あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

自由のその先

【完治宣言を受けた後の課題】

私はつい先日、自分の中でおそらく最後であり最大のパンドラの箱が開き、自分の頭の中で幼い頃の様々な状況を理解し、パズルのピースが、全て収まって「自分の闇の部分である過去」というパズルを完成させることができました。

 

精神薬については、主治医の方針もあり、もう何年も服用していませんが、睡眠導入剤については元々不眠に偏りがちな性質のため、現在も続けています。

 

一年程前から私自身が「主治医はどう考えても私より年上だし、カウンセラーさんについても、いつ何時カウンセラーという仕事を辞めるとも限らない」という考えが頭によぎるようになりました。

 

その時点での私はある程度の平穏な毎日を自分なりに過ごしつつも、時期によって落ち込み気味な周期があったり、何かしらの判断を下す時に、以前ほどでは無いにせよ「この判断は一般的な判断だろうか?もしかして、病的な判断に偏っていないだろうか?」と自分の判断に自信が持てない事が多々あった際に主治医やカウンセラーを頼り、意見を募る。

という行動でした。

勿論、現在もそういう意味ではある程度は自分の中で自分自身の判断で日々を送ってはいますが「これはちょっとわからないな」とか「ちょっとこれは大きすぎて自分では無理かな」という時などに主に医療機関を利用するようになっています。

この利用の仕方は決して間違っているわけではなく、むしろ自分を爆発させない為にはある程度必要な事だと思います。

 

ただ、本当の意味での「完治」とはおそらく、主治医やカウンセラーさんの存在が例えなくなったとしても「何かしら」の問題を自分、もしくは自分の周りにいてくれるプライベートな友人達に相談した後に、最終的な判断として自分でその「何かしら」の問題を解決し、その下した判断に自分で自信を持つ事なんだろうと思います。

 

いわゆる「医療機関への依存からの脱却」ですね。

別に医療機関を利用することに関して言えば全く悪いことではありません。

ただ、それらに頼るあまり、自分の下した感情や判断にいつまでも自信が持てない(無意識に)医療機関で確認しないと安心できない。という状況が良くないと、私は考えるのです。

最悪のケースとして、信頼している主治医とカウンセラーが医療機関の仕事を何らかの形で引退や辞める、といった事態になった時に患者である私が「お疲れ様でした。本当にお世話になりました。ありがとうございます」と心からお祝いし感謝の気持ちで見送れるのか、はたまた「え!そしたら私はこの後の人生誰に何を聞いて確認しながら生きていけばいいの?」とパニックに陥るか。。では雲泥の差が生まれる。というわけです。

 

完治宣言を受けたその後。

ご自身の考え方や、行動。

最終的な医療機関への依存心からの脱皮作業への取り組みを始めてからこそ初めての「完治」という言葉を受け取れるのかもしれません。