまだまだ残っていて、生きるの楽しみで仕方ないですね。
今年も3月も半ばに差し掛かってきて、花粉様が毎年恒例の猛威を奮ってますが、私は今年もマイペースに低空飛行ながら、元気に生きてます。
今年はそういう年なのかもしれない
私の人生において、今までそれなりに個性的な人々に恵まれている人生だと思っているのだけど、その中でも群を抜いて不思議だったお友達と、お友達関係の継続が難しくなってしまったねぇ、、宣言をとうとうご本人から頂いた。
ご本人曰く、一生続けたい趣味が見つかり、余暇はその趣味の練習にのみ当てたい&その趣味友達は一生失いたくないので、貴女と会う時間はありません!という宣言を頂いたのだが、ある意味それは彼女の人生のステージがバージョンアップした訳で、とてもおめでたい事である。
が、それなりに悲しくもある。
元々、あまり人間そのものに興味のない性格の持ち主の女性だったので、何故私を友達として好きになってくれて、興味を持ってくれたのか?は私には分からないけれど、彼女はいつも想像の斜め3段上位の返答をし、でも、、彼女の中には一本筋の通っている彼女なりのルールがあり、すっとぼけている様で居て、本当にすっとぼけてる所も実際にはあるけど、めっちゃ真面目でストイックな所もある、本当に、本当に楽しくて面白い女性だった。
ある意味「カナコさんとは一生のお友達としては必要ないです」宣言されたのとまぁ、極論で言ってしまえば変わらないのだけども、、
去年辺りから、本当に中々会うためのスケジュールの連絡をしても、いつまで経ってもスケジュール合わないなぁ、、と感じつつ「多分だけど、、コレ彼女の中で私に対する興味が薄れてきてるんだろなぁ」ってのは薄々気付いていた。
が、私はとっても性格が悪いので「気付いて欲しい、察してほしい」は絶対に受け入れませんぜスタンスなので、相手がハッキリ言わない限りはちゃんと確認するし、スケジュールもいつなら合うのか?を聞く。
何なら大人になってからお友達になった人には一番最初に言う様にしてる。
「気付いて欲しい・察してほしいは、私はできません(本当は出来るけどね)良いことも悪い事も例えその事柄が私を傷つけることになろうとも、その時に必ず教えてください、後日言われても私には分かりません」と、宣言させてもらっている、、
我ながら面倒くさい人間だなぁ、、というのは分かってるし自覚してるけど、私は多分親の察し欲しい・気付いて欲しいを幼少期から気にしすぎて、一度全てが崩壊したので、その後の自己を作る際にそれを捨てる事にしたのだよね、ズルいかもだけど、自衛の為に。
どんだけ初対面の時にそれを宣言しつつ、仲が深まってからも、定期的にその宣言はしてるんだけどね、人間って自分が悪い人になりたくないのは、当たり前なのだけど、そのいっとき、相手を傷つけてしまう可能性があったとしても、何年とか、それなりに期間を寝かせて、相手が忘れた頃に大爆発してその頃の不平不満をある日突然ぶつけられると、その頃よりも、遥かに大きくなった不平不満なので、ダメージはその頃受けるはずであったちょっとした擦り傷では収まらず、大爆発クラスの傷を互いに追い、結局その時点で双方の人間関係が破綻してしまって、以前の様な付き合いは不可能レベルの大怪我になる。
だからこそ、性格悪いかも知れないけれど、その時受けた傷、不平不満、嫌だった事、逆に素敵だと思った事、褒めたい事、伝えたいと思った感想は、その時に早めに私は伝わる様に相手に伝える様にしている。
で、まあ、タイトルにある「そういう年」は
今年は友達を色んな形で距離感?というか、まあ友達で居られなくなってしまうという残念な年なのかもなぁ、、と
一月のギャルルの訃報に始まり、、春だったか、夏だったか?には、推し活キッカケでお友達になった人と上手く距離感が取れなくなり、秋の不思議ちゃんが去るという、、今年はこれでなんとか収まって欲しいなぁと思うけど、、あと2ヶ月どうなるのかしら?
と、思いつつ、多分彼女達の人生のステージがバージョンアップしたから故の、私とのミスマッチ感による、齟齬の発生だと思うのよね。。
ギャルルに関しては、レアケースで彼女は病気が中々に自身でコントロールが難しい位に重い人だったので、これまでもそういう行動は度々行なっていた彼女が、たまたま、本当に今回はポックリ逝ってしまったんだろうなぁ。。
と、思うけど、後の2人は彼女達の人生のステージが進んだからなんだと思う。
んで、私は?なのだけど、残念ながら若年性の更年期障害を38歳で発症してから、何年体力は落ち、一時的に持ち直しても、やはりホルモンバランスは混乱するばかりで子宮疾患のある私はホルモン治療も出来ないので閉経待ちしか方法がなく、自分の力だけでは生きていかれなくなり、障がい者として生きていくのをやっと受け入れられた2021年(それまでは、自分でも何とか、また普通に生きていかれるかもしれない!体鍛えるとかして!と、望みを持っていた)実質39歳から、普通に働けなくなってしまった私の人生は、今後人間としてステージのバージョンアップは訪れないのだけは、確定している。。
子供を産み育てている人は、子育てに伴って自身の立場が1人の女性だけではなく、妻だったり母だったりと、変わっていくと共に、お子さんの成長度合いからも、専業主婦だった人から職場復帰する人や、それまでパートのみだった人が、お子さんの成長により、その後の離婚も見越して、自立する為の再就職に備えて動き出したり、、
不思議ちゃんの様に、キャリアを重ねて新たにのめり込みたくなる趣味を見つけて、その活動を一生続けていく為に、余暇は全てその練習に当てたい!という人もいたりする。
そういう人生のステージのバージョンアップを私は体質により諦めざるをえなかったのと、彼女達が勉強を頑張っていた時期に私はサボっていたり、周りに比べると異様に早く結婚して離婚して、、でその後も再婚する事なく、妊娠出産をしないままに生きる事のみに懸命すぎて、一般的に頑張るべき時期に頑張らなかったツケが早めに回ってきて、めちゃくちゃ早い隠居生活が始まってしまった。という、まあまあに残念な人間なのだから、永遠に、人生のステージのバージョンアップは来ないのである。
そりゃあ、、話も合わなくなるよねぇ
だって皆、ちゃんと生きて、成長してるんだもの。
私は、自らそれを放棄してしまったのだもの。
精神的な成長は辞めたいとは思わないし寧ろ全ての事柄から、色んな事を吸収したいと思っている人間なので、別ベクトルではどうやら、一応成長しているらしい。
しかし、彼女達の様な成長は残念ながら出来ないので、極論を言ってしまえば、彼女達からしたら、私は「とてもつまらない人間」の何者でもないのだよね。
勿論、子育て真っ最中で、日々奮闘している友達はいて、彼女達とは一年に一回連絡取れれば良い方位の距離感なのだけど、彼女達のお子さんが成長したらまた、お茶してくれる余力が残ってたら、お茶出来る余裕はあるんだよね。
それまで気長に彼女達のお子さんが成長するのを待っていれば良いだけなので、生きていられる間は気長に待ってる予定なのだけど「一生続けたい趣味で、その趣味友達とは一生友達でいたいので、貴女と会える日は無いです!」はもう可能性ゼロだよね〜
が、確定しているので、、中々物事ハッキリ言えない+一緒に遊びに行きたいです!は本当に悪意なく、本気で行く気が(その時は)あって、発言する女性なので、できない約束をとりあえず、その場のノリで言っちゃった 的な人では無いのは理解していたのだけど、どうしてもね、、その後彼女の中で「やっぱりカナコさんに会うよりも、趣味にあてたい」の感情が強くなって、結果半年前くらいからずっとスケジュール合う日がわかったら教えてね!的な感じで毎月シフト分った頃に連絡してたのだけど、多分彼女は中々言い出せなくて、のらりくらりとかわしてたら、気付いてくれ無いだろか?察してくれないだろか?が透けて見えていたのだけど、ちゃんと言ってね!と、その度に私は察して無いよ!アピールをわざとしていたので、やっと言ってくれたんだな。
と、感謝もしたけど、まあ、、貴重なお友達を1人失った事には変わらないので、それなりに悲しかったりもしたし、私にはもう出来ない人生のステージのバージョンアップをして去って行った彼女達を羨ましく思う気持ちも勿論ある、、けど、これは彼女達の門出なのだ。
祝う気持ちもありつつ、寂しく思う気持ちもありつつ、周りから見たら「ぬかるみ」でしかないかも?
な、私の人生だけど、私はぬかるみなら、ぬかるみ也に、楽しく過ごしやすく過ごしていくのが、モットーです。
とりあえず、来世という物が存在するのであれば、多分私は人間関係の構築に本当に向いていないと思うので、来世はまりもにでもなれたら嬉しいなぁ。
もう、誰かを看送るのは疲れちゃったので
今後看送るのは自分の親と、お猫様だけにして欲しいなと、、正直言って思っている。
個人的な感想として
何だか、一部で騒がれているある御夫婦とその夫の
一番!?の親友との離婚原因としてのあーだこーだが持ち上がっていて、本当に、本当に個人的な感想としては、、
どっちもどっち
でしかないんだけど、ひとつ思ったのはこれは、、
私が映画のTEDを見た時に感じた嫌悪感と似た感じなのかもなぁ、、と思ったのと、その私の感想は一般的な女性には全く受け入れられなかったので、多分共感を得ることは今後も難しかろう、、
と思ったのだけど。
私が映画のTEDを見た時に感じたのは(そもそも、あの映画にはまともな大人が1人も出てこない事は大前提として)主人公の男性の恋人が、男性の唯一の友達であり、友達というよりも、ほぼ、兄弟の位置にいる様なTEDをとても敵視していて「私とTEDとどっちが大切なの!!」と問いかけるシーンを見た時に「どっちが大切とかなくない?」と思ったのと、物心ついた時からほぼ一緒にいた兄弟に勝とうと思うこと自体がおかしくない?と思ったんだけど、、つうか、そのそもそも、主人公が恋人を優先しないで先ず全てTEDを優先してしまう主人公の性格こそに問題があるんだと思うから、、一時的にTEDと主人公を隔離したとしても、それは主人公の依存先が変わるだけであって、その依存先は必ずしも恋人ではないという可能性を大いに含む。んだけどなぁ、、
そもそも、何故人間関係において「勝ち負け」が存在するのか?が私には理解出来ない。
嫁姑問題でも、お母さんの味に勝てない!というのを見かけたり、嫁に息子を取られた!と言うのを見かけるけど、なんでそもそも勝たないといけないんだ?てのと、そのお嫁さんと結婚するのを決めたのは貴女の息子さんであって、決して取られたわけではない!
てのが大前提にあって、もし、奥さんの食べ物に対して、夫が自身の母の味と比べてマウントを取るとかであれば、それは問題だと思うし、その態度を取る旦那をそもそもどうにかしないと無理だと思うんだけども、、そこで真面目なお嫁さんは「勝たねば!」となるんだろうか?
それなら、旦那さんを常にお嫁さんのお父さんとくらべるマウント発言してみたらどうなんだろうか、、
やってる事はお互い同じ事ってのをコテンパンに旦那に思い知らしめた上でちゃんと話し合いしてみたらどうなの?と思うと共に、話し合いすらまともに出来ない人間とは、その先家族としてのパートナーシップを結ぶ事はどう考えても難しいのだから、その時にちゃんと身の振り方を考えて動いたら良いのでは?と思う。
そんな、何で兄弟の様なTEDを恋人がどっちが大切なの!?と、迫っているのを見て、意味が分からない、、その価値観、、
という感想を私には全く合わない映画で見終わった後一緒に見てた人に言わせれば、5歳は老け込んで見える位には疲れていたらしい、、
離婚するもしないも、その御夫婦の問題だし好きにしたらええがな!と思うんだけどさ。
何つうか、タイミングが悪すぎるんだよなぁ、、ってのと、単にまだ世間に出してない夫側の有責事実とかがつい最近あったとかなら、かなり優遇された状態で離婚できると思うんだけどさ、なんつうか、現時点だと、、有責側っていうと、、うーーん、、騒ぎ始めた奥さん側にも昔からかなりの炎上騒ぎが奥さん単体で起こってたりしたから、、なんか、こう、とりあえず、我慢できなくて宣言しちゃったー!!ってのは個人の自由だから全然良いとは思うんだけど、奥さん側の分が周りから見るととっても悪く見えてしまう(例え、悪くなかったとしても)
最悪のタイミングでの宣言だなぁ、、ってのと
現時点でそのご夫婦の経済状況は全く知らないけども、、彼女個人のchが結婚前?の稼ぎでとんでもなく稼いでいた様には思えないのと、子育てもあいまって、開店休業状態である現状と、そもそも、どうも、奥さんの性格的に一つのことをずっと継続して続けるのがお一人では、割と難しい人なのではなかろうか?という風に過去の御夫婦動画を見ていても思ったりなんぞしていて、まあ、、ご主人がかなり稼いで居るんだとは思うんだけどさ、慰謝料たーーくさんそれこそ一生働かなくても良いくらい貰ったとしても、今まで通りの使い方だと、お子さん達の未来を考えた時に割と養育費は継続的にお子さんの当然の権利として支払われるとは思うんだけど、生活の質をある程度抑えないと難しいのでは?と思ったのと、あれだけお顔が知れてる人が、生活の為に例えば何処かの一般職においそれと、直ぐに就職出来るんだろか?という疑問があったりなかったりする。
確か保育士さんの資格をお持ちだった気もするけど、あれだけ炎上してて、世の主婦層に知れ渡ってる方だから、本来保育士さんという堅めの資格も、本来の使い方では使えない可能性がとても高いのでは?と思われるのよねぇ。
ただ、子供達にできる限りの教育をしたい!という願望はお持ちのようなので、今後向かわせたい方向によっては、当初予定していた慰謝料や養育費だけでは、足りなくなる可能性もあるだろし、、
ある程度の学校に進学させるとしたら、シングルの家庭は面談の時点で割と不利になるので、どんだけ財力があっても、そこの選択肢が離婚によって自動的に選べなくなってしまう可能性は残念ながら大きい。
つうか、、なんだろなぁ。
その、チームで売れた人はチーム解散したらそれ以上跳ねる事は残念ながらないんだよねぇ。
確かに子供達の父親は、夫ただ1人ではあるんだけどさ
その中々に高レベルな暮らしを支えてるのはその夫なのではないのかい?とも思うんだけどさ、、この考え方は昭和の固すぎる私の脳みそ故なのかなぁ。
離婚するしないは好きにしたらええやん!って思うし、おおいにしちゃえばええやん!と思うんだけど、なんつうか、もっとちゃんとあれこれ、確実に地盤を固めてから、宣言したら良かったのになぁ。。
てのと、夫も、その親友もそして騒ぎ始めた奥さんも、ちゃんと冷静に話せてないのかな?てのと
エンタメの世界だとおそらく、2〜3年先のスケジュールまで大体決まってるのが定番なんだけど、、まあそこは、組織形態故にユルユルなのかなぁ?的な、、
なので、スケジュール共有とか、夫側が、ちゃんと妻に必要な情報をちゃんと伝えてなくて、グループ側と妻が上手く意思疎通ができてなかったりとか、、が、昔の脱退騒ぎの時も起こってるんじゃなかったかなぁー?と思うんだけどなぁ。。
て、、離婚するなら準備ちゃんとして、ヒステリックにならずに、冷静に淡々と、キッチリ相手を詰めていかなきゃ結局別の人と再婚しても同じ事の繰り返しなんだよね、、
そして、ちゃんと取れる物取っておかないと、本当に苦しくなるよー と、、この言葉を20年以上前に離婚した自分にも言いたいんだけどさw
あの頃の私はヒステリックになる元気すらなく
もう、流産して真っ白だったからなぁ、、
とにかく、逃げなくちゃしか頭に無かったから、慰謝料とかも一切考えられなくて、とにかく、離れなくちゃ、逃げなくちゃの一心で離婚したけどさ
その後まーあ、本当に大変だった、、
貰える物は本当に貰っておけば良かったなぁ、、
ってめっちゃ後悔したなぁ。
何つうか、とりあえずさ
奥さんよりも長く苦楽を共にした友達グループの人たちが未だに彼女を受け入れられないのには何かしらの理由があるんじゃないのか?と個人的には思うのと。
(昔は他のメンバーは、若くて家庭がどーのこーのの想像が付かなかったというのは分かる)
もし、それで夫側がグループを脱退した際に、多分グループに居た程は稼げないと思うけど、そこの生活ちゃんと想定してる?
てのと、暴露本だしてやるー!!とかもあるかもだけど、、本って印税確か初版に刷った分が一括で入るけど、それ以降の印税は余程のベストセラーにならない限りは、入ってこない仕組みの筈なので、、暴露本一冊二冊出した所で、、だと思うんだよなぁ、、
なんか、こうグループのリーダーも、騒いでる奥さんも、2人とも「自分が一番主人公」的な気持ちが強く出てる気が普段からするんだけども。
とりあえず、渦中の夫君は、リーダーのでも、奥さんの持ち物でもなく、多分彼自身の人生を歩みつつ、グループに所属する事によってかなりの才能を放てているタイプ(確かにめっちゃ天才肌タイプだけど、それだけではそんなに跳ねられない性質の人に見受けられる)
それを「私の夫だから」「ウチのグループの主砲であり親友だから」と、めっちゃ取り合ってるように見えるんだよね。。
親友には、親友に見せる顔があって
奥さんには奥さんに見せる顔がある。
そんなの、人間皆んなそのはずなので、夫君である彼が見せている顔はその人の前の顔が全てではないってのが、親友にしろ、奥さんにしろ、なんか、、冷静さを失って「自分は全てをしっている!向こうが間違ってる!」とお互いに歪み合ってるようにしか見えない
ってのが、残念ながら個人的な感想。
離婚するなら、ちゃんと段階踏んで、色々固めてから踏み出した方が未来の自分と子供の為だよー
と、、言いたい
どちらにせよ、皆それぞれの人生を謳歌してくれたら良いねぇ。
分類分けが必要ですか?
ジェンダーレストイレについて思う事。
ジェンダーレストイレについてココ最近かなりTLにこの話題が流れてくるんだけども。
実の伯父に5・6歳くらいまでの間それなりに宜しくない虐待をされた上で、多分その記憶が嫌すぎて脳みそから抹消した上で、40歳になって脳みそがロック解除して全部の記憶戻った人間から言わせてもらうと、大きない商業施設では作らない方がいいと思う。
というのが、個人的な意見。
今でもジェンダーレス云々関係なく、カフェとか飲食店で男女兼用の御手洗が色んな所に存在しているんだけども、ああいう性別を問わないおトイレが、個室で1人しか入れない状態であるのはまだ良いと思う。
スペース的に本当に狭いから。
ただ、お子さんを連れてる方は気をつけた方が良いと思う。
個室でも、大人が一緒に入れるスペースがあるから、こっそり隠れている人間は残念ながら存在する。
あと、大きめの商業施設だと、個室は完全個室でも男女関係なく出入り出来てしまえば、空いてる個室に潜んでいて、誰か別の個室に入ってきた時にどうこうも、勿論有り得る話なので、試してみてからダメなら考えようだと、じゃあその「ダメな例として被害にあった人は?」となる。
そういう被害に一切抵抗できない年齢であった人は、私のようにいつか、脳みそがロック解除して知りたくもなかった記憶を呼び戻すことだってある。
一生付きまとう。
「ダメな例だったねー」では済まない。
人の一生に対して、その「とりあえず実験してみようか〜」の人たちは、責任をそれぞれ持てるのか?
だと思う。
自分の子供や、家族や、
友達や、孫がもし被害にあって、一生病んだとした時に
「ダメな例だったからね〜」で済ませられるのか?
判断するのはそこではなかろうか?と思う。
実際、子供の頃に大きなショッピングセンターの水飲み場で何回も痴漢にあい、その度に親は目を離して居たので
犯人はもちろん捕まらず、挙句の果てに幼少期に実の伯父にあれこれされていたとか、初老になってから思い出したらやり切れない訳です。
そこまで、皆責任もって
「実験してみよう!」と言ってるのかなー?
と、思う。
勿論ジェンダーレスの人達に対して批判的に思う事なんて全くない。
そもそも、私は昔はバイセクシャルだったし、同性とも付き合ったこともあれば、女子トイレに入ると男性と間違われて叫ばれてどうしよう。。という悩みで悩んでいる友達も居た。
ゲイのお友達も勿論居たけれど、昔過ぎるのかもしれないが、彼らが希望するのはトイレ云々よりも、先ず婚姻関係を結べる権利であって、トイレ云々の話は聞いた事が無かった。
(時代が古すぎて、当事者がそれを指摘する雰囲気ではなかったのかもしれないが)
彼らが希望するのは、自分たちを分類分けして欲しい云々ではなく、ただ、人間としての権利が欲しい。
それだけの単純な希望であったと、今も昔も私個人としては思う。
そして、実の姪っ子に手を出すとか、どんな底辺なの?と育ちを疑う人もたまに居るが、失礼ながら、私の育ち及び家系としての血筋は残念ながら悪くない。
我が家の姉妹以外はみな伯父のや祖父母の代からそれなりの名門大学を卒業していて、日本国民なら知らない人が居ないであろう会社に勤務し、それなり良い生活を送ってきた親戚ばかりであり、実の親もそうであった。
身なりや血筋や、普段の生活態度とは全く違う、多分その人間の奥底にあるもっと精神的な「何か」が元々先天的に幼児を愛する性癖なのか、もしくは成長の過程で歪んでしまったのか?そこに対しての、善悪の判断がちゃんと付けられるのか?
は、育ちや血筋は多分そこまで関係ない。
そこはもう、自分を抑えられるのか否か
という個人の中の欲望といかに戦えるのか?だと思う。
勿論実験するのが全て悪いとは思わない。
ただ、実験した時に失敗例が出たとして、その「失敗例」となる事件に巻き込まれた人間の一生に対して貴方はそして、世間は責任を持てますか?
その時、その責任を犯人だけのせいにしませんか?
という事を、聞きたいな。。と思う。
なんでだよ
2023年の1/21に腐れ縁で繋がっていた女友達が亡くなった。
と、いう報せを1/22の夜に聞いた。
あまりにも、びっくりした。
でも、彼女の事を誰よりも愛していた、元旦那さんであり、再婚する予定だった旦那さんが泣きながら電話してきたから冗談では無い事だけは理解できた。
思えば本当に不思議な縁で知り合い、おそらくごく普通に生活していたら絶対に友達になったり、関わり合いがほぼ無いであろうと思える種類のお友達だった。
が、妙にうまがあい、何でもお互いに言い合えた上で激しい喧嘩をよくしては、年単位で音信不通になるも、ちょっとした拍子にまた連絡を取っては、何事も無かったかのようにまた笑い合う。
そんな、不思議な友達だった。
見た目も中身もキョーレツで唯一無二の存在感。
多分彼女と少しでも時を共にした人は彼女の事を忘れる事は無いと断言出来る人間だった。
彼女の旦那さん達総勢4名のうち3名には会い、勿論入籍しなかった彼氏達にも幾度となく紹介され、彼女の恋愛遍歴も、結婚離婚遍歴もその殆どを何故かその傍らに居て、何なら彼女が恋人や、旦那さんと別れて次の家に行くまでの行き場がない時に我が家に大体1ヶ月滞在し、マイペースな凸凹コンビとして「誰か」と生活するのがとんでもなく苦手な私がいちばん長く付き合ったパートナーと、妹以外で唯一一緒に住む事の出来た数少ない友達である。
彼女と、妹と、30代の時に長く付き合った彼氏以外には、散らかりまくった自分の部屋をどうしても見られるのが嫌すぎて、どんなに仲良くしているお友達でも家にあげられない事もある、もしくは、お友達を呼ぶ時はとにかく目につく場所はとことん綺麗にして自分が満足するまで掃除しない限りは誰も呼べないという、極端な価値観の私なのだが、その3人だけはどんなに散らかった部屋を見られても平気だったので多分相性が良かったのだろう。
そんな、彼女が亡くなった。
しかも、自死で。
私は、彼女と最後に連絡した時は4番目の元旦那さんと、1月末に再婚する予定とかで、彼女は甲斐甲斐しくお弁当を朝早くから起きて作ったりして、メンタルも落ち着き充実した専業主婦みたいな生活をしていたのに、、
色々とお互いの行き違いで、私と彼女は文字のやり取りで喧嘩をその後にして、距離を取っていたほんの半月からひと月の間に謎に彼女は元彼氏と連絡を取り(旦那さんはそんな彼女の全てを愛していたし、彼女は2年周期で、別の男の所にいく癖のある人だった)
一旦はヨリを戻したものの、元彼氏は勿論旦那さんの存在も知っているのと、今月末に入籍する予定だったのも知っていたからか?当たり前に彼女の事を拒否したらしい。
まあ、普通に考えれば断るのが当たり前な状況だと思う。
が、元々彼女は瞬間湯沸かし器みたいな性格の人なので、昔から自死行為を仄めかしたり、実行してしまう人だったので、何回か病院に運ばれた事も実際にある人だったのだが、どうやら今回は本当に亡くなってしまった様だった。
何となく、私も彼女もお互いに「コイツは死なないな」「ずっと図太く生きていく人だ」的な意識がお互いにあったので、まさか、これから彼女の望む落ち着いた専業主婦的な生活が目前に待っていて、彼女のメンタルも体調も全て理解してくれている旦那さんと前々からずっと一緒に住んでいて、愛猫2匹と今後も旦那さんの稼ぎで幸せに暮らしていく、、筈だったのに!?なんで?つうか、本当になんで??
と、しか報せを受けた私には頭に浮かばなかったし
最初「え?嘘でしょ?」としか言えなかった。。
位になんていうか、鈍器で頭殴られたみたいなすっごい衝撃が走ったのは覚えてる。
最初はぜんぜん事実も状況も呑み込めなくて、死を受け入れる事すら出来なくて、なんだか、こう神隠しにあったみたいな、、狐につままれたみたいな、そんなフンワリとした感覚しか無かったけど、電話口で泣く旦那さんの震える声を聞いて「これは真実なんだろう」と頭では分かってるけど全然信じられない感じのまま3~5日が過ぎ、、その後も私の日常は当たり前に過ぎていく中で、友達に話を聞いてもらったりしつつ、この間出かけていた時にフト聞いていた音楽でめちゃくちゃ彼女を思い出して、静かにバスの中で泣いた。
私の人生は多分音楽と共にあって、意識してなくても誰かを強く思い出す曲が存在していて、何の気なしに聴いて思い出すって事が数多くあるけど、今回も不意打ちで、自分でもびっくりした。
が、泣ける事、悲しめる事は人間にとって、とても大切な行為なので、泣けるうちにないて、悲しめる時に存分に悲しんで、それがきっと自分自身の心の整理もしてくれるし亡くなった彼女の供養にもなると勝手に思っている。
私が、年下のお友達の訃報を聞くのはこれで3回目。
初めて聞いた時はもうお友達が亡くなって数ヶ月経過していて、何もかもが終わった状況だったのでそれこそ、その死を受け入れられず、2年余りその子の最寄り駅で乗り継ぐ時にその子の後ろ姿を探してしまうという、行動を無意識にしてしまってとても辛かったのを覚えている。
今回の友達はとても遠い地方に住んでいた事。
家庭の事情でお葬式等を出来ない環境だったこと。
唯一、籍は入っていないけど、元旦那さんという立場で、現在も一緒に住んでいる同居人として、現地で亡くなった彼女に寄り添えるのが元旦那さんのみなので、彼が血縁者からの意向でただ1人、彼女の火葬に立ち会えた事。
そして、亡くなった報せも、火葬の予定も、今後細かな所が明らかになるであろう彼女の亡くなった時の状況も、元旦那さんが連絡してきてくれるだろう。。
私は、徐々に彼女の死を受け入れ、なんとか今年中には彼女が住んでいた場所にそのまま住み続けるらしき旦那さんが飾った遺影に向かってお線香を上げに行こうと思っている。
その時、本当に彼女の死を受け入れられるのかもしれない。
何回経験しても年下のお友達が亡くなるのは本当に慣れない。
そして、悲しい。
それと、同時に私は何故かまだ生きているなぁと、思ったり、もうこれは「生きてる」じゃなくて、何らかの理由により「生かされてる」んだろなぁとしか年々思えなくなってきている。
多分だけど、今回亡くなった彼女は、沢山の男性達から本当に愛され、彼女も、彼等を彼女なりに愛し、その中で本当に彼女の人生にはどんな事があっても欠かせない存在となった、元旦那さんと知り合い、彼の愛を一心に受け、その元旦那さんともぶつかり合ったりしつつも、最終的には「イチ女性として、全ての愛を注がれた人生のすごろくをゴールした感」があったのは周りにいた私も感じられていたことなので、もしかしたらだけど、本当に本当の意味で天寿をまっとうしたのかもしれない。。
と、思った。
彼女が本当の意味でちゃんと人を愛する意味と、本当の意味で愛される事を知った時、ゴールに駆け込んで
でも、そのゴールはこれまで刺激的過ぎる程に刺激的な人生を送ってきた彼女からしたら退屈だったのか?は分からないけど、でもなんか本当にゴールした感は否めないので、綺麗に行くべき時に逝ったのかもしれない。。とさえ思う。
旦那さんからしたら、そんな事はきっと決して無いだろうし、傍で見てきた私ですら「多分旦那さんが彼女以上に好きになれる人居ないんだろうなぁ」と思ってしまう程に、きっと今後も旦那さんは亡くなった彼女の事を永遠に彼の人生が終わるまで愛し続けると思う。
この世でただ1人の男性の一生分の想う心を永遠に封じ込めたのだ。
彼はきっと彼と彼女の思い出の宝箱の中でのみ、きっと人を愛し続けるんだと思う。
勿論、旦那さんが今後新たなスタートを切って新しい人と幸せになる未来があるのならそれはとても素晴らしい事だし、私も嬉しいのだけど、多分それは中々に難しそう。。と彼女を知ってる人なら口を揃えて言うだろうな。。と、思う今日この頃。
私の2023年はどんな風に進んでいくんだろう。
去年はなんだか慌ただしすぎて、とってもキツかった印象なので、今年は穏やかに淡々と生きていきたいと思ってたのだが、既になんだか波乱の様子を含みつつスタートしてる気もしなくも無い。。
ですが、きっと私は今年も図太く、私らしく生きていくのであろう。
そして、これ以上年下のお友達を見送る事が私の人生でもう起こらない事を願いつつ。
悲しい事は時間薬と、悲しめる時に思い切り悲しむ事が大切なので、徐々にいつものペースを取り戻しつつ、今年も自分ファーストで、面白楽しく生きていこう。
いつか、私が自分の寿命をまっとうした際には先に逝ってた彼女達に会って頭1回叩かせてもらうわ!
と、勝手に思いつつ。
おばあちゃんになった私に気づいてもらえるのか?が少々不安でもあります。
規制緩和って凄い
久しぶりの更新となりました。
最近、とあるSNSに流れてくる地元の施設の広告。
新しい施設から前々からある施設も。
SNSに年齢とかも登録するから流れてくるのは当然ですが、最近やたらと流れてくる「医療ダイエット」
とやらは一体何をするのだろう?と試しにポチっ
とな〜と表示広告わざと押してみた。
脂肪冷却とか、点滴して、横になるだけで1ヶ月で5キロ減(どう考えても病気の域やん。。
と、思いつつ、そのまま下に行くと
「我慢出来ない食欲は医療ダイエットで食欲を抑える
お薬を医師が処方!」と出ている処方薬の薬名見て
言葉を失ったよね。
私は過去に過食症になった事があって、そのお薬の名前は知っていたが、ついぞ処方される事は無かった劇薬の錠剤がそのまま名前入りで映されていたのだもの。
過食症は悪化すると、過食嘔吐となり殆どの日本人の場合は欧米諸国に見られるような太り方ではなく、欲望のままに食べていくうちに、内臓が悲鳴を上げて
嘔吐してしまう(キャパオーバー分を食べても食べ続ける)そして、本人は嘔吐したにも関わらず脳みそは
満腹を感じなくなるので、その後も食べ続けて、ずっと嘔吐してを繰り返すので、過食症の末期患者も、拒食症の末期患者と同様食べては吐いてを繰り返すから結果的見分けのつかないガリガリになって、それこそ
生命の危機に瀕するわけだ。
どのタイミングで内臓が悲鳴を上げて嘔吐するのか?は勿論同じ日本人と言えど個人差はあるものの、欧米の様に200kg超迄太れる人は大元の作りが違うので難しい民族なのだ。
で、SNSに出ていた薬の話に戻る。
私も過食症で元の体重から48kg肥っても尚お腹の空いてしまう自分が嫌すぎて、何度か主治医と交渉したことがある。
しかし、主治医によればその薬は本当に最終手段として出す薬だとして、副作用を教えてくれた。
※そもそも、向精神薬や精神薬・抗不安薬は、一時的に脳みそから出るべきホルモン(満腹を伝える物や空腹を伝える物等々)が出なくなったのを補う為に処方される物なので、脳に直接的なアプローチが多少なりとも伴います※
まず、食欲を抑える為に脳みそにかなりの負担がかかる為、幻覚・幻聴は当たり前に副作用として起きるという事。
その後、過食症が治ったとしても幻覚幻聴の副作用による別の精神疾患の進行が考えられるので、それ以降はその後副作用で出現した症状に対する治療が必要となるので、更に処方薬が増える可能性が高い事。
その為、社会復帰等のタイミングがかなり遅れる可能性が高い事。
という事だった。仕方なくその食欲を抑える薬は諦める事となったがその後私も過食嘔吐の症状が出始めつつあったので、一時的に摂食障害を専門に扱う医師のもとに転院するも、そこの担当医も同じような事を告げた上で、その処方薬は過食嘔吐末期となり食べるのをやめさせた上で内臓を休めないと生命の危機手前に来ていて、社会復帰も長期的に見て先になりそうな患者さんにのみ処方できる物だと教えてくれたのでした。
その後私は無事に過食症は完治し、現在もストレスを感じると食欲に傾きがちではありますが、昔の様に訳のわからない病的な量を食べたりする事はなく、健常者の人のストレス発散ドカ食いの範囲内で治まってます。
そんな、自身の経験を踏まえた上で、冒頭のSNSでの
「医療ダイエット」での、様々な痩身の為の医療的なアプローチに加えて処方されるおそらく、自由診療(健康保険が利用不可の10割負担)のお値段で、医師がホイホイと「医療痩身」の名目で食欲を抑えるあの副作用が凄まじく、摂食障害専門の医師でさえも、最後の切り札としてでしか処方出来ない薬を院内処方で処方するのだろう(調剤薬局での処方の際は、調剤薬局の薬剤師さんに色々と突っ込まれる可能性がある為)自由診療で院内処方ならば、薬剤師さんから処方薬の副作用の説明もなく、色々と端折られた副作用の簡単な説明のみで、医療ダイエットの一貫として、あの薬をなんの迷いもなく痩せたい一心で服用してしまう人が爆増してしまわないか?が、凄く怖いなぁ。。と思った今日この頃です。
どちらにしても、ダイエットは適度な運動とバランスの良い食事が、1番の近道です。
しかし、この処方薬が堂々と広告に表示されても何も問題なく、続々と医療として自由診療の医療ダイエットのクリニックがオープンすると考えると、その後
大変な未来を抱えて生きていく痩せたい人達が、爆増してしまう世界にならない事を願うしかないなぁ。。
と、思った私でした。