あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

今年はそういう年なのかもしれない

私の人生において、今までそれなりに個性的な人々に恵まれている人生だと思っているのだけど、その中でも群を抜いて不思議だったお友達と、お友達関係の継続が難しくなってしまったねぇ、、宣言をとうとうご本人から頂いた。

ご本人曰く、一生続けたい趣味が見つかり、余暇はその趣味の練習にのみ当てたい&その趣味友達は一生失いたくないので、貴女と会う時間はありません!という宣言を頂いたのだが、ある意味それは彼女の人生のステージがバージョンアップした訳で、とてもおめでたい事である。

が、それなりに悲しくもある。

元々、あまり人間そのものに興味のない性格の持ち主の女性だったので、何故私を友達として好きになってくれて、興味を持ってくれたのか?は私には分からないけれど、彼女はいつも想像の斜め3段上位の返答をし、でも、、彼女の中には一本筋の通っている彼女なりのルールがあり、すっとぼけている様で居て、本当にすっとぼけてる所も実際にはあるけど、めっちゃ真面目でストイックな所もある、本当に、本当に楽しくて面白い女性だった。

 

ある意味「カナコさんとは一生のお友達としては必要ないです」宣言されたのとまぁ、極論で言ってしまえば変わらないのだけども、、

去年辺りから、本当に中々会うためのスケジュールの連絡をしても、いつまで経ってもスケジュール合わないなぁ、、と感じつつ「多分だけど、、コレ彼女の中で私に対する興味が薄れてきてるんだろなぁ」ってのは薄々気付いていた。

 

が、私はとっても性格が悪いので「気付いて欲しい、察してほしい」は絶対に受け入れませんぜスタンスなので、相手がハッキリ言わない限りはちゃんと確認するし、スケジュールもいつなら合うのか?を聞く。

何なら大人になってからお友達になった人には一番最初に言う様にしてる。

「気付いて欲しい・察してほしいは、私はできません(本当は出来るけどね)良いことも悪い事も例えその事柄が私を傷つけることになろうとも、その時に必ず教えてください、後日言われても私には分かりません」と、宣言させてもらっている、、

我ながら面倒くさい人間だなぁ、、というのは分かってるし自覚してるけど、私は多分親の察し欲しい・気付いて欲しいを幼少期から気にしすぎて、一度全てが崩壊したので、その後の自己を作る際にそれを捨てる事にしたのだよね、ズルいかもだけど、自衛の為に。

 

どんだけ初対面の時にそれを宣言しつつ、仲が深まってからも、定期的にその宣言はしてるんだけどね、人間って自分が悪い人になりたくないのは、当たり前なのだけど、そのいっとき、相手を傷つけてしまう可能性があったとしても、何年とか、それなりに期間を寝かせて、相手が忘れた頃に大爆発してその頃の不平不満をある日突然ぶつけられると、その頃よりも、遥かに大きくなった不平不満なので、ダメージはその頃受けるはずであったちょっとした擦り傷では収まらず、大爆発クラスの傷を互いに追い、結局その時点で双方の人間関係が破綻してしまって、以前の様な付き合いは不可能レベルの大怪我になる。

 

だからこそ、性格悪いかも知れないけれど、その時受けた傷、不平不満、嫌だった事、逆に素敵だと思った事、褒めたい事、伝えたいと思った感想は、その時に早めに私は伝わる様に相手に伝える様にしている。

 

で、まあ、タイトルにある「そういう年」は

今年は友達を色んな形で距離感?というか、まあ友達で居られなくなってしまうという残念な年なのかもなぁ、、と

一月のギャルルの訃報に始まり、、春だったか、夏だったか?には、推し活キッカケでお友達になった人と上手く距離感が取れなくなり、秋の不思議ちゃんが去るという、、今年はこれでなんとか収まって欲しいなぁと思うけど、、あと2ヶ月どうなるのかしら?

と、思いつつ、多分彼女達の人生のステージがバージョンアップしたから故の、私とのミスマッチ感による、齟齬の発生だと思うのよね。。

 

ギャルルに関しては、レアケースで彼女は病気が中々に自身でコントロールが難しい位に重い人だったので、これまでもそういう行動は度々行なっていた彼女が、たまたま、本当に今回はポックリ逝ってしまったんだろうなぁ。。

と、思うけど、後の2人は彼女達の人生のステージが進んだからなんだと思う。

 

んで、私は?なのだけど、残念ながら若年性の更年期障害を38歳で発症してから、何年体力は落ち、一時的に持ち直しても、やはりホルモンバランスは混乱するばかりで子宮疾患のある私はホルモン治療も出来ないので閉経待ちしか方法がなく、自分の力だけでは生きていかれなくなり、障がい者として生きていくのをやっと受け入れられた2021年(それまでは、自分でも何とか、また普通に生きていかれるかもしれない!体鍛えるとかして!と、望みを持っていた)実質39歳から、普通に働けなくなってしまった私の人生は、今後人間としてステージのバージョンアップは訪れないのだけは、確定している。。

子供を産み育てている人は、子育てに伴って自身の立場が1人の女性だけではなく、妻だったり母だったりと、変わっていくと共に、お子さんの成長度合いからも、専業主婦だった人から職場復帰する人や、それまでパートのみだった人が、お子さんの成長により、その後の離婚も見越して、自立する為の再就職に備えて動き出したり、、

 

不思議ちゃんの様に、キャリアを重ねて新たにのめり込みたくなる趣味を見つけて、その活動を一生続けていく為に、余暇は全てその練習に当てたい!という人もいたりする。

 

そういう人生のステージのバージョンアップを私は体質により諦めざるをえなかったのと、彼女達が勉強を頑張っていた時期に私はサボっていたり、周りに比べると異様に早く結婚して離婚して、、でその後も再婚する事なく、妊娠出産をしないままに生きる事のみに懸命すぎて、一般的に頑張るべき時期に頑張らなかったツケが早めに回ってきて、めちゃくちゃ早い隠居生活が始まってしまった。という、まあまあに残念な人間なのだから、永遠に、人生のステージのバージョンアップは来ないのである。

 

そりゃあ、、話も合わなくなるよねぇ

だって皆、ちゃんと生きて、成長してるんだもの。

私は、自らそれを放棄してしまったのだもの。

精神的な成長は辞めたいとは思わないし寧ろ全ての事柄から、色んな事を吸収したいと思っている人間なので、別ベクトルではどうやら、一応成長しているらしい。

 

 

しかし、彼女達の様な成長は残念ながら出来ないので、極論を言ってしまえば、彼女達からしたら、私は「とてもつまらない人間」の何者でもないのだよね。

 

勿論、子育て真っ最中で、日々奮闘している友達はいて、彼女達とは一年に一回連絡取れれば良い方位の距離感なのだけど、彼女達のお子さんが成長したらまた、お茶してくれる余力が残ってたら、お茶出来る余裕はあるんだよね。

それまで気長に彼女達のお子さんが成長するのを待っていれば良いだけなので、生きていられる間は気長に待ってる予定なのだけど「一生続けたい趣味で、その趣味友達とは一生友達でいたいので、貴女と会える日は無いです!」はもう可能性ゼロだよね〜

が、確定しているので、、中々物事ハッキリ言えない+一緒に遊びに行きたいです!は本当に悪意なく、本気で行く気が(その時は)あって、発言する女性なので、できない約束をとりあえず、その場のノリで言っちゃった 的な人では無いのは理解していたのだけど、どうしてもね、、その後彼女の中で「やっぱりカナコさんに会うよりも、趣味にあてたい」の感情が強くなって、結果半年前くらいからずっとスケジュール合う日がわかったら教えてね!的な感じで毎月シフト分った頃に連絡してたのだけど、多分彼女は中々言い出せなくて、のらりくらりとかわしてたら、気付いてくれ無いだろか?察してくれないだろか?が透けて見えていたのだけど、ちゃんと言ってね!と、その度に私は察して無いよ!アピールをわざとしていたので、やっと言ってくれたんだな。

と、感謝もしたけど、まあ、、貴重なお友達を1人失った事には変わらないので、それなりに悲しかったりもしたし、私にはもう出来ない人生のステージのバージョンアップをして去って行った彼女達を羨ましく思う気持ちも勿論ある、、けど、これは彼女達の門出なのだ。

祝う気持ちもありつつ、寂しく思う気持ちもありつつ、周りから見たら「ぬかるみ」でしかないかも?

な、私の人生だけど、私はぬかるみなら、ぬかるみ也に、楽しく過ごしやすく過ごしていくのが、モットーです。

 

とりあえず、来世という物が存在するのであれば、多分私は人間関係の構築に本当に向いていないと思うので、来世はまりもにでもなれたら嬉しいなぁ。

 

もう、誰かを看送るのは疲れちゃったので

今後看送るのは自分の親と、お猫様だけにして欲しいなと、、正直言って思っている。