あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

友人について

【変わらぬ温かさ】

私は病んでいた時期もその後もその前も人に嫌われることを極端に恐れる人格でした。
誰しも人に嫌われるのは嬉しいものではありませんし、できれば嫌われない方がありがたいのですが、何をどうしてもウマが合わない人や、何だかよくわからないけどとても不穏な空気が流れてしまう人、中には一緒にいると気分の悪くなってしまう人も居ます。


私は元々人見知りを全くせず、あまり人に対して先入観を持たずに話をする癖があるのもあって、明らかに見た目からすると絶対的に気が合わなそうな人ともお友達になったり、年下の人だととても懐いてくれる子も居ました。


何かを頼まれればなるべく期待に応えられるように自分なりにつとめて相手が喜んでくれるように振舞って居ました。


ただ、何をどうしても気が合わない人もいれば、残念ながらそういう風に振る舞う私を利用するように自分が困っている時や、何かをして欲しいだけにしか連絡してくるようになる人も何人か居たり、もしくは、いつも上から目線で何かを言っても全て否定してくる人も多くいました。
それでも、悩みを相談してくれたり、何か頼まれごとをしたりするのは相手が私の事を好いてくれていて、必要とされているからだとも思い、特に問題にも思っていませんでした。


それよりも、嫌われてしまうことが怖く感じていてように思います。


2016年に健康上に大きな問題を抱える可能性が出てきた時に、残念ながらそういう私を利用するだけの間柄の人や、馬鹿にしているような態度をとる方々はみんな、連絡が取れなくなりました。


その時に、私はとてつもなく不愉快な気分になって、今後の人生の中でこういう不要な不愉快な思いをもうしたくないと思い、彼女たちに「なぜ、貴方達と関係を断ち切るのか」を告げてから縁を切らせていただきました。


そこから約一年ほど経って、私は今更ですが気づいたことがありました。


それは、何か大きな問題や、健康上の不安を抱えていても、いつも変わらない温度で見守っていてくれ、傍に居てくれる人の大切さでした。


余程間違った方向に行かない限り、叱ることも、利用することも、気分が乱高下する事もなく、温かさが感じられる距離で、とりとめのない私の話を聞いたくれたり、一緒に遊んでくれたりするお友達たちの大切さを「無駄」を省いた事によってとてもハッキリ見えるようになり
そして、とてつもなく彼らたちに感謝を以前にも増してするようになりました。


相手に対して嫌われてしまったらどうしよう?とビクビクしながら、付き合うよりも、親しき仲にも礼儀ありな適切な距離感を保ちながら、通年を通して同じ温度で居てくれる、そんな人達に囲まれている自分はとても幸運に思いましたし、より一層そういう人達に対して感謝の気持ちを忘れずに大切にしていきたいと思いました。


そしてまた、私もそういう人達にとって、同じような温かく、通年を通して変わらずに見守っていてくれるような安心感を与えられる存在になれれば嬉しいなと思うようになりました。


誰しも、何かしら悩みがあったり、愚痴があったり、不安があったりするものですが、自分が弱っている時に、心の中でとてつもなく支えてもらえる存在にお互いがお互いになれれば本当にこれ以上の事の事はないなぁ。。
と思います。


その為にはまず、自分が落ち着いて、適切な距離感で相手と付き合えていけるように。
まず、自分が自分のことを把握して生きていけるように。
そして、誰かを馬鹿にしたり、頭ごなしに否定したり、利用したりする事のないように生きていけるように日々成長をしていければと思っています。

 

 

恋愛スタイル

【プラス式の恋愛】

私は恋愛の相談事を女の子からよくされますが(たまに男性からも、、、)
たまたまかもしれませんが、その女子達に総じて多いのが「マイナス式恋愛」で相手を好きになる女子達です。


この恋愛の方法は女子系のアプリコラムにも散見しますが、こないだ書いた「トキメキは自分で作るもの」に通ずるものがあるので、あえて私のブログにも書かせて頂きます。


マイナス式恋愛の特徴は
「好きになった時が100点満点あるいはそれ以上」なのが特徴的で、片想いの場合には永遠に満点状態が続きがちです。


問題は両想いになってめでたくお付き合いをしだしてから始まります。


片想いというのは、とても辛く孤独な想いに思われがちですが、相手の事を詳細に知るわけでは無いので、想っている自分の理想の世界の中だけで、相手が生きてくれるという利点があります。
余程相手が何か犯罪を犯すなどがない限り同じクラスの誰々くんが好き♡位であれば、片想いの間は何か不穏な噂話でも聞かない限り、イメージは壊れずに想い続ける事ができるというわけです。


お付き合いを始めると、そうはいかず勿論相手の知っていたことだけではなくて、知らなかったことも関係性が近づけば近づくほど見えてくるのです。


そこで、相手の意外な一面を
「可愛い!」
と思うのか
「理想と違っていてガッカリした」
と思うのかは自分次第という事ですし、
もしかしたら相手の男子も同じ方式で恋愛をしていれば、貴方に対して「理想の女の子像と違ってガッカリ」
なんて事を思われている場合もあります。


私が不思議に思うのは、女子達は自分が相手を採点する事は想定していても、自分も相手に採点されている事を想定していない事。
そして、自分は相手を採点するのに、自分は自分のありのままを愛して欲しいと思うところでしょうか。


もし、貴方が相手に自分のありのままの姿を愛して欲しいのであれば、お付き合いをして見えた相手の意外な一面を貴方も受け入れる必要があると、私は思っています。


相談をしてきてくれる彼女達は不思議とそこがいつもすっぽ抜けているのです。


もし、相手に自分も採点されているとしたら、やっぱり身なりにも気も遣うだろうし、相手に対する態度や、感謝の気持ちだってキチンと表すのでは無いでしょうか?


自分は気を遣わない、感謝の気持ちも言わなくてもきっと分かってくれる。
でも、私の理想より下にならないで欲しい。
というのは、だいぶワガママに見えるのは気のせいでしょうか?


私は相手の意外な一面を見せてもらえた時は素直に喜びます。
普段はカッコよく振舞っている相手が寝起きでぼんやりしていたり、何かを間違ったり、可愛らしい言葉を使ってきたり、、、
人によって様々だとは思いますが、それだけ相手が私に心を許してくれたと、私は受け止めて
「こんなに意外な一面がっ!!」と
今までの彼への点数にプラスして更に点数を上げていく方式です。


例えばその意外な一面があまりにも自分には受け入れられない事柄なのであれば、何も全てを相手に合わせたり、自分に合わせてもらう必要はなく、その事柄について正直に相手に伝えて
「二人のペース」
を作っていけばいいのではないか?
と思っています。
人間「ここはどうしても譲れない」というボーダーラインまでは、わりかし好意を持っている相手に対しては譲歩してくれるものです。
100%相手に合わせたり、追いかけたり、引っ張ったりしていくのではなくて、二人で手をつないで一緒の歩幅で歩いてくための
「ペース」をまず作っていけばいいのでは無いのでは?と思っています。
そのために私も相談してくれた女子達にはそのように伝えるようにしています。


相談された私の方式がそのカップルに合うとは限りません。
それは、自分達のやりやすいようにいくらでもカタチを変えて活用してくれれば良いと思うのです。
やってみて失敗したら別の方法をとってみれば良いと思います。


もし、相手の男性(もしくは女性)が、今までの自分のペースを全く変えずに貴方と付き合いたいと望むのであれば、私は残念ながらその方とのお付き合いはあまりオススメできません。
「誰か」と「お付き合い」をするという事は、今までになかった関係性を新たに構築していく事なので、もし、その相手がペースを全く変えずに、、、というのであれば、その相手は残念ながら「貴方」と付き合いたいのではなく、「自分のペースを乱さずに便利に付き合える誰か」であれば誰でも良いという事になります。


そんな「誰でも良い誰か」に貴方はなりたいのでしょうか?
それでも相手の側にいたいというのであれば、止めません。


私は相談してくれた人達がそれぞれに幸せであってくれればそれで良いと思います。


ただ、マイナス式の恋愛をしている子達を見ていると、せっかく素敵な相手が居るのに
何故か彼女達はいっつも「自分ばっかり」「自分が損している」となんだかいつも幸せそうでは無いのです。
それでは、せっかくお付き合いしている時間が大変もったい無い事になってしまいます。


自分が壊れない程度に最善を尽くして、二人のペースを作れるように譲歩して、それでもダメならきっぱり別れてしまうのが良いかと思います。


相手に未練があるとか、もう少し一緒にいたいのであれば、他に何をしたら相手との関係性が改善されるのか?
無理をせずに付き合えるのか?
距離感はちゃんと計れているのか?


そういう事を考えて出来る限りの事をしてから
関係をどっちの方向に進めていくのか、考えると良いかもしれないですね。

 

だめんず例

【愛と束縛と洗脳】

以前、だめんずばかり好きになってしまう話を書きましたが、それに関連する話を今日は書こうと思います。


私は30歳から、35歳まで付き合った人がいました。


その頃はすでに過食症の症状が出ていて、元の体重から20キロくらいは平気で増えていた頃で、とてつもなく自分に自信がなくなっていた頃でした。


そんな折に出会った彼はとてつもなくべったりさんで、私に似ていて理屈っぽく、色んな事を話す人でした。


彼はだいぶ年下だったので、若さ故に理論武装していた部分や、女性ときちんと付き合った事がなかったようで、ほぼ初めて付き合ったのが私だったこともあったのかもしれません。


若い彼は一度は年齢差に戸惑い、別れるものの戻ってきて、段々と私の家に入り浸るようになり、一時期は同棲状態の時期もありました。


そんな彼の特徴は異様に嫉妬深い。
後々周りから聞いた感想は「オタク丸出し」
だったそうですが。。。
確かに彼は出会った頃はパーカーにジーパンにスニーカーにリュックかネルシャツにジーパンにスニーカーにリュック
だったし、アニメも好きだったし、ボカロも好きなようでしたけども。。。
私はあんまりそこいらへん「オタクだからどうこう」というよりも、話して楽しいか
とか 一緒に食事して同じものが美味しいと感じるか でしかほとんど判断しないので、当時は全く気にしていませんでした。


自己否定感が強すぎた私は「こんなに太っている私を好きになってくれるなんて、なんていい人なんだろう」と思ってしまったのですね。


彼の嫉妬深い行動は携帯や私のパソコンを勝手に覗くのは当たり前。
(パスコードロックをすると怒って暴れるため、かけられなかった)


私と飲食店に行くと、既婚者以外の男性の店員さんと会話をすると怒る。


1人で出かけると、必ず現地で友達と会っている時間に電話をかけてきて、周りの声を聞かせる。(声の中に男性が混じっていないか)


夜に1分おきにメールを送ってきて、反応が遅れると電話してくる。


電話をしても反応がなく、鬼電しても連絡が取れないときは昼夜を問わず家に来る。


ちょっと会話した飲み友達に対してあらぬ疑惑をかけ、家で暴れまくる。
(下着を全部切り裂かれ、家具を壊す)


などがありました。


それでも、ある程度は目をつぶっていた私は、
今になって思うと、自己暗示半分、彼からの洗脳半分だったんだろうと思います。


自己暗示は最初に付き合うことになってから、私が自分に対する自信がなさすぎたために、こんな自分でも好きになってくれる人はそういないだろうから、多少のことは目をつぶろう。
という考えに勝手になっていたこと。
彼からの洗脳は
「こんなに年下で、健康な男性が貴方のような太っていて、自立のできないメンヘラを好きになってくれるなんて俺ぐらいしかいないからな」と事あるごとに言われていたからかもしれません。
いつしか、彼の束縛が彼の言うように「愛情表現なんだ」と自分でも刷り込んでいたように思います。


しまいには、女友達にも嫉妬するようになったり、仕事から帰ってきたら、真っ暗な部屋の中から、全裸の彼がサプライズと称して飛び出てきたこともありました。


別れると言って部屋を飛び出してからしばらくして、部屋の片隅で鳴っている返したはずの携帯電話(2人の専用電話として当時PHSを持っていた)
が、クローゼット奥から出てきたりしたこともありました。


結局、五年に渡る交際の末、やっぱり私は彼の束縛についていけない。。。となって別れてから、普通の生活を送るようになったら、段々と自分の頭の中の「こうしなければならない」という自己暗示と洗脳が解けていって、初めて「自分は洗脳状態にあったんだ」と理解したのでした。


その後何人かとお付き合いしたものの、やはりだめんずが多かったのですが、総合して考えると、「あの人の為に」という感情で動くのは実際には自分のために行っていることが多く、「何かをしてあげた」という自己犠牲の感情に自分が浸っている状況のままでは、恋愛は上手くいかないという事をやっと学ぶことができました。


もちろん、「あの人の為に」という感情だけなら問題はそこまでないと思います。
問題は「こんなにしてあげたのにどうして?」という感情だろうと思います。


結局の所その感情は相手が何かをしてくれたことそのものに感謝をしておらず、自分がしてあげたことに対する「見返り」として受け取ってしまっているからです。


なので、極端な話をすると、いつまでたっても相手が何をしてくれたのかに対しての御礼をせずに、「私はこんな「してあげたのに」といつも被害者意識の塊になってしまっているということです。


それでは、本当の意味での「相手の為」ではないからです。
自分がしてあげた事で相手が喜んでいる。
その顔を見て嬉しいと感じる。
そこまでであれば特にそこまで問題はないと思います。
もちろんその行為をやりすぎると、相手も「やってもらう」事が当然になってしまって、感謝しなくなってしまうので、立派なだめんずが育ってしまいますが。。。


自分のした事に対して相手が感謝してくれる。
というのは、自分も相手がしてくれた事に常に感謝の気持ちを伝える事が大切だと思います。


多分、束縛の激しい彼と私はお互いに
「自分がこんなにしてあげてるのに」
とお互いの気持ちを押し付けあっていて、肝心の相手がしてくれた事に対してお互いに感謝をせずに、自分を見てもらうことだけに集中してしまっていて、本当の意味で相手のことを愛していなかったのだと思います。


そんな状況で、お互いに相手から思ったような反応が返ってこなかったので、私はどんどん卑屈になり、彼はどんどん束縛が激しくなったんだと、今は思えます。


そんな状況にならないためには何が必要なのか?


それは、ある程度の自分への自信と、相手への100%の依存ではなく、「相手がいなくても生きてはいける。でも居てくれると人生はもっと楽しい」くらいの自立心を、持って生きるていくことではないでしょうか?


そして、相手と一緒に過ごす時間は時に緩く、時に気合を入れて、心から楽しむ事が大切なのではないかと、今は実感しています。

 

 

 

 

 

 

被害者意識

【脱・悲劇のヒロイン思考】

メンタルの病んだ人に割と多い(健常者にも散見されますが)悲劇のヒロイン思考。


私も昔はガッツリ悲劇のヒロイン思考に浸っていました。


悲劇のヒロイン思考=被害者意識


なのですが、別にそれ自体がとてつもなく悪いと言っているわけではありません。
事実本当に被害者な部分もあるわけだし、自分を一定時間可哀想がって、「頑張った、頑張った、偉い偉い」と褒めるきっかけになる思考の一部であればそこまで問題はないように思います。


問題なのは、いつまでも被害者思考で、自分の行動を見返してみることもなく、全てを人のせいにする思考です。


自分が被害者なのは確かかもしれない。
でも、見る角度を変えると別の人には自分が加害者なのかもしれないし、もし、本当に被害者なのであれば、次回からどう被害を受けないように行動するのか?
を考えてなるべく被害を被らないように動く必要があります。


被害者思考が強くて、いつもいつも、誰かのせいにしている人は、その被害を被った時に最終的な判断を下してその道を選んだのは「自分だ」という部分が抜け落ちていることが多くて、結局毎回、同じ道を選んでは誰かのせいしてしまうので、ずーーーーーっと被害を被ることになってしまいます。


例えどんなクズと付き合おうと、誰かにお金を貸して逃げられようと、その人と付き合うとか、お金を貸すという判断を下して行動したのは自分なのです。


誰さんに言われたから、誰ちゃんがこう言ったから、という意見もありますが、あくまでもその人達の「アドバイス」をそのまま受け入れるか否かは自分の最終的な判断によるという部分がすっぽ抜けていると、永遠に同じような事が繰り返されます。


よく、誰かとどこか知らない場所に行く時に、いつも誰かに連れて行ってもらっていて道を全く覚えない人が居ます。
自分の最終的な判断を全て人のせいにするというのはそれに似たものがあります。
最後は自分で判断したはずなのに、人任せの意識が強くて、被害を被った事を反省して次に生かさないのです。


人間、ずーーーーーっと機嫌が悪かったり、この世の不幸を一手に背負っているような表情の人とはあまり付き合いたいと思わない事がほとんどだと思います。
そういう人に話しかけてくれる人は、最終的には興味本位で話しかけてくれる人がほとんどで、親身にきちんと話を聞いてくれる人はほとんどおらず、相手の興味が満たされればその人達はすぐに離れて行ってしまいます。


そして、たいがいにしてそういう人達の意見は、いい加減な事が多く、本当に真剣に貴方の事を考えて意見を述べてくれる人は残念ながら少ないです。


勿論、人間色んな打撃を受けて凹む事は多々あります。
でも、ただ凹むだけではなくて、その凹みを次回は凸に出来るように、存分に凹んだ後に何処の判断があまり良くなかったのか?
他に最善の行動はなかったのか?
を考えてみる事が大切ではないでしょうか。


笑顔で普段いられるようになると、相乗効果で、ハッピーな人や、耳が痛くてもちゃんとした真実をきちんと伝えてくれる人や、貴方がどんなに凹んでも浮上しても同じ温度で見守っていてくれる人達が自然と周りに居てくれるようになります。


傷の舐め合いは、とても甘美で楽チンですが、そういう相手は往々にして自分の気が済めば残酷にも貴方を見捨てて新しい傷の舐め合いができる相手へらと移動してしまい、貴方は二重にも三重にも傷つきかねません。


一時的にはそれでよくても、一生そういう友人しか周りにいなかったらやっぱり虚しくなるし、哀しいと思います。


先ず、自分の行動や、判断に責任を持って、他人任せにせず、失敗しても成功しても一度立ち止まって、なぜ、そういう結果になったのか?
を見つめ直すと、自然と悲劇のヒロイン思考から抜け出せて、楽しくなるかと思います。


悲しむのはとても大切な行為なので、勿論トコトン悲しんでから、見直して次回に生かしてくださいね。

 

トキメキはどこから

【ありのままの】

「ありのままの私を愛してくれる人が本当の愛情」という事をいう女子が割と居ます。


そして、その女子達に割と見受けられるのが
「ちっとも彼氏が出来ない、結婚出来ない、何で?」
という愚痴です。


もしくは、結婚はしたor彼氏は居るけれども
「相手が私を女として見てくれない」
「相手にもうトキメク事がない」
という愚痴。


確かに恋人や夫婦になって、近しい間柄になった時にある程度、相手の今まで見えていなかった部分が見えてくる事が多々あって、見えたものが自分の予想外の場合もあるので、それに戸惑い、お付き合いや結婚を解消する方もいらっしゃるかとおもいます。


私がそういう女子の愚痴を聞いている時に彼女達に聞くと
「ありのままの自分を愛して欲しかったのに」という意見が結構多いのです。


私がその彼女達に聞くのは
「貴方達は自分の女性としての工夫を自分なりに磨いたか?」
と必ず聞きます。


私のこれは本当に独断と偏見かもしれませんが
「トキメキは自分で作るもの」
と言う持論があります。


自分が相手にトキメク事が無くなってきたなーと感じたら、相手も自分にあんまりときめいていないのではないだろうか?と思い、ここ最近の自分の女性としての魅力を磨いていたかどうか?相手を思い、相手にときめいてもらえるような言動をしたかどうか?を考えます。


女子達が、旦那や彼氏が会う度に仕事に疲れ果てていて、スウェットとか、Tシャツと下着だけとかで、頭ボサボサで、、、っていう相手を見て、最初の頃は「可愛い!」とかって思っていても、それがずーーーっとそれだけの相手の姿しか見ていなければ、トキメク事がなくなりませんか?


それは相手も同じで、旦那さんや彼氏などに対して、付き合った頃は頑張っていた洋服や、メイクや、髪型がいつもボサボサだったり、相手に対しての言葉がおざなりだったりすれば、いつもカッコ悪い相手にときめかない自分と同じで相手もそんなキレイで可愛くない彼女に果たしてトキメクでしょうか?


主婦の方でも、結婚当初は頑張っていたお料理をさぼりがちだったりしてないでしょうか?


勿論そういう話を私が彼女達に言っても大概が反論されてしまうのがいつものオチですが。。


視点を変えて例え話をしてみると、割と受け入れられる事があります。


「貴方は泥だらけの掘りたてのジャガイモをそのまま丸齧りしている男性の味覚を信じられますか?」


私はもし、そんな泥だらけのジャガイモをその噛り付いている男性の「美味しい」は信じられないので、その人と何かしらの関わりは出来れば持ちたくないと思います。
例えどんなにハンサムな人であっても。


私が彼女達と話してて思うのが、
「ありのまま」の状態をかなり勘違いしているように思えるのです。


今お付き合いしている、もしくは旦那様と出会った時に貴方はそれなりに清潔感のある格好をして、相手に気に入られるように振舞っていたと思います。
過剰な厚化粧のような振る舞いは不要かとは思いますが、私の思う「ありのまま」は
最低限の女性としての清潔感や、人付き合いの中での最低限の感謝の気持ちをちゃんと相手に伝えている状態を私は「ありのまま」だと思っています。


親しき仲にも礼儀あり
という大切な部分が特に抜けてしまっている事が多いように感じます。


泥だらけのジャガイモはまさに相手への感謝の気持ちも、女性としての魅力磨きも全て投げ出した状態であって、その状態までも愛して、ときめいて欲しいと言うのであれば、自分も相手が泥だらけのジャガイモ状態でも愛してときめいてあげればいいのでは?と思うのに、彼女達は何故かしら相手の泥だらけの状態は認めないのです。


泥だらけのジャガイモだって、洗って茹でるだけでもとっても美味しくなりますし、更にバター乗せたり、ポテトサラダにしたり、あれこれ加工をしたらとてつもなく美味しくなりますよね?


女性としての魅力も同じものだと思います。


そして、相手への感謝の気持ちをちゃんと伝えて、たまーにはちょっと力の入ったご飯を作ったり、少し綺麗な格好をしたり、そういう事を全てやり尽くしても相手の反応がゼロだったり、相手からも感謝の気持ちを微塵も感じられなかったりするのであれば、それはお別れしてもいいかと思います。


でも、一度そういう事をトライしてみて、それからでも遅くはないはずです。


そして、感謝の気持ちを相手に伝わるようにきちんと言葉にして伝えると割と男性は喜んでくれて、久しぶりにカッコいい一面を見れたりして、またそんな彼に貴方もトキメク事が出来るんじゃないかなぁ?って私は思います。


私は最長6年ほど付き合った人が居ましたが、最後お別れする直前まで、彼にときめかないという事はあまりありませんでした。


それは、単に私が鈍いのかもしれないけれど、それでも、なるべく女性として見られるように。。とか
ご飯だけでも美味しいものを例え貧乏でも限られた食材で出していたり、彼が外でご馳走してくれた時には心の底からの感謝の気持ちをちゃんと伝えるようにしていたからかもしれません。


全ての方がこのケースに当てはまらないかもしれませんが、ほんの少し視点を変えるだけでもだいぶ関係性が変わってくるので、一度お試しあれ(*^^*)

 

 

 

片付けのコツ

【整理整頓とメンタルについて】

これはTwitterでもたまに流れてくることもあるので、ご存知の方もいるとは思いますが、
余程の喘息持ちの方とかでない限りは、部屋を掃除しなくても埃で死んでしまう人は居ないに等しいです。


ただ、「こんなに汚い部屋なのに、今日も掃除できなかった!!」
という自分を追い込む気持ちは、簡単に人を死に追いやります。


そして、部屋の状況はその人の心情を映すとも良く言いますが、私の経験上これもかなり当てはまると思います。


そして、余りにも考えがループし過ぎてこんがらがっている人に、医師が「部屋の掃除」を勧める場合がありますが、これも実はメンタルの治療に多少なりとも効果を発揮します。


掃除は「捨てるものと取っておくもの」の選択の連続です。


メンタルの病気の原因や解決法の一部にやはり選択をする場面や、今の状況に至るまでの道は自分で選択してきたという事実を自分で認めなければならない部分があります。


その事を掃除を通して、段々と頭の中で整理がついてくることがあるのです。


また、掃除をして、過ごしやすい部屋になると、心にも余裕が生まれて、少し身なりに気を使ったりもできるようになると、不思議と頭の中も割と考えがまとまってきたり、自分のダメなところ(捨てるべき所)が見えてきたりする事もあるのです。


とは言え、私もとてつもなく掃除が苦手でした。


メンタルの人に多いのは、部屋の掃除だけではなくて、自分の身なりにも衛生観念も崩壊する事が多いので、お風呂に何日も入らなかったり、歯を磨く事をしなくなる人も多いので、大きめの病院などで入院すると、歯科検診などは割と初期設定で勝手についてきて、そして、勝手に歯の治療も行われたりします。


歯周病や、虫歯の菌が余りにも放置し過ぎて、顎の骨から全身に回ってしまうことも実はあるので、そうなる前に、病院側で調べて治しておくんですね。


この治療には、おそらく最近は年配の入院患者の方も多いので、不要な原因で病院内でなくなってしまうことを防止する意味も含まれているようです。


私も一人暮らし歴が長くはありますが、とてつもなく掃除は苦手です。
 
特に狭い一人暮らし用の賃貸だと収納が殆どない物件も多いので、増えていく洋服やら荷物をしまう場所がなく、仕方なく床に散らばる。。。ということが昔はしょっちゅうあって、掃除機を、かける以前に床に物が溢れすぎて床面が見えない。。。ということもしょっちゅうありました。


一人暮らし歴が20年をそろそろ越えようとしていますが、その中でやっと私なりに掴めた掃除のコツは、やはり「しまう場所を作る」
これに尽きると思います。


私が自分で片付けられなくて一番嫌だったのが、いざ、出がけになって見つからないものがあって家を出られなかったり、料理中に今使いたい物が何処にいってしまったのかわからなくなって、料理を中断しなければいけなくなったりした時に、探しているその時間がとてつもなく無駄に思えたからです。


誰かと一緒に住んでいると、自分は出しっぱなしにしていても、同居している誰かが、見つけて元の場所に戻してくれる。
これは、大変ありがたい事なのですが、恐ろしい事にそれをされてしまうと、出しっぱなしにした当人には「片付ける」という力が一ミリも育たないという結果になるのです。。。


なので、一人暮らしを始めて10年以上は私は掃除する時は徹底的にするけど、普段は床が見えない。。という極端な部屋に住んでいる事もよくありました。


何度か引越しを重ねていくうちに、収納する場所のある物件では一時的に散らかってもそこまでひどくならずに数日で掃除機がかけられるレベルの部屋に戻っている事に気付きました。


そこから、インテリア雑誌(主に収納系の)を読んで納得したのは、100円均一の気に入った箱なんかに、ジャンル分けして、とりあえずは決めたものをその箱にしまい、箱は収納スペースか、なければカラーボックス等の棚にしまうという方法です。
また、収納スペースがなかったり、しょっちゅう使うものなので、完全に何処かにしまうと不便なものなんかもあるので、その場合には使わないバッグに詰めて、壁に跡のつきにくい画鋲を付けて、物品を入れたバッグを壁から下げるという収納方法でした。


これを始めてからは、今まで纏まらなくて散らばりがちだったハンガーが大きめの気に入っていたけどもう使わないバッグに詰めて壁に掛けただけで、賃貸の白壁は、バッグの柄で可愛いし、床でハンガーを踏んづけて、ハンガーが割れる上に足も痛い。。なんて事もなくなりました。


洗濯バサミも、雑誌のおまけについているミニトートの可愛い柄のやつだけど、ミニトートだらけで使わない。。。としまっていた物に入れて壁に下げるようにしました。


賃貸物件にもよりますが、よく、洗濯機は玄関にあるけど、洗濯物を干すのは部屋の反対側のベランダ。。。という事が多くて、洗濯用品を洗濯機周りに置いておいても、結局のところ、ベランダ側にハンガーやらを移動して、その後取り込んだ時にまた、玄関側にハンガーを持っていくのが面倒臭くて(またすぐに使うし。。。と思うんですよね)床やらソファーやらに散らばる。。。という現象がわりと起きがちなんですが。。。私の場合は、ベランダ側の壁にバッグを提げた事によって、その散らばりが予防できただけではなくて、吊り下げてたのがバッグだったことも良かったみたいで、部屋の別の場所に干そう!なんて時に、バッグだとそのまま肩にかけてすぐに移動ができるのがとても便利でした。


何より「床」に一つでも何かを置きだすと、どんどん気分的に「ま、いっか」という気分になって、いつの間にか床が見えないレベルに物が床に溢れてしまう事になるという法則をインテリア雑誌で見つけてからは、なるべく床にものを置かないようにしました。


今は100円均一の商品もオシャレで可愛いものがたくさんあるので、いろんな店舗を廻って、気に入ったデザインのものを選んで大きさを揃えて部屋にあったインテリアで整理整頓できるので便利ですね。


部屋が綺麗になって過ごしやすくなると、自分の部屋での動きも無駄が少なくなるので、段々と心に余裕が出来て、問題が何一つ解決していないとしても、問題を少しずつ受け入れたり、考えられる余裕が頭の中にも、心の中にもできる事を私は身をもって体験しました。


もちろん、部屋自体の掃除ができるようになるまでの心の余裕がない時もありますし、まだ病気になりたてでそんな余裕が持てない人もたくさんいます。


ただ、掃除ができなくて死んでしまう事は滅多にありません。


掃除ができない自分を責めるのではなくて、「できる時にやろう!今は思い切り泣こう!」とか「今は思い切り凹もう」とか、その期間が過ぎ去ってから、掃除や、自分の身なりや、衛生観念が見直せて、お手入れができるようになるといいですね。

 

 

 

一人暮らしあるある

【面倒臭いの向こう側】

私は、一人暮らし歴も結構長く、誰か他の人と住んでいる時期があっても、家事全般を行う役割を私が担うことが多かったので、料理のアイディアや、掃除の仕方なんかが、今現在の生活の仕方として、周りの人から見ると、スムーズに行っていて「主婦に最適!」みたいな感想を頂くことが多いのですが、実質的にはただのニートなんですけどね(笑)


で、スーパーニート主婦みたいなわけのわからない感じの肩書き(?)だとして、周りの人言うのは「貴方は綺麗好きだから」とか、「性格が生真面目だから」とか「そういう綺麗にするのが好きな性格だから」のような事をよく言われます。


が、それは実は物凄く間違っていて、
私はとんでもなく「面倒臭がり」で、「平気でぼんやり座ったまま動かない」性格で「コップもその都度洗ったりするのすら面倒で3日くらい同じコップを洗わずに使っていても平気」なとてつもなく「綺麗好きで生真面目」な性格からはかけ離れている性格です(笑)


ただ、「綺麗好きではないけれど、汚な好き」ではない
というところでしょうか?


で、長い事一人暮らしや二人暮らしやルームシェア的な生活を経て分かったことは、いかに自宅を過ごしやすく面倒臭くなく過ごせるようにするか。
これを心がける事によって、実は一番自分が面倒臭い思いをする事なく、割と快適に自宅での生活を過ごしていくことができるようになった。


ということですね。


一年の締めくくりとして年末の大掃除
というイベントがあるにはありますが、一年間放置しっぱなしの汚れを年末の掃除の日一日で落としきるのは中々骨が折れるし、しかも掃除箇所はそのほかにも沢山あるわけで。。。
結局自分が目標としている箇所全部の掃除はやり終えることなく、なんとなく全部中途半端ニート終わらせてなんかスッキリしないモヤモヤした気分で新年を迎える。
なんてこと、大掃除に限らず誰しも経験があると思うんですよね。


それでも中途半端にそれなりに片付けだけでも終わってればいいものの、なんか色々散らかしまくった途中経過状態で、ヤル気が途切れて、片付けや掃除を始める前より汚れて散らかったままで余計に過ごしにくくなるなんて事も私は度々あったのですが(笑)


結局のところ、本人の気持ち的に「散らかっている部屋の方がむしろ落ち着く」というような性格の人なら散らかっていてもなんら問題がなく、その部屋こそが快適空間であればいいのですが、大概の人が割と物が見つからなくて探している数分の間にイライラしたり、汚くてなんとなくヤダなぁなんて思いながら毎日過ごしたり、、
そうすると、毎日の始まりから自分がちょっとヤダなぁって感じながら始まるので、当然のことながら部屋に帰ること自体が億劫になるし、部屋に帰らなければどんどん色んな事柄が荒んできて、余計に訳のわからないストレスを抱え込む事にもなりやすいです。


その事を念頭に置いてなるべく整理整頓に心がける。
というのが、結果論ですね。


明日は整理整頓する際の私的に快適に過ごせるようになったツボをご紹介します。