あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

片付けのコツ

【整理整頓とメンタルについて】

これはTwitterでもたまに流れてくることもあるので、ご存知の方もいるとは思いますが、
余程の喘息持ちの方とかでない限りは、部屋を掃除しなくても埃で死んでしまう人は居ないに等しいです。


ただ、「こんなに汚い部屋なのに、今日も掃除できなかった!!」
という自分を追い込む気持ちは、簡単に人を死に追いやります。


そして、部屋の状況はその人の心情を映すとも良く言いますが、私の経験上これもかなり当てはまると思います。


そして、余りにも考えがループし過ぎてこんがらがっている人に、医師が「部屋の掃除」を勧める場合がありますが、これも実はメンタルの治療に多少なりとも効果を発揮します。


掃除は「捨てるものと取っておくもの」の選択の連続です。


メンタルの病気の原因や解決法の一部にやはり選択をする場面や、今の状況に至るまでの道は自分で選択してきたという事実を自分で認めなければならない部分があります。


その事を掃除を通して、段々と頭の中で整理がついてくることがあるのです。


また、掃除をして、過ごしやすい部屋になると、心にも余裕が生まれて、少し身なりに気を使ったりもできるようになると、不思議と頭の中も割と考えがまとまってきたり、自分のダメなところ(捨てるべき所)が見えてきたりする事もあるのです。


とは言え、私もとてつもなく掃除が苦手でした。


メンタルの人に多いのは、部屋の掃除だけではなくて、自分の身なりにも衛生観念も崩壊する事が多いので、お風呂に何日も入らなかったり、歯を磨く事をしなくなる人も多いので、大きめの病院などで入院すると、歯科検診などは割と初期設定で勝手についてきて、そして、勝手に歯の治療も行われたりします。


歯周病や、虫歯の菌が余りにも放置し過ぎて、顎の骨から全身に回ってしまうことも実はあるので、そうなる前に、病院側で調べて治しておくんですね。


この治療には、おそらく最近は年配の入院患者の方も多いので、不要な原因で病院内でなくなってしまうことを防止する意味も含まれているようです。


私も一人暮らし歴が長くはありますが、とてつもなく掃除は苦手です。
 
特に狭い一人暮らし用の賃貸だと収納が殆どない物件も多いので、増えていく洋服やら荷物をしまう場所がなく、仕方なく床に散らばる。。。ということが昔はしょっちゅうあって、掃除機を、かける以前に床に物が溢れすぎて床面が見えない。。。ということもしょっちゅうありました。


一人暮らし歴が20年をそろそろ越えようとしていますが、その中でやっと私なりに掴めた掃除のコツは、やはり「しまう場所を作る」
これに尽きると思います。


私が自分で片付けられなくて一番嫌だったのが、いざ、出がけになって見つからないものがあって家を出られなかったり、料理中に今使いたい物が何処にいってしまったのかわからなくなって、料理を中断しなければいけなくなったりした時に、探しているその時間がとてつもなく無駄に思えたからです。


誰かと一緒に住んでいると、自分は出しっぱなしにしていても、同居している誰かが、見つけて元の場所に戻してくれる。
これは、大変ありがたい事なのですが、恐ろしい事にそれをされてしまうと、出しっぱなしにした当人には「片付ける」という力が一ミリも育たないという結果になるのです。。。


なので、一人暮らしを始めて10年以上は私は掃除する時は徹底的にするけど、普段は床が見えない。。という極端な部屋に住んでいる事もよくありました。


何度か引越しを重ねていくうちに、収納する場所のある物件では一時的に散らかってもそこまでひどくならずに数日で掃除機がかけられるレベルの部屋に戻っている事に気付きました。


そこから、インテリア雑誌(主に収納系の)を読んで納得したのは、100円均一の気に入った箱なんかに、ジャンル分けして、とりあえずは決めたものをその箱にしまい、箱は収納スペースか、なければカラーボックス等の棚にしまうという方法です。
また、収納スペースがなかったり、しょっちゅう使うものなので、完全に何処かにしまうと不便なものなんかもあるので、その場合には使わないバッグに詰めて、壁に跡のつきにくい画鋲を付けて、物品を入れたバッグを壁から下げるという収納方法でした。


これを始めてからは、今まで纏まらなくて散らばりがちだったハンガーが大きめの気に入っていたけどもう使わないバッグに詰めて壁に掛けただけで、賃貸の白壁は、バッグの柄で可愛いし、床でハンガーを踏んづけて、ハンガーが割れる上に足も痛い。。なんて事もなくなりました。


洗濯バサミも、雑誌のおまけについているミニトートの可愛い柄のやつだけど、ミニトートだらけで使わない。。。としまっていた物に入れて壁に下げるようにしました。


賃貸物件にもよりますが、よく、洗濯機は玄関にあるけど、洗濯物を干すのは部屋の反対側のベランダ。。。という事が多くて、洗濯用品を洗濯機周りに置いておいても、結局のところ、ベランダ側にハンガーやらを移動して、その後取り込んだ時にまた、玄関側にハンガーを持っていくのが面倒臭くて(またすぐに使うし。。。と思うんですよね)床やらソファーやらに散らばる。。。という現象がわりと起きがちなんですが。。。私の場合は、ベランダ側の壁にバッグを提げた事によって、その散らばりが予防できただけではなくて、吊り下げてたのがバッグだったことも良かったみたいで、部屋の別の場所に干そう!なんて時に、バッグだとそのまま肩にかけてすぐに移動ができるのがとても便利でした。


何より「床」に一つでも何かを置きだすと、どんどん気分的に「ま、いっか」という気分になって、いつの間にか床が見えないレベルに物が床に溢れてしまう事になるという法則をインテリア雑誌で見つけてからは、なるべく床にものを置かないようにしました。


今は100円均一の商品もオシャレで可愛いものがたくさんあるので、いろんな店舗を廻って、気に入ったデザインのものを選んで大きさを揃えて部屋にあったインテリアで整理整頓できるので便利ですね。


部屋が綺麗になって過ごしやすくなると、自分の部屋での動きも無駄が少なくなるので、段々と心に余裕が出来て、問題が何一つ解決していないとしても、問題を少しずつ受け入れたり、考えられる余裕が頭の中にも、心の中にもできる事を私は身をもって体験しました。


もちろん、部屋自体の掃除ができるようになるまでの心の余裕がない時もありますし、まだ病気になりたてでそんな余裕が持てない人もたくさんいます。


ただ、掃除ができなくて死んでしまう事は滅多にありません。


掃除ができない自分を責めるのではなくて、「できる時にやろう!今は思い切り泣こう!」とか「今は思い切り凹もう」とか、その期間が過ぎ去ってから、掃除や、自分の身なりや、衛生観念が見直せて、お手入れができるようになるといいですね。

 

 

 

一人暮らしあるある

【面倒臭いの向こう側】

私は、一人暮らし歴も結構長く、誰か他の人と住んでいる時期があっても、家事全般を行う役割を私が担うことが多かったので、料理のアイディアや、掃除の仕方なんかが、今現在の生活の仕方として、周りの人から見ると、スムーズに行っていて「主婦に最適!」みたいな感想を頂くことが多いのですが、実質的にはただのニートなんですけどね(笑)


で、スーパーニート主婦みたいなわけのわからない感じの肩書き(?)だとして、周りの人言うのは「貴方は綺麗好きだから」とか、「性格が生真面目だから」とか「そういう綺麗にするのが好きな性格だから」のような事をよく言われます。


が、それは実は物凄く間違っていて、
私はとんでもなく「面倒臭がり」で、「平気でぼんやり座ったまま動かない」性格で「コップもその都度洗ったりするのすら面倒で3日くらい同じコップを洗わずに使っていても平気」なとてつもなく「綺麗好きで生真面目」な性格からはかけ離れている性格です(笑)


ただ、「綺麗好きではないけれど、汚な好き」ではない
というところでしょうか?


で、長い事一人暮らしや二人暮らしやルームシェア的な生活を経て分かったことは、いかに自宅を過ごしやすく面倒臭くなく過ごせるようにするか。
これを心がける事によって、実は一番自分が面倒臭い思いをする事なく、割と快適に自宅での生活を過ごしていくことができるようになった。


ということですね。


一年の締めくくりとして年末の大掃除
というイベントがあるにはありますが、一年間放置しっぱなしの汚れを年末の掃除の日一日で落としきるのは中々骨が折れるし、しかも掃除箇所はそのほかにも沢山あるわけで。。。
結局自分が目標としている箇所全部の掃除はやり終えることなく、なんとなく全部中途半端ニート終わらせてなんかスッキリしないモヤモヤした気分で新年を迎える。
なんてこと、大掃除に限らず誰しも経験があると思うんですよね。


それでも中途半端にそれなりに片付けだけでも終わってればいいものの、なんか色々散らかしまくった途中経過状態で、ヤル気が途切れて、片付けや掃除を始める前より汚れて散らかったままで余計に過ごしにくくなるなんて事も私は度々あったのですが(笑)


結局のところ、本人の気持ち的に「散らかっている部屋の方がむしろ落ち着く」というような性格の人なら散らかっていてもなんら問題がなく、その部屋こそが快適空間であればいいのですが、大概の人が割と物が見つからなくて探している数分の間にイライラしたり、汚くてなんとなくヤダなぁなんて思いながら毎日過ごしたり、、
そうすると、毎日の始まりから自分がちょっとヤダなぁって感じながら始まるので、当然のことながら部屋に帰ること自体が億劫になるし、部屋に帰らなければどんどん色んな事柄が荒んできて、余計に訳のわからないストレスを抱え込む事にもなりやすいです。


その事を念頭に置いてなるべく整理整頓に心がける。
というのが、結果論ですね。


明日は整理整頓する際の私的に快適に過ごせるようになったツボをご紹介します。

 

 

伝わってる?

【伝える と 伝わる】

誰かに何かの希望や自分の気持ちを伝える時に自分では「伝えた」つもりでも、それがキチンと相手に「伝わっているか」は実はあまり確認をしていないことが多いように思います。


「伝える」だけであれば、横柄な態度であっても伝えられることはできますが、その「伝えたい内容」がちゃんと中身まで相手に「伝わる」ように伝えなければなんの意味もないということです。


もちろん、世の中にはグレーゾーンは必要で、今の現時点ではイエスともノーとも言えない状況だったりすることも多々あります。
その時になんとなーくやんわり断っている「つもり」でいても、相手にはそれがキチンと伝わっていないことがあるので、それであれば「今はグレーゾーンでどちらとも言えないけど、現時点ではノー」など、ちゃんと自分の状況や気持ちをグレーゾーンならばグレーゾーンなりに説明をしなければ相手にとってはイエスともノーとも取れてしまい、場合によっては自分の意としない方向に向かってしまうこともありえます。


これは仕事においても大切なことのように思います。


そして、相手に「伝わる」ように「伝える」のは、相手に敬意を払って丁寧に伝えなければ、正確には伝わりません。


この事を頭のどこかの片隅にでもおいておくと、割と人間関係がスムーズになることが増えたように私個人の感想としては感じました。

 

何したい?

【優先順位】

今日は優先順位について書こうと思います。


私に相談をしてくれる女子でたまに居たのが
「自分が何をしたいのか、何を優先して実行したいのかがわからない人」
が居ました。


バリバリ働いてキャリアを積んだり、何か専門的な技術をつけたいのか。
もしくは、結婚をして専業主婦になりたいのか。
それとも、兼業主婦になりたいのか。
もしくは、子供を産み育てたいのか。
いつかはスローライフを送りたいのか。


そんな彼女の相談事はいつもとりとめがなく、
なんとなく始めた事に対してなんとなく不満があってどうしたらいいのかわからない。
という事が多かったので、その相談事に対しては私は相談事そのものの問題よりも、彼女自身は結局のところ何を目標として今後進んでいきたいのか?
を聞くようにするようにしてきました。


私達は相談を聞いていた当時、お互いに30を過ぎたあたりで、微妙なお年頃でした。
結婚だけをいつかしたいのであれば、そこまで婚活を頑張らなくてもいいかもしれないけれど、もし、子供を産みたいのであればなるべく早めに婚活をして、この人の子供を産みたいと思える人と早く結婚をしないと、段々と卵子の年齢問題もあるし、高齢出産はやっぱり産んだ後の母親の負担が大きいらしくて、産後鬱になる子も何人か見てきたのもありましたし、結婚したから必ずしも妊娠するわけでもないので、もし、子供を授かりたいのであればそれなりに色々な準備やタイミングなんかも関係してくるからです。
驚いたのは、女性の中には結婚さえすれば子供は割とすぐにできると思っている女子が多いこと。
そして、そう思っている女子に限って彼氏すら作る努力をしていなかった事でした。


例えば彼女の将来的な人生のビジョンがバリバリのキャリアウーマンなのであれば、適当に仕事をこなすのではなくて、何かしらのポジションにつけるように専門的な知識を身につけるとか、今の会社の中で何かしらステップアップをできるようにするのか?


もしくは、仕事は程々にして海外旅行などのプライベートを充実したいのか?


それとも、結婚をとにかくして、子供を作らない生活を仕事をするなり、専業主婦の生活を楽しむのか?


彼女は
「エリートな男性と結婚して適当に子供を産んで、好きなだけ海外旅行に行きたい」
というものでした。


はっきり言ってしまえば、30を過ぎた女性でこの条件が無条件に叶う人はそれ相応の魅力や努力を積み重ねている女性でなければ中々そういう男性に見つけてもらう事も、難しいかと思われるのですが(あくまで私の個人的な意見です)
彼女はそこいら辺に対してあまり努力をしている感じはありませんでした。


海外留学もした事のある彼女でしたが、日本に帰国してからはその語学を活かした仕事をしたいとか、専門性を高めたいという事はなく、非正規雇用で、なんとなく働いているみたいでした。


多分、私に相談をしてくれる女子たちの多くが実家住まいで、家賃や光熱費がかかる心配のない女性たちだったのも関係しているのかもしれません。

 


残念ながら時間は無限にあるわけだはありません。


そして女性は永遠に子供を産めるわけではありません。
もちろん医学は進歩していて、昔に比べれば遥かに高齢出産でも安全な確率は増えては来ました。
それでも、高齢出産には色々なリスクも伴うのでそれなりの覚悟で産んで欲しいと私は個人的に願います。


例えばスローライフを目指すのであれば、将来的に住んでみたい地域を調べてみたり、車の免許を取得したり、園芸について調べてみたり、移住に備えて貯金したり、、、
多分何かしら備える事は出来るはずです。


専業主婦になりたいのであれば、家事の能力をある程度つけておかないと、イザ結婚した時に旦那さんに愛想を尽かされたら生活力がなくて、それこそ、その後の人生が中々ハードなものになるかと思われます。
もちろん、ものすんごくセレブな旦那様であれば別だとは思いますが、、、


彼女たちの中で割と多くいたのが
「結婚してしなければならない状況になればきっと料理くらいできる」
と信じていて、実家暮らしのためお湯すら自分で沸かした事のない女子達です。


お料理は実はとても奥が深くて、家庭料理ほど難しいものはないと私は思っています。


もちろんプロの料理人の料理は家庭料理とはまた別です。
ただ、プロの料理は
「いつでも、同じメニューを同じ味に作ること」
に対して家庭料理は
「いかに、同じ献立でも家族が飽きない味にするのか」
がテーマです。


外食ばかりしていたり、コンビニ弁当が続くと
「味に飽きる」事が誰しもあると思います。
それは、食べているものがプロの味だからこそなのであって、家庭料理はずーーーっと同じメニューでない限り、毎日少しずつ違うメニューが味を違えて出て来るので、飽きた、もう食べたくないって事があまり無いのです。


その練習を一度もしないで、突然献立も味もバッチリできる人なんて、とてつもない天才以外に居ないと思います。


実際、私は一度お料理の基礎を習いたくてお料理教室に通ってみたところ、主婦歴一年という方が、結婚するまで一度も包丁も持った事がなく、毎日スーパーに行ってはクックドゥの中華の素を買って、ひたすら中華を一年旦那さんに出していたら「お願いだから、料理教室に通って別のものを作ってくれ」と旦那さんに土下座された主婦の方が居ました。
その方は幸運にも離婚せずに済みましたが、味覚は結婚生活にものすごく影響するので、もし、結婚をして専業主婦に憧れている方は
ある程度はお料理の勉強はしておいて損はないと思います。
今はお料理婚活もあるみたいで、お料理教室で婚活男女が一緒にお料理して出会いを求める会もあるみたいなので、興味がある人はいいかもしれないですね。


結局のところ自分が何を一番優先してその時行いたいのか、それを見極めて何かを選ぶ時に選ばないと、後々こんなはずではなかったという事になりかねません。
失敗は成功の素ですが、なんとなーーーくただボンヤリしていて生きていけるほど残念ながら今の世の中あまり優しくありません。


読んでくださっている方がまた10代20代であれば、まだまだ、興味あることにどんどんトライして優先したいものを見つけてそこへ突き進めばいいかと思います。


もちろん人生のスタートに遅すぎるってことはありません。
幾つになってもスタートは切れますが、トライしたい物事によっては無事にゴールできるかは限らないという事です。
もし、無事にゴールしたいのであれば、人任せや、なんとなくで決めずにちゃんと自分で見極めて何を優先していきたいのか?
を念頭に置いて生きていったほうがきっと楽しいよ!っていう提案です。


読んでくださっている方々が幾つになっても無事にゴールできるよう、願っております。

 

 

 

積み重ねているものは

【伸びしろと引き出し】

私は一時期年下の人としかお付き合いできない時期がありました。


それは若干の離婚の影響もあるとは思いますが
(元旦那が年上だった為)
多分、たまたまではありますが、結婚前や、離婚後に多少お付き合いさせて頂いた年上男性が
「俺スタイル」が出来上がっている方々で、女性観についても「俺スタイル」を強く求め、自分の好みの女性像にそぐわない部分を極端に嫌がり、結果としては彼らは私という一個人を愛するというよりも、「俺スタイル」を忠実に守る女性ならば誰でもいい。
という状態だった為であろうと気づきました。


この「俺スタイル」はもちろん女性版もあるわけで、年を重ねていったぶん、「自分のスタイル」が構築されていくのは当たり前の事ですが、問題になるのは「自分の決めたスタイル以外を認めない」にあるのではないだろうか?
と思いました。


新しい物やスタイルや情報を見たり聞いたり見につけたりするのは別に悪いことではないし、取り入れてみて、自分に合わないな。。
と思ったら、その後はそれを取り入れないスタイルにすればいいだけなのに、不思議と、頑なに試すことも無かったり、合わなかった事柄を、まるで悪のように取り扱ったりするのはなんだか少し違うなぁ。。。と思うのです。


私がたまたまお付き合いをした年上の方々はとにかく、自分のスタイルの中にないもの以外は悪と決めつけて、それ以外を罵倒し、スタイル以外の物に興味を持った私ですら馬鹿にするような感じの方々だったので、私はなんとなくウマが合わないなぁ。。年上の人ってそういうものなのかなぁ??
と思って自然と避けていたように思います。


その後出会った年上の方でその私の中の偏見は崩れましたが、年上であろうと、年下であろうと、やはり人間としての引き出しの多さと伸びしろによって、その人の中身の深みや、人間性が変わってくるんだろうなぁ。
と実感しています。


どんなに年齢を重ねていても、その人自身が自分の認めているもの以外に全く興味を示さず、なにも取り入れようとしなければ、失礼ながらその人のお話は多分2〜3回お話をしただけで、その後はつまらなくなってしまうでしょう。


反対に年下であっても色んなジャンルに興味を持って、興味を持ったジャンルを上手に取り入れている人との会話はとても楽しく何度でも話をしたいと感じます。


引き出しの多さは、その人が経験してきた事をどれだけ、自分の中に取り入れて大切にしておくかによっていくつ引き出しを持っていられるのかの違いになると思います。


どれだけ年齢を重ねても、その人が自分の中に上手く自分の経験を取り込んで行けてなければそれは残念ながら年齢を「とった」だけであって年齢を「重ねた」ことではないのだと思います。


年上である という事実だけで威張っていたりする人は失礼ながら薄っぺらな中身しかないという事になります。


自分なりに色んな事柄を、取り入れる中で選択して自分なりの生き方を掴んでいくことによって年齢を上手に重ねていける
「大人」になれるのではないのでしょうか?


日々色んな物や事柄や、ツールがどんどん出てくる中で、その新しい物をどうやって取り入れるのか?
その新しいものに「使われる」のではなくて
いかに自分が心地よくそのツールを「使えるのか」が大切なんだと思います。


なので、反対にとても若くても全てを決めつけた自分の中の定規でしか物事をはかれない人は残念ながら歳をとった時に誰も相手にされなくなってしまう可能性があります。
そして、上手に年齢を重ねていった人は幾つになってもとても楽しく、色んなジャンルや、年齢や男女関係なく色んなお友達や、話せる人が存在しているように思います。


私は現在、人生が80年であれば折り返し地点位の年齢になりますが、自分がいつか60歳くらいになった時も、色んなジャンルの様々な年齢のお友達と話が出来ているような大人になりたいと思っています。

 

 

 

貰えるものは

【離婚について】

今日は離婚について私個人の考えを書きたいと思います。


私はバツイチです。
結婚する時もそれなりにパワーは使いましたが、やっぱり結婚する時はお互いに好きあって結婚するので、疲れてもそれなりにハッピーでもありますが、離婚は嫌いあって手続きを踏むので、これ以上の苦痛はないですし、とてつもなく疲れます。


事実私は付き合って半年でたまたま通っていた会社の移転に伴って二人で住む事にして、その後一年同棲し、結婚生活を一年近くしましたが、結局くダメになり始めて、別居を1週間していた時に、旦那から怒りの電話を受けただけで、ストレス性の顎関節症になって、口が1センチしか開かなくなりましたが、口腔外科でも、ストレス性の場合にはストレスの原因を絶たないと治らないため、治療もほとんどできませんでした。。。
(その後離婚成立したらすぐに治りました)


ダメんずの回で書いたように私はとてつもなくダメんずが好きにになってしまう性格なので、元旦那さんも多分にもれずダメんずの類に入る人でした。


口癖は「お前は俺にベタ惚れだしな」で、ギャンブルとゲームが大好きな末っ子の甘えん坊気質な旦那でした。


彼は私と知り合ってから何度かストレス性の病気で入院していたのもあり、籍を入れる前から「そんなに嫌なら仕事辞めて違う仕事したら?」という話し合いのもと、「1・2ヶ月休んだら就職活動をする」という約束もあって、籍を入れましたが、その後彼はギャンブルとゲーム三昧で残念ながらお仕事についてくれることはなく、しばらくは私のお給料で生活していましたが、私が妊娠して、中々仕事が厳しい状況になり、旦那の貯金や、旦那のお義母様にお願いしてお金を頂いたりして生活をしていました。


結局そんな生活は上手くいくはずもなく、そのうちに流産も伴って離婚。


その後、本格的に精神病を発症してしまい、13年苦しみますが、私は離婚当時、旦那から何かしらの慰謝料等は1円も貰っていません。


当時は、旦那の貯金も切り崩して生活していたし、彼にお金がないのは明白で、もし、慰謝料請求すれば状況的には絶対支払われていたであろう状況でしたが、多分、そのお金を支払うのは二世帯住宅を建てたくて、お義父様と必死にお金を貯めているお義母様の貯金から支払われることが明白だったからです。


そして、今、離婚をしたいと思っている人に言いたいのは、もし相手に何かしらの非があって状況的に慰謝料が払われる可能性があるのであれば、必ず支払ってもらったほうがどんなに周りに何を言われようとも、その後の人生や、生活を考えた時には必要だという教訓です(笑)


もちろん、支払える能力のある相手の場合に限られますが、本当に、離婚後の女性は割と大変です。


いろーーーんな手続きも必要ですし、離婚の際にはその時に離婚証明書のようなものを発行してもらっておかないと、名前が変わってしまう関係で、保険証が切り替えで無かったり、本人確認書類が一切発行できない状況になりがちなので、その証明書がないと、銀行口座の名義変更すらできないという状況になります。。。


精神的な打撃を受けた場合に本当に医療費やらなんやらで金銭的にはとてつもなく苦しくなってしまうので、相手に対して悪く思ったとしても、もし可能ならば弁護士さんなんかを間に入れて、きちんと書面を交わして払ってもらう手続きをしておくといいかもしれません。


弁護士料がかかったとしても、相手からちゃんと慰謝料が払われるとすればその中から支払うこともできますし。。。


逆に母は強しで、シングルマザーになった人なんかは、お子さんを守るためにとてつもなく強くなったりします。
そんな友人や、女性を職場や友人で何人か見てきています。


離婚をして、一人ぼっちになってしまった時、人間はとても弱くなるのかもしれません。


子供でも、犬でも猫でも、植物でも。。
この子は自分がいなくては!!と思えるような存在がなければ、人間はきっと一番の孤独になった時、わりと簡単に壊れます。


私の場合は、闘病に関して言えば、離婚はキッカケになったにすぎませんが、それでも、離婚直後の何もしていなくても涙が出てきてしまうような、ブラックホールのような不安感は本当に怖かったです。


勿論、離婚することを想定して結婚する人はあまりいません(一部のハリウッド俳優さんたちにはそういう場合を想定して契約書を書く人もいますね)だからこそ、離婚はその作業をするのにとても骨が折れるのかもしれません。


だからこそ、受けるダメージも想像以上のものなので、ほんの少しでも貰えるものはもらっておけ!という教訓です(笑)


あまりためにならない教訓ですが、もし、笑いながらでも読んで頂ければ幸いです。

恋愛スタイル

【どうしてもダメんずを好きになってしまう人へ】

ダメんずを好きになってしまう人、多いと思います。
私もずーーーーーっとそうでした(笑)


離婚歴もありますが、そもそも結婚相手が籍を入れた直後に無職になり(1・2ヶ月休んだら就職活動をする予定だった)結局離婚する次の年まで働きませんでした。
その間は私のお給料や、旦那の貯金や退職金を崩して生活していましたが、相手のギャンブル好きや、流産などいろんな要素が合わさって結局のところ離婚することになりました。


その後も彼氏はできるものの、DVする人だったり、束縛がものすごくきつい人だったり、浮気する人だったり、お金を一切出さない人だったり、婚活サイトで出会ったものの、詐欺師のような仕事の人だったり、なんだかへんてこりんな人ばかりでした。


出会った頃はそんなにおかしげな人ではないと思っていたし、愛も勿論あったし、おかしいなぁ?なんでだろう?と思うこともありましたが、それには原因が二つありました。


一つは、彼らの愛は非常にわかりやすいということ。
親の愛が分かりにくすぎて病気になった私からすると、とてつもなくわかりやすく自分を必要としてくれる彼等からの愛は親の愛なんかをあっという間に超えるほどの安心感を私に与えてくれたからです。


二つ目は、そんな彼等に私が嫌われたくないせいで、何でもかんでも世話を焼きすぎたので、最初はそうでもなかった彼等のダメんず加減がどんどん成長してしまい、余計にダメんずに磨きがかかってしまったことです。


この合わせ技で、結婚前の学生時代から付き合っていた男子とも、結婚した旦那も離婚後に付き合った男子達とも、上手くいかず、ずっと私は男運がないのか、もしくは人を見る目が本当に無いんだな。。。と悲しんでおりました。


が、この年齢になって、もう一つの一番大切な原因に気づいたのです。


それは
尽くしている自分に酔いしれている自分
すなわち
相手のことを本当の意味でキチンと愛していなかったという真実でした。


もちろん、その当時はかなり真剣に相手を愛しているつもりで、長く付き合った人もいれば、あまりにも酷くてわずか2ヶ月でお別れした人もいましたが、そのすべての人に対して私は「彼等を愛している自分を愛していた」のでした。


それでは、当然のことながら本当の意味で相手に愛してもらうことはできないでしょう。


また、このタイプに多いのが
「こんなに◯◯してあげたのに」
と相手に見返りを求めること。


よく考えてみればわかりますが、そのしてあげた事自体は相手が望んでした事でしょうか?
相手に頼まれてした事でしょうか?


もし、そうでないのであれば、それは親切心や優しさという名の「押し売り」行為であるという事です。


その事に気づいてからの私は先ず「一人の時間の充実」や「一人でも何とかして生きていける生活力」をつけるようにしました。


そして、過剰な相手への尽くす行為を止め、尽くしたとしても見返りを求めたりは一切しないようにしました。


そうする事によって生まれた感情は
以前の恋愛スタイルの
「この人が居なかったら生きていけない」
から
「この人が居なくても生きてはいけるけど、居てくれた方が楽しい」
に変わりました。


今現在の私の恋愛スタイルに、全く問題がないと言えば嘘になりますが、それでも相手も、そして何より私もとても過ごしやすく、居心地のいい間柄になりました。


誰だって一緒にいて居心地の悪い人、何だか不安になる人、疲れる人とは一緒に長い事居たいとは思わないはずです。


そして、結局のところ相手に尽くす事でしか自分の存在意義を見いだせない関係だと結果的には相手にとても失礼な事になります。
それは、「尽くせる相手であれば誰でもいい」という事につながるからです。


貴方は自分の事を結果的に愛してくれていない人を愛せますか?


多分それは相手だって嫌なはずです。


それに気づく事は自分にとってはとても辛い事ですし、そんなはずはない!とも思いたい所ですが、私の場合は結果的にはそうでした。


そして、相手のダメんず達ももしかしたら同じ事なのかもしれません。
だから、尽くしてあげなくちゃ、私がいなくちゃ何もできない彼(もしくは彼女)はもしかしたら無意識に自分の方に向いていてくれる人であれば誰でもいいという気持ちがあるからこそ、貴方にひどい事をしたり、言ったりするのかもしれません。


一度冷静に立ち止まって自分の恋愛スタイルを見直してみるといいのこもしれません。


なんにせよ、せっかく恋愛できる相手がいるのであれば、その恋愛は楽しく、幸せに過ごせるものが誰だっていいですよね!