ある意味、私と妹は母方の血縁者からすると
生け贄だった。
私達の母方には三人の叔父がいる。
母は4人兄弟の末っ子で、一人娘だったので
それはもう、姫の様に大切に、大切に
祖父の並々ならぬ愛情と、鬼の様な束縛を受けながら育ったそうな。
で、叔父のうちの一人はロリコンだった。
私達姉妹は、冬休みと夏休みは転勤族だったけど、母方の実家と父方の実家に数泊母と共に
帰省していた。
私達姉妹は母方の実家に行くと必ず祖父母と共に住んでいた、ロリコンの叔父に預けられて
母は、祖父と毎日お出かけしていた。
先ず、私が2歳にいくか行かないか?位の時に祖父が私の異変に気づき「あの叔父さんには、裸を見せちゃいけないよ」と言われたのを今でもハッキリと覚えているが、2歳にもなるかならないか当時の私がその言葉を上手く理解出来るわけもなく。
そして、その後も祖父は、そのロリコンの叔父に私を預け続けて、帰省中は主婦業で疲れている母に付きっきりで、色んな場所に母を連れ出して買い物なんかをしていた様だ。
その2年後位に妹が生まれて、その後の帰省中も、祖父はその叔父に私達姉妹を預けて、母を連れ出して母のストレスの発散をさせていた。
そして、妹はその記憶を中学時代に思い出してから10年間立派に引きこもり、今は人生双六をちゃんと進めて2児の母として立派に生きている。
私は。。というと、40歳になるまで脳みそが
「この記憶を思い出させたらこいつ死ぬかも」ロックがかかっていたので、記憶が抹消されていたけど、40歳のある日。
バスに乗って主治医の所に行くときに突然
その脳みそのロックが外れて、2歳になるかならないか?の頃の叔父にされた様々な性的な虐待を、全て思い出した。
多分、バスで移動中にその叔父とそっくりな
話す時に地声が大きくて別に怒ってるわけでは無いけど、怒鳴っている様に話す男性達が沢山乗り込んできて、怒鳴っているかの如く話し始めた事と、脳みそのロックが外れたのもあって、一気に記憶がすべて蘇った。
何の感情も無いのに突然ガタガタ震え出して、悲しくも無いのに涙が溢れてきた。
「ああ、これがPTSDってやつかなるほどね」と、まあまあに冷静だけど、どう考えても異常だった。
結果として、母方の他の叔父達は私達姉妹がその問題の叔父に性的虐待を3歳になるまで受けていた事も承知の上で「どうせ子供だから記憶なんて残らないだろう」と鷹を括っていた様だ。
何より、彼らは彼らの最も大切なお姫様。
つまりは、私の母を守りたかったのだろう。
だから、それに気づいた祖父はその事を把握していたのにも、かかわらず私達姉妹を。
つまりは祖父の孫にあたる私達をその叔父に
生け贄として、預けていたのだ。
祖父に嫌な事をされた事はないし、むしろ
可愛がってもらった記憶しかないが、結果として祖父が私達を可愛がってくれたのは母を守るために、叔父に生け贄として献上している祖父の罪悪感からの償いという意味で祖父なりに償いのつもりで優しくしてくれていたのだとは思う。
が、ハッキリ言って異常だし、許せないけど、祖父はとっくの昔に亡くなっている。
そして、その事実をしるもう一人の叔父は、
港区のタワーマンションに夫婦で住み、ハウスキーパーが全て家事をしてくれる豪華な暮らしを楽しみ、ベンツを乗り回している。
私の両親はもちろんこの事を知らないし、そこそこに良い地域でそれなりに良い暮らしをしている。
そして、祖父や叔父達が守りたかった彼らのお姫様である私の母は、姫気質が抜けず、今では24時間365日誰かに文句を言う事しか出来ない残念な大人になっている。
私は、記憶が戻った事をタワーマンションに住んでいる叔父に話したら「君は昔死んでくれてれば良かったのにねぇ」と笑顔で言われた。
それが、本当のサイコパスだ。
そんな、叔父が、弱い人を守ります!という弁護士してんだぜ?
笑っちゃうだろ?
おかげさまで、その後PTSDも乗り越えて
あとは、そのクソみたいな血縁者がサッサと天寿を全うして死んでくれればもういっか。
と、思う。
ただ、今までの人生の中で一番胸糞わるく多分
一生許すことの出来ない事はきっとこの生け贄
に、された事だろう。
でも、人を恨む事自体ばかばかしいと思う私の性格なので、あとはその叔父達がサッサと死んでくれればもうどーでも良い。
それより、今後そういう哀しい思いをする子供や若い子が増えない事を切に願う。
本当、たまに、そんな事あったのに何で私は人間が、好きなんだろう?って自分に、呆れる事がめちゃくちゃ多いけど、やっぱり人と関わるのは楽しい。