あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

才能の塊

 

すっかり、更新を怠っておりましたが、2019年明けましておめでとうございます。
こちらの、ブログは本当に気まぐれ更新で、読んでくださっている方がいらっしゃるのかは謎ですが(笑)
今年もどうぞよろしくお願い致します。


以前、YouTubeに関する記事をあげたことがありましたが、今年は日本のYouTuberさんが旅先での事故によって死去なさり、それによる視聴者の方達の反応や、亡くなられたYouTuberさんと直接親交のあった他のクリエイターさん達の反応など、様々な人達の思いや、普段全くYouTubeを見ない人達の反応なども見ることが出来ました。


先ずは、亡くなられたYouTuberさんのご冥福をお祈り致します。


普段からYouTubeを沢山視聴させて頂いている側としては、何よりも驚きと悲しみと、哀しさがこみ上げてくるものがありました。(勿論、亡くなられたYouTuberグループさんのchも拝見しておりました)


そして、YouTubeを普段全く見ない人達の感想を聞いてもっとびっくりしたのを覚えています。


私の年齢は40代なので、YouTubeを沢山視聴する人から、全く興味がなく見たことも利用したこともなく、名前だけは知っているという疎らな人間が多い世代というビミョーな年齢のせいかもしれませんが「YouTuberとは、なんとなくワイワイ騒いで楽しく動画を撮って楽して稼いでいる人」という思考が人によっては未だ浸透している事を自分の友人によって体感してしまうとは驚きでした。


私からすると「YouTuber」という道を選んで生きている人達(勿論私なんかより全然歳下だ)は全世界に幾多もあるchからいかに「自分のchを見てもらえるか?」を常に考え、そして彼等が生きていくための「YouTube」という産業を廃れさせないように常に「旬」を保ち、いかに「継続的」に視聴者に見続けてもらえるか?を考えながら、企画を考え、演者として動画に登場し、撮影をし、編集もする。


それは、言わば「テレビ局」や「映像の仕事」に携わる「プロの人達」がそれぞれの「プロ」が分割して作り上げていく「映像という名の作品」をグループだったり、個人だったり、とにかく一個人の事業主として、今までの大人達が分けていた仕事を一手に自分達で行なって、観る人達を惹きつけつつ、セルフプロデュースも行うという、多分とてつもなく大変な仕事だ。


今、トップYouTuberとして活躍している人達は始まりはただの思い出作りだった人も居れば、なんとなく有名になりたいから。。という理由で始めたり、アルバム代わりに始めた人もいるかもしれない。


そして、幾多のchから自分を見てもらうために奇抜過ぎることや、劇的すぎる事をするYouTuberの人はそのひと時だけ人気者にはなるものの、結局のところ一過性で終わってしまい、継続してみてもらえる事はほぼなく、それではとてもじゃ無いけど、一生生きていけるだけの資金をその一瞬で稼げるのか?というとそれは多分全く無理な事だと思うし、そういう人達はやはり一瞬で消え去ってしまう。


なので、今現在トップを走り続けているトップYouTuberの人達は何よりも「才能の塊」な人達で、そして、その自分の才能を如何に輝かせて、活かしていくのか?
に対して努力を怠らない、とてつもなく努力家で、且つ天才肌の人達なのだろうな。
と、私はただのイチ視聴者として感じている。


そういう才能の塊の人達が国内外構わず世界中に発信してくれているという事は、それはこの国にとってとても大切な「宝」みたいなものではないのか?
と勝手に思っているのだけど、やはり普段からYouTubeを目にしない人からすると「ただの若者がふざけているだけ」に見えてしまうのだろうか?


なんだか、そんな友人の感想を聞いて私は悲しくなってしまった。
彼等よりも歳を取っている私達が、自分よりも若い才能の塊を持っている人達の事を軽視し、亡くなられていると言うのに、その事柄を軽くみてしまう。


人間であっても、どんな生命体であっても、命の重さや大切さにはなんの違いも無いのに。


「職業」という枠で考えたら友人でいる私の命の方が余程軽く、世の中の人からなんとも思われもしない、そもそも、存在していることすら認識されない人間だというのに。
「才能の塊」と「努力家」で沢山の人達に認識されている。
という意味であれば、芸能人やスポーツ選手の人達となんら代わりない人達なのに、「YouTuber」という括りだけでそんなにも「軽視」されてしまうのか。。と


若い・年寄り関係なく、そういう風潮はあるのかもしれないし、個人の考え方ひとつでいくらでも変わる価値観だけど、出来れば、自分の周りの人達がそんな風な考え方をしないでほしいと、切に感じた年明けでした。


YouTuberさんというのは、才能の塊であり、今の子供達にとっては、芸能人のように憧れの存在でもあり、でも画面越しに毎日会えるお友達のようでもあり、、、
多分、少し距離が近い芸能人的な大切な友達の役割も兼ねている存在なんじゃ無いかと私は勝手に思っているのだけど、その子供達にとって「憧れで、友達で、特別な存在」の人が亡くなってしまった事によるショックはきっと大きいし「どんなに、成功している人であっても、生と死は皆平等に訪れる」という事も「取り残される側の哀しさ」も今回のYouTuberさんの死で学び、そして自分達のもっと近くに居る友達や家族や知り合いを大切に思って、くだらない「悪口」や「なんとなく」の遊び感覚で「誰かしらを虐めたり、陥れる」ような事が無くなってくれればいいな。。と思いました。
「虐められた側」や「陥れられた側」の子達が万が一自ら命を絶ってしまった時「虐めた本人達」の心に響かなくても、そのご家族や、そのお友達など「取り残された側」がどんな気持ちになるのか。


を、上の人からも、下の人からも、そして勿論、視聴者の人達にも愛されて、その天才の才能を見せてくれたYouTuberさんの「死」という事で、命の儚さも、脆さも、そして何よりも大切さと重さを、学んでくれたら、きっと彼の死は無駄ではないのでしょう。


人間誰しもが、何事も経験してみないとわからないものです。
私自身も親しくしていた友人が亡くなって「取り残された側」に初めてなった時に「私は自分の家族に、仲良くしてくれている友達に、こんな思いをさせていたのか」と自覚し、その後は病気が酷くてどんなに辛くとも、そのような事を頭で思いついても、実際に行動に移すことはしなくなりました。


何よりも、亡くなられたYouTuberさんご本人が一番悔しく、そして哀しい事でしょう。


残されたクリエイターさん達が、また心から楽しんで今後もYouTubeで、世界中の人々を楽しませてくれる事を願いつつ。
それを視聴できる幸運に、日々感謝して生きていきたいと思います。


年明けから重たい内容で、長文及び乱文を最後までお読み頂きありがとうございました。