あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

事実は小説よりも奇なり

人生は不思議だ。

 

久しぶりに会った、ちゃんと働くことの出来る

私より歳下の友達が治療方法のない難病で余命2年だとか。

 

恩師の人が昔からタバコを吸っても居ないのに肺癌になった後に、何度かの局面を乗り越えても尚、腫瘍が出来て手術を繰り返して居るとか。

 

昔から好き放題、やりたい放題。

10歳になる前からタバコを吸いまくって、定年後はお酒も飲み放題で傍若無人に磨きのかかった父親が胃癌だけど、まだ生きてて、ピンピンしてるものの、そのショックで母親のメンタルが壊滅的に破壊されちゃって、私は一生戻る事の出来ない実家と自宅を行き来して、母親のメンタルのフォローしてるとか。

 

 

人間、本当に。

本人が死にたいタイミングでなんて、ちっとも死ねなくて。

人生のうちで3回くらい癌告知された事あるけど、結果的に毎回癌では無いし。

去年も人生で4回目の全身麻酔の手術した時も毎度の如く立会人がいない事に病院側からドン引きされるし。

 

なんで、自分は生きてるんだろうか。

って思うときの方が多いけど。

多分、何らかの意味があって生かされてんだろうから、未だに生きてるんだと思うし。

 

去年、全身麻酔で死ぬかもしれないから

誓約書書かされた時点で死んだ時の準備だけは

万全にしてあって。

私が死んだとて、行政が全て処理して無縁仏に葬られて、誰にもサヨナラをいう事なく、この世を去る事なんて、全身麻酔の手術を受ける受けないに関わらず、誰かと結婚でもしない限りわかりきってる未来で、ほぼ、確定している私の未来とも言える事実。

 

で、じゃあ、恋愛できんの?

って聞かれたら「色んな依存から抜け出して、人に無理して好かれようとしなくなった私」には可愛らしさが皆無で、見えるのは自分の可愛くないところばっかりだ。

気が強くて、わがままで貪欲で、頑固。

そんな、可愛らしさゼロの女を好きになる様な人はまー居ない。

当たり前だけど。一緒にいて快適な人を人間は好きになるわけで、どう考えても、今の「本来の自分」になった私はお世辞にも可愛いとは言えない。自分でも本当に性格悪いと思う笑

 

皆んな、必死に生きてて。

私も私なりに一応必死にそれこそ、いつ死んでも構わないつもりで生きてて。

 

でも、明らかに自分よりもずっとずっと努力して、日々頑張って、ちゃんと生きてる私の友人達にはなんの力にもなれない位苦しい病を負って居たりして。。

 

なんで、私は昔のあの時、死ななかったのかなぁ。って。

私の寿命をその友達たちに分けて、私の寿命が10年くらい縮んでも全然良かったのに。って

思うのに。

彼らにはちゃんとパートナーや友達や家族が居て。

大事に大事に日常を生きているのに。

なんで、私は生かされてるんですかね?

って、日々、まあ信仰心とか皆無だけど、たまに「神様って何考えてんだろね本当に、色々間違ってんよあんた」って言いたくなるよね。

 

私が生きてて役に立っているなんて、思った事

ほとんど無いけど。

まあ、いい人は早死にするって言うから。

だから、私の周りの友達たちは大変な思いをしてるのかな。

 

主治医が「貴方の物事の考え方は哲学的です」って昔に言ってくれて「哲学?何じゃそりゃ?」てなんの学もない私は思ったけど。

そもそも「自分が何で生きているのか?」

「自分が生きている意味とは?」って考えながら生きている人があんまり居ないらしいってのにやっと気づいてそれであの主治医の言葉になったんだろな。って気づいたけど。

気づいて、哲学的文書を読んだところで、なんら解決しないのは目に見えて分かっている。

 

私がすべきは、親の介護。

自分の生活の最低限の家事。

お猫様との日常を守る事。

適度に運動して自身の心と体の健康を保つ事。

身の回りの整理をして、いつ死んでも平気な様にしておく事。

そして、生きている事に感謝して日々の日常に

楽しみを、幸せを見つけながら楽しく生きること。

 

それだけだ。

シンプルイズベストってやつだね。

とりあえず寝よ。