あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

生きてる?

ヴィーガンブームについて】

先日、久し振りにTVのニュース番組を見ていてビックリした事があった。

海外でヴィーガンブームに拍車がかかって、ヴィーガンの人々が精肉店などを目の敵にし、暴徒化して精肉店を襲ったという。。。

 

私は無添加主義でもないし、オーガニック信者でもないし、野菜もお肉もお魚も乳製品も卵も海藻類も食べ物は何でも好きな方だ。

別にベジタリアンの人が悪いとか、ヴィーガンの人々の事を異常だとも特には思わない。

「好きにすれば良い」

ただ、それだけだ。

私一個人の感想というか、疑問として幼い頃からあるのはベジタリアンヴィーガンの人々の中で盲信的な人の中には「肉や魚は命を奪っている行為で、残酷だから、私はベジタリアン(もしくはヴィーガン)になったんだ」という意見を持っている人達の思想だ。

「命を奪って生きていくのなんて、自分勝手で、傲慢で、残酷だ」というのも、そう言う思想の人達に多く「それは地球を傷つけている」という思想の持ち主の人々が割と多く存在している。。

という、あくまでも私の感想なんだけど、では、彼等にとって「植物」は「命」ではないのだろうか??

という疑問。

確かに動物のように血も出ないし、種類によっては収穫しても根っこさえ抜かなければまた、葉をつけ茎を伸ばし、再度収穫させてくれる有難い作物もあるし、作物によっては根っこそのものを食して楽しむものもあるので、再生する。。というのとはまた違う植物も存在する。

 

もし「動物を食べることは地球にとって悪い事だ!」と言うなれば、おそらく「人間」の存在そのものが、地球にとってはとんでもなく悪い事であり、はっきり言ってしまえば地球主体で見たらば人間なんて消滅してくれた方がよっぽど「地球」という惑星からしてみれば、星として永らく存在し続けることも出来て、環境破壊もなく、清々すると思う。。

 

彼らの言う「命を奪って食べる事は残酷だ!」が言葉通りなのであれば、彼らは集団自殺する以外に彼らの指す「残酷さ」から逃れられる事は皆無ではないのか?とも思うし「命を奪って生きていくなんて、傲慢だ!」と言いながらも平気で植物の命は奪って生きているのだから、彼らの言う「傲慢さ」は存分に発揮されて生きているようにも、私一個人としては感じるのだ。

 

例えば、元から「食肉用」としてのこの世に生まれ育ってきた牛や豚や鶏を「残酷だから」という理由で山や野に放して「自然に戻すんだ!」なーんて思想を割と本気で持っている方もチラホラ見かけるけれども、完全にペットとしての育てられてきた猫や犬をイキナリ野や山に放して生きていかれるのか?と言えば勿論生きていけないのと同じで「食肉用」に育てられた動物達だって同じ事だ。

人間で例えれば、彼らの言う「人間本来の形で生活しなければ」と言う主張。

彼らの指す「本来の姿」が一体どの時代の「人間」を指しているのかは疑問だけど、おそらく電気もガスも水道もなく、家も勿論自分たちの手で建てるところから始め、日が昇ったら目覚め、日が落ちたら眠る。

多分そんな時代の事を指しているように思うけれど、果たして彼らにその生活が本当に出来るのか?

と言えば多分、できないと思う。

もし、本気でやりたいなら、やりたい人達だけで集まってやれば良いと思うし、その思想が必ずしもいけない事だとも思わない。

どっちが良い、悪いではなくて、人間にも動物にも、植物にも様々な種類や個性があるように、思想はそれぞれ個々に存在するのに、その人達が信じているものが絶対になると「それ以外の思想」や「その思想を否定するもの」を「絶対的な悪」と決めつけて、自分達の思想を押し付けるのが問題だと私は思う。

 

胃腸が弱くて動物性のものを口にすると胸焼けして吐いてしまう体質の人もいれば、何かしらのアレルギーを持った人が動物性のものを口にする事が出来ないって人も居ると思う。

その人達に対して「なんで動物性の物を食べないんだ!不自然だ!!」と叫んでも意味は無いし、無理やり食べさせても良い事は何もない。

ただ、ごくごく一般的に植物性の物も動物性の物も口にできる体質の人で、少しでもその「食材」となってくれた多くの命に敬意を表するのであれば、その食べ物を口に出来たことを命に感謝しながら美味しく頂けば良いと私は思う。

 

作ってくれた人にも、そして、食材にも、自分が口にするすべて物に関わった命や人間に感謝して、美味しく頂く。

これは、きっと「提供」した側からすれば一番の喜びではないだろうか?

 

様々な食べ物を口にする事ができる幸運に対して様々な命や人の手が関わっている事、その事自体に感謝して頂く。

 

そんな、シンプルな事なのに。

何故か皆んなできなくなってしまっているようになっている。

そんな気がしてならない。

 

何をもって「命」と判断して「残酷」とするのかは、人それぞれだ。

 

動物達は生きていて、植物達は死んでいるのだろうか?

 

それも、また人それぞれの判断基準があるとは思うけど、脈々と受け継がれる命があるからこそ、木々は毎年花を咲かせ、実を実らせて、また、種となり芽を出して、大木となっていく。

それは、ベジタリアンヴィーガンの人々にとっては「生きていない」「命」ではないのだろうか?