あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

シンボルツリーの代わりに猫神様と

2年後。2022年の夏。

45歳の夏に私は離婚して20年が経過する。

離婚と、流産をした後にメンタル崩壊して、一つずつ全部創り治していって、メンタルの健康を5年前位に取り戻して、後2年で20年が経つ。

 

自分でも「もう、昔の事だし。笑い話くらい」と思ってて(特に離婚の事は)流産に関しても、自分でなんとか昇華できたと、思ってる。

これでも。思い出して泣くとかも今は無い。

結果的に、メンタル崩壊した私に来年20歳になる様な人間を育てられたとも思えないから、良かったと思う。(同時期に妊娠した友人の息子が来年20歳!)

 

流産した時に、水子供養なる物や水子地蔵なる物があるのも知ってたけど、離婚したてでメンタル崩壊した私にそれを実行できる金銭的余裕も、メンタル的な余裕もなく。

私の身内は「流れてよかったね!」って本気で笑顔で悪気なく言う血縁者しか居なかったので、自分で自分のケアをするしか無かった。

でも、例え結果的に離婚したとしてもその時愛していた人の子供を一時的にでも妊娠したのは事実で、まだ、細胞として全然人間のカタチにすらなってなかったただの塊のエコー写真を

見ただけでも、人間は不思議で、心の中に「愛しい」と思ってしまうのだ。

 

だから、私はどんなことがあってもその事実が自分の中で例え年老いて認知症になって、自分が誰なのかすらわからなくなったとしても、忘れないように、自分の体に「生まれてきたらこの名前をつけたい。」と、当時旦那にすら言ってなかった勝手に心の中で思っていた名前を

自分の身体に彫った。(知り合いに紹介してもらった彫師さんにお願いした)

 

人間は、脆い。

直ぐに壊れる。

本当に壊れると、全ての感情が無くなる。

本当に悲し過ぎると、人間は泣けなくなる。

 

私は、流産した事実に泣ける様になったのは、

流産してから一年後だった。

フト、なんの気なく見てたドラマの、何でもない子供が出ているシーンに、突然涙が後から後から溢れ出て、止まらなくなった、嗚咽が漏れるほどに泣いた。

当時一緒にいたパートナーがびっくりして、怯える程に泣いた。

 

でも、泣いている時私は

「ああ、やっと泣けた」「やっと、会えなかったあの子に向けて泣いて送り出す事ができた」と思った。

身体に名前を彫ったのは、その後26歳の時だ。

 

今でも身体に刻み込んだ事に後悔は一切ない。

だって、自分で絶対に忘れたく無い事なのだから。

離婚も流産も私にとっては生きてきた大切な記憶なのだから。

見た人にドン引きされるし(簡単に見えない場所なので、そうそう見られる事はない)私の外観には到底似合わないタトゥーという存在だけど、そのくらい後悔しない自信がなければ、自分の身体に一生残る物を作ってはいけないとも思って彫ったので、一切の後悔はない。

 

同じく、一番最初に生活してくれた私の人生に欠かせないお猫様も、同じ彫師さんにそのお猫様が亡くなる直前に写真を送って、生写しで彫って貰った。27歳の時だ。

私に生きる事の大切さと、死ぬ事について、そして自分が存在している意味について深く教えてくれ、今も7代目のお猫様と私は生活している。

 

長年の付き合いだった主治医に

「子供が生まれていたら貴方はきっと病気になっていなかった」「貴方の様な人は守るべき存在がいれば、どこまでも強く生きれる人」と言われた様に。

 

私が「もう、ダメかもしれない」と思う度に必ず目の前に「瀕死のお猫様」や「長生きしてくれたのに、なぜか今の家の人達に保健所に連れて行かれそうになってるお猫様」が後の私の人生には登場する。

 

その始まりを作ってくれたのは、まだ私が自分の病気に気づくずっと前。

生きるのに必死過ぎて、荒む事も、反抗する事も、自己主張もできないままに必死に生きてた高校生の頃に、私の元に来てくれたお猫様。

黒猫の咲(サキ)ちゃんを、記念に左肩に彫ってある。

絶対に彼女の。そして、お猫様という私にとって大切な人生の中で唯一の、神とも思える生き物を忘れない為に。

 

私の行為を「頭がおかしい」と言う人も勿論いる。

「貴方の容姿やキャラクターに全く似合わない、勿体ない事を」という人も居れば

「若気の至りだね」と嘲笑う人もいる。

 

でも、どれも違う。

私にとってこのタトゥーは、私が生きてきた歴史をただ、身体に忘れたくなくて刻んだもの。

大切な大切な記憶。

どんな事があっても、忘れたく無い記憶。

だから、彫った。

後悔は全くない。

そして、これ以上増やすつもりもない。

 

友人が紹介してくれたその彫師さんはどうやらとてもその道では有名な方だったらしく。

確かな仕事をしてくださったので、衛生管理も勿論ちゃんとしていて、タトゥーにありがちな肝炎等も勿論かかっていないし、彫ってから20年近くが経とうとしているけど、その間メンテナンスを一度も行ってないタトゥーも、未だにその綺麗を保ってくれている。

 

事実は小説よりも奇なりが私の人生の中で何度も起きていて、泣きたくなる事も、なんで自分が生きているんだろうか?と思う事も。

なんなら、私の寿命を差し出してこの人に命を渡したい!!!と何も出来ずに悔しく思う事も沢山あるし、今後も生きている間に山ほど起きるだろう。

 

でも、私にはきっと「生きていなければならない」理由があって、色んな人に支えられて「生かされている」

私の今までの経験が誰の何の役に立つか?なんて私には分からないけれど、でもやっぱり生きてると楽しい。

新しい出会いがあったり、別れがあったり。

思わぬところで、自分の経験が役に立ったりする物だ。

 

自分の生きてきた軌跡を誰かの役に立ててもらえたらこんなに嬉しい事はない。

 

そう思って。

亡くなった私の子供と、先に空に登った咲ちゃんをいつも、身体に感じながら。

今日も、私は生きていく。

 

情けなくて、本当に、本当に、人間して

ポンコツ過ぎるけど、でも、今の私は

生きていてサイコーに楽しい。

誰に何を言われようとも、楽しいのだ。

そして、そんな自分が好きだ。

 

今までの不器用でぶつかってぶつかって、凸凹に傷だらけになって生きてきた、不恰好な自分が好きだ。

 

それなら気づかせてくれた人に。

そして、これから出会える人に。

私が貰えた今までの感謝を別のカタチで返して

いけたら最高だ。

 

と、思って。

私は今日も生きている。

 

本当にありがとう。