あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

狭い世界の中で

【馬鹿にすること】

昨日私個人の子育てに関する感じたことを投稿させていただきましたが、あの内容に補足的なことを今日は書こうと思います。


よく、お子さんそのものを謙遜のつもりで他人の前で
「ウチの子馬鹿だからさー」とおっしゃるお母さんやお父さんを見かけます。


大人の世界では「ああ、謙遜してるな」と分かっても、子供にとってみれば、大問題です。
特にまだ幼稚園や小学校に入っていない子供にとっては親の言うことが全ての世界なので、母親や、父親の言うことは全部正しいことだと認識されてしまいます。


本当はそんな風に思ってないけど、なんとなく謙遜で、、、とかで言うにしても本人を目の前にしては言わないほうがいいと私は感じます。


で、子供本人に対しての謙遜も大切ですが、
それよりも割と日本人に多い「配偶者を馬鹿にする発言」が私は問題のように感じます。


配偶者を馬鹿にする場合は大体は目の前に配偶者がいない時に「あの人馬鹿だからさー」とかもしくは自分で自分のことを「私馬鹿だからさー」とか子供の前で「お父さんほんと馬鹿だよねー」なんて割と普通に皆んなおしゃべりの中の一部として話していることが多いです。


「旦那不器用で仕事しか能が無い馬鹿だからさー家事とか全然手伝ってくれないのー」
なんて会話、私は子持ちの友達から何度も聴いてます。


もしくは「私馬鹿だからさー、スマホとか使いこなせなくてほんとダメだからさー」
とか。。。


どちらの発言も本気で配偶者や、自分を馬鹿だと思って発言しているわけではないのは大人であればわかります。
(たまに本気で馬鹿にしてる奥さんor旦那さんもいるけど)


でも、子供は割と言葉そのままを飲み込んでインプットしてしまうので、旦那さんが奥さんを謙遜で馬鹿にしたりしていると、そのうち「本気で」子供達も自分の母親を馬鹿にしだします。
もちろん、その逆も然りで、奥さんが旦那さんを馬鹿にした発言を子供の前ですれば子供達も自分の父親を本気で馬鹿にしだします。


これは、本当に、友人のお子さん達を見ていると、発言している本人達は全く気付いていませんが、お子さん達の態度にハッキリと現れます。


「まだ小さくて言葉の意味なんかわからないから」なんて言う人もいますが、侮るなかれ、小さな子供ほど、言葉の意味はわからなくても、意味以上のニュアンスを読み取る能力はものすごいものがあります。


私には何人か子供のいるお友達がいます。


そのお子さんたちが、大体みんな0歳の時から知っている子供達が殆んどです。
中には生後3日に抱っこさせてもらって、今年もう中学三年生!なんて子もいます。


両親揃ってても、父親が母親を馬鹿にしたり、子供に対してキチンと愛情表現をしていない家庭の子は、情緒が不安定になってしまって、少し心配な子も居ますし、シングルマザーでとても大変そうだけど、お母さんが頑張ってる中でもちゃんと愛情表現をしている家庭の子は彼らの中で紆余曲折ありながらも真っ直ぐに育ってきているようにあくまでも私からは見受けられます。


自分で自分を馬鹿にしている発言をしている友人のお子さんはたまに本気で自分のお母さんを馬鹿にして、友人はそれを本気で怒っています。
でも、原因を作っているのは彼女自身である事に気付いていないので、永遠にその問題は起こり続けています。


確かに学歴がないのかもしれないし、不器用な生き方をしている人なのかもしれませんが、彼女なりに家族が満足してくれるよう、献立を考え、栄養面でも偏らず、かつ満腹になるようにお料理をしたりしながらも、共働きでとても頑張っている友人です。
そんな彼女の何処に馬鹿にする要素があるのでしょう?


私には無いと思うのです。
とても立派にお母さん業をし、妻の役目を果たし、そして仕事までしているのです。
何を馬鹿にする必要があるのでしょう?


でも、彼女は自分で自分を馬鹿にし、旦那さんも彼女を馬鹿にする発言をしょっちゅうしています。


そんな両親に育てられている子供達は当然のことのように自分の母親を馬鹿にしています。


私はそれはとても残念に思います。


せっかく、家族として存在出来たのだから、気が合う合わないは別としてもまだ、小学生に上がるか上がらないかの子供達が自分の母親を馬鹿にするなんて。。。


その積み重ねは段々と親子の間の関係性を捻れさせてしまうように思えてならないのです。


人間は馬鹿にしている人の意見を素直に聞くことができない生き物です。


思春期を迎えた子供達が自分が馬鹿にしている母親から意見されて言うことを聞くでしょうか?


大人になって、母親や父親に感謝の気持ちを持てるでしょうか?


私は何かしらの拍子に持てる機会があったとしても、そういう機会がない限り自動的に感謝できることは、彼らが馬鹿にしている限りないと思います。


そして、親達は口を揃えて
「そんな子に育てた覚えはない」
といいます。
でも、実際は、、、
親御さん達がそういう風に育ってしまう原因の種を蒔いてしまっているのです。
もちろん種なので、どうやって伸びていくのかはお子さんの性格や、周りの環境や、お友達なんかにも影響を受けるとは思います。
それでも、生まれて初めて影響を受ける相手はやっぱり親なのです。
だから、せめて、種まきの際にできるだけ、適度な水と肥料をあげて、スクスクと育っていってくれるように土壌を作るのが親の役目ではないでしょうか?


水や肥料が多すぎても根腐れして枯れてしまいますし、あげなさすぎても枯れてしまいます。
生まれつき丈夫な子もいれば、繊細で弱りやすい子も居ます。


何も「俺は偉いんだ!」「お母さんは素晴らしいんだ!」と宣言して欲しいわけでも威張って欲しいわけでもなく、ただ、誰かを馬鹿にすると子供も馬鹿にしてしまうよ。という事を頭の片隅に置いてできれば子育てを進めて欲しいなと、子供を育てたことはありませんが、見守らせてもらえている立場から見える景色で話してみました。


私の将来の楽しみはお友達のお子さんたちが大きくなって、20歳を超えた頃に美味しいお酒を飲みに連れていくことです(笑)


そんな素敵なことを夢見ながら、大切な友人達の大切な子供達が心も身体も健康な大人になってくれることを願っています。

 

 

愛情表現

【子育てについての個人的な考え方】

私は、流産の経験はありますが、実際に出産・子育てをした経験はありません。


なので、残念ながら、母親の気持ちは分からないのですが、逆の発想で、子供の気持ちは分かります(笑)


私の病気の原因が親との関係性が拗れたというのがあるので、今後子育てをなさる方や、今、まさに子育て中の方なんかに「こうしてくれたらお子さんがメンタル的に病まなくて済むかも?」と思った事を今日は書いてみようかと思います。


私は2人姉妹の長女として生まれました。
珍しく全く人見知りをしない子供だったらしく、母親と出掛けて道を歩いていてもすれ違う人全ての人に挨拶をするほど愛想の良い子供だったようです。


父親は子供はおろか、結婚も本当はあんまりしたくなかった人だったようで、それでも同棲が許されなかった為に、結婚をし、結婚後二年ほどした頃に母親がどうしても子供が欲しいとねだった為に仕方なく作った。というエピソードを父親本人の口から言われたことがあります。


そんな家庭だったので、父親は当然のことながら私には興味を一切持たず、営業という仕事柄、出張やら、接待が多くて幼い頃は本当に家で父親と顔を会わせることが少なかったように思います。


そんな、孤独な子育ての中、母親も辛かったとは思いますが、何せ初めてだらけの経験なのもあったのと、母親の母親、つまり、私の祖母にあたる人も自分自身の子供に対して全く興味がないままに、母親を含む4人兄弟を育てた人だったので、どうやら私の母親は、どうやって子供に興味を示したり、愛情表現をしたら良いのかがさっぱりわからなかったらしく、また、彼女の中で「家族だから言わなくてもわかってくれるだろう」という驕りからその後妹が生まれ、愛情表現の仕方がわかってからも、特に私に対しては愛情表現をほぼしてきませんでした。


確かに家族のように近しい存在の人には何も伝えなくてもその時々の気持ちを空気で察してもらえることはあるかとは思います。
ただ、それは何かしらの社会に入ってからの話であって、母親と子供だけの世界の内からそれをしたらどうでしょうか?


例えば、物凄い海外の森やアマゾンの奥深くの種族の人の村にポツンと1人だけ置いていかれて、「言わなくても体で感じろ!」と言われて、すぐに相手が何を考えているのかわかることが貴方はできますか?


多分その状況で相手の気持ちを察するとしたら、相手の表情から汲み取る以外は何を言われても分からない人が殆どだと思います。


では、その相手が自分に対して一切微笑まなければ、貴方は相手が自分に対して好意的な感情を持っていると思いますか?


私の答えは「No」です。


赤ちゃんや、幼児は、ある程度までは言葉が話せないし通じません。
赤ちゃんが、泣いて何を訴えているのか、お母さんが分からないように、赤ちゃんや幼児はお母さんが何を言って、何を思っているのかわからないのです。
その、お母さんがいつも自分に対して笑いかけてくれることが無かったら、その子供は母親に愛されていると感じられるでしょうか?


もし、永遠にそういう状況しか知らないのであれば、愛されているのかどうか?も分からないくらい、母親が自分に対して笑わない事が普通なんだと思ったまま育つでしょう。


ただ、私には四年後に妹が生まれています。
妹は人見知りがとてつもなく激しく、またとても華奢な体型の子供だった上に食べ物の好き嫌いも恐ろしく多い子供だったので、これは私の推測に過ぎませんが、多分母親の中でこの子は守らないと!!っていうセンサーが反応したのと、2人目で子育ての仕方もある程度までわかってきて、心に余裕が生まれたんだと思うんですよね。
なので、妹は逆に過剰なくらいの母親からの愛を注がれて育ちました。


ここでの問題点はAという選択肢しか無いのであればそこまで問題では無かったのだけど、人生の割と物心付いたくらいから実はBという選択肢もあったが、自分にはその選択肢を選ばせて貰う権利がなく、目の前でBを貰えている人を見てしまった事にあります。


また、月日はずっと流れ続けているので、母親の中の「そんな事言わなくてもわかっているだろう。今更言うのは恥ずかしいし」というような照れも余計に加速して、結局のところ、私は目の前で愛情を注がれまくっている妹を横目にしながら育ってきたのでした。


ただ、ここで問題なのは、その違和感について自分では全く気付いていなかった事でした。
なんとなーーく幼い頃からずっと心の中に謎な埋まらない孤独感があって、急に寂しくなったり、自分の家に居るのに「お家に帰りたい」というような感情に襲われたりしていました。


いま思えばそれがメンタルを病むきっかけであったのだろうと思われます。


その違和感をまた、どうやって解消したら良いのかすら、幼すぎてわからなかったのですね。


そこから思うに、勿論家の中が綺麗だったり、お母さんが作ってくれるご飯が美味しかったり、食べ物に添加物が入っていなくて新鮮で無農薬の野菜だったりは大切だし、一つの愛情表現ではあるとは思います。


でも、それは愛情の変化球であって、子供からすれば残念ながらダイレクトな愛情表現ではないのです。


無添加の食材や豪華なご飯や、素敵なインテリアもさる事ながら何よりも、子供に「大好きだよ」「何があってもお母さん(もしくはお父さん)は貴方の味方だよ」と伝えてあげたり、可能ならばハグをしてあげて下さい。


言葉の通じない海外の人に気持ちを伝える時、ものすごくオーバーに表現しますよね?
自分の中から生まれてきた子供だって、個別の人間な上に、海外の人より日本語はおろか、こちらの、感情も通じにくい相手です。
そんな相手に「分かるように」愛情表現をしてあげて下さい。


部屋が多少汚くとも、ご飯が多少失敗しようと、ちょっとばかり貧乏であろうとお母さんやお父さんがいつもニコニコしていれば、子供はそれだけでだいぶ救われます。


逆に原因の分からない不機嫌な人と出会うと人間は一番最初に「自分が相手に何か悪い事をしてしまっただろうか?」と自分を疑います。
世界が自分の家族と自分だけの狭い狭い世界に生きている子供であれば尚のこと、お母さん(もしくはお父さん)が機嫌が悪いのは自分のせいであろうと、口に出せないままに、ずっと自分を責めてしまい、寂しいとか、甘えたいという感情を、抑えこんでしまう可能性があります。


そういう子供が将来的にどうなるか?というと、ある時急にぶち切れて非行に走ったり、個性的なファッションに走ったり、ピアス開けまくったりするか、もしくはその時期も逃してしまったままに大人になった人は、メンタルを私のように病んでしまい、場合によってはながーーーーーーーーい人生の夏休みを取らざるをえなくなり、夏休みが明けた後に元の生活に戻れなくなってしまう事も多々あります。


どの親御さんもご自身のお子さんを愛する気持ちは持っていて、とにかくご自身のお子さんが可愛いと思っているのは私も存じています。
でも、その親御さんの気持ちがそのままの大きさでお子さんに伝わっているかについて、貴方は自信が持てますか?


察してほしい、わかって欲しいと思うのであれば、まず、相手に自分が今何を思い、何を感じているのか?
そして自分は相手の気持ちや感情を察したり、分かったりできているのか?


何より、自分の愛情はきちんと子供に伝わっているのか?


そして、貴方は自分の愛情を子供に伝える努力をしているのか?


一度それを考えてみて欲しいと、私は思います。


幼い子供の世界では親が絶対で、一点の曇りもなく親を全身全霊で信頼し、万が一親が毒を差し出しても飲みなさいと言われれば素直に飲んでしまうくらい、子供は親を信頼しています。


ある程度の年齢になって、こんなに一点の曇りもなく、純粋に自分を信じてくれる存在ができる事はそうそうありません。
そんな、存在が側にいてくれるというのは自分にとってとてつもない自信に繋がります。
親御さんたちは自分たちが生み育てた子供たちから新たな自信を知らない間に貰えているのです。


せっかく親になれたのだから、この純粋な信頼のお礼に、とにかくご自身の中にある愛情を子供に伝えてあげることだけは、面倒くさがらずにしてあげて下さいね。

 

 

 

 

友人について

【変わらぬ温かさ】

私は病んでいた時期もその後もその前も人に嫌われることを極端に恐れる人格でした。
誰しも人に嫌われるのは嬉しいものではありませんし、できれば嫌われない方がありがたいのですが、何をどうしてもウマが合わない人や、何だかよくわからないけどとても不穏な空気が流れてしまう人、中には一緒にいると気分の悪くなってしまう人も居ます。


私は元々人見知りを全くせず、あまり人に対して先入観を持たずに話をする癖があるのもあって、明らかに見た目からすると絶対的に気が合わなそうな人ともお友達になったり、年下の人だととても懐いてくれる子も居ました。


何かを頼まれればなるべく期待に応えられるように自分なりにつとめて相手が喜んでくれるように振舞って居ました。


ただ、何をどうしても気が合わない人もいれば、残念ながらそういう風に振る舞う私を利用するように自分が困っている時や、何かをして欲しいだけにしか連絡してくるようになる人も何人か居たり、もしくは、いつも上から目線で何かを言っても全て否定してくる人も多くいました。
それでも、悩みを相談してくれたり、何か頼まれごとをしたりするのは相手が私の事を好いてくれていて、必要とされているからだとも思い、特に問題にも思っていませんでした。


それよりも、嫌われてしまうことが怖く感じていてように思います。


2016年に健康上に大きな問題を抱える可能性が出てきた時に、残念ながらそういう私を利用するだけの間柄の人や、馬鹿にしているような態度をとる方々はみんな、連絡が取れなくなりました。


その時に、私はとてつもなく不愉快な気分になって、今後の人生の中でこういう不要な不愉快な思いをもうしたくないと思い、彼女たちに「なぜ、貴方達と関係を断ち切るのか」を告げてから縁を切らせていただきました。


そこから約一年ほど経って、私は今更ですが気づいたことがありました。


それは、何か大きな問題や、健康上の不安を抱えていても、いつも変わらない温度で見守っていてくれ、傍に居てくれる人の大切さでした。


余程間違った方向に行かない限り、叱ることも、利用することも、気分が乱高下する事もなく、温かさが感じられる距離で、とりとめのない私の話を聞いたくれたり、一緒に遊んでくれたりするお友達たちの大切さを「無駄」を省いた事によってとてもハッキリ見えるようになり
そして、とてつもなく彼らたちに感謝を以前にも増してするようになりました。


相手に対して嫌われてしまったらどうしよう?とビクビクしながら、付き合うよりも、親しき仲にも礼儀ありな適切な距離感を保ちながら、通年を通して同じ温度で居てくれる、そんな人達に囲まれている自分はとても幸運に思いましたし、より一層そういう人達に対して感謝の気持ちを忘れずに大切にしていきたいと思いました。


そしてまた、私もそういう人達にとって、同じような温かく、通年を通して変わらずに見守っていてくれるような安心感を与えられる存在になれれば嬉しいなと思うようになりました。


誰しも、何かしら悩みがあったり、愚痴があったり、不安があったりするものですが、自分が弱っている時に、心の中でとてつもなく支えてもらえる存在にお互いがお互いになれれば本当にこれ以上の事の事はないなぁ。。
と思います。


その為にはまず、自分が落ち着いて、適切な距離感で相手と付き合えていけるように。
まず、自分が自分のことを把握して生きていけるように。
そして、誰かを馬鹿にしたり、頭ごなしに否定したり、利用したりする事のないように生きていけるように日々成長をしていければと思っています。

 

 

恋愛スタイル

【プラス式の恋愛】

私は恋愛の相談事を女の子からよくされますが(たまに男性からも、、、)
たまたまかもしれませんが、その女子達に総じて多いのが「マイナス式恋愛」で相手を好きになる女子達です。


この恋愛の方法は女子系のアプリコラムにも散見しますが、こないだ書いた「トキメキは自分で作るもの」に通ずるものがあるので、あえて私のブログにも書かせて頂きます。


マイナス式恋愛の特徴は
「好きになった時が100点満点あるいはそれ以上」なのが特徴的で、片想いの場合には永遠に満点状態が続きがちです。


問題は両想いになってめでたくお付き合いをしだしてから始まります。


片想いというのは、とても辛く孤独な想いに思われがちですが、相手の事を詳細に知るわけでは無いので、想っている自分の理想の世界の中だけで、相手が生きてくれるという利点があります。
余程相手が何か犯罪を犯すなどがない限り同じクラスの誰々くんが好き♡位であれば、片想いの間は何か不穏な噂話でも聞かない限り、イメージは壊れずに想い続ける事ができるというわけです。


お付き合いを始めると、そうはいかず勿論相手の知っていたことだけではなくて、知らなかったことも関係性が近づけば近づくほど見えてくるのです。


そこで、相手の意外な一面を
「可愛い!」
と思うのか
「理想と違っていてガッカリした」
と思うのかは自分次第という事ですし、
もしかしたら相手の男子も同じ方式で恋愛をしていれば、貴方に対して「理想の女の子像と違ってガッカリ」
なんて事を思われている場合もあります。


私が不思議に思うのは、女子達は自分が相手を採点する事は想定していても、自分も相手に採点されている事を想定していない事。
そして、自分は相手を採点するのに、自分は自分のありのままを愛して欲しいと思うところでしょうか。


もし、貴方が相手に自分のありのままの姿を愛して欲しいのであれば、お付き合いをして見えた相手の意外な一面を貴方も受け入れる必要があると、私は思っています。


相談をしてきてくれる彼女達は不思議とそこがいつもすっぽ抜けているのです。


もし、相手に自分も採点されているとしたら、やっぱり身なりにも気も遣うだろうし、相手に対する態度や、感謝の気持ちだってキチンと表すのでは無いでしょうか?


自分は気を遣わない、感謝の気持ちも言わなくてもきっと分かってくれる。
でも、私の理想より下にならないで欲しい。
というのは、だいぶワガママに見えるのは気のせいでしょうか?


私は相手の意外な一面を見せてもらえた時は素直に喜びます。
普段はカッコよく振舞っている相手が寝起きでぼんやりしていたり、何かを間違ったり、可愛らしい言葉を使ってきたり、、、
人によって様々だとは思いますが、それだけ相手が私に心を許してくれたと、私は受け止めて
「こんなに意外な一面がっ!!」と
今までの彼への点数にプラスして更に点数を上げていく方式です。


例えばその意外な一面があまりにも自分には受け入れられない事柄なのであれば、何も全てを相手に合わせたり、自分に合わせてもらう必要はなく、その事柄について正直に相手に伝えて
「二人のペース」
を作っていけばいいのではないか?
と思っています。
人間「ここはどうしても譲れない」というボーダーラインまでは、わりかし好意を持っている相手に対しては譲歩してくれるものです。
100%相手に合わせたり、追いかけたり、引っ張ったりしていくのではなくて、二人で手をつないで一緒の歩幅で歩いてくための
「ペース」をまず作っていけばいいのでは無いのでは?と思っています。
そのために私も相談してくれた女子達にはそのように伝えるようにしています。


相談された私の方式がそのカップルに合うとは限りません。
それは、自分達のやりやすいようにいくらでもカタチを変えて活用してくれれば良いと思うのです。
やってみて失敗したら別の方法をとってみれば良いと思います。


もし、相手の男性(もしくは女性)が、今までの自分のペースを全く変えずに貴方と付き合いたいと望むのであれば、私は残念ながらその方とのお付き合いはあまりオススメできません。
「誰か」と「お付き合い」をするという事は、今までになかった関係性を新たに構築していく事なので、もし、その相手がペースを全く変えずに、、、というのであれば、その相手は残念ながら「貴方」と付き合いたいのではなく、「自分のペースを乱さずに便利に付き合える誰か」であれば誰でも良いという事になります。


そんな「誰でも良い誰か」に貴方はなりたいのでしょうか?
それでも相手の側にいたいというのであれば、止めません。


私は相談してくれた人達がそれぞれに幸せであってくれればそれで良いと思います。


ただ、マイナス式の恋愛をしている子達を見ていると、せっかく素敵な相手が居るのに
何故か彼女達はいっつも「自分ばっかり」「自分が損している」となんだかいつも幸せそうでは無いのです。
それでは、せっかくお付き合いしている時間が大変もったい無い事になってしまいます。


自分が壊れない程度に最善を尽くして、二人のペースを作れるように譲歩して、それでもダメならきっぱり別れてしまうのが良いかと思います。


相手に未練があるとか、もう少し一緒にいたいのであれば、他に何をしたら相手との関係性が改善されるのか?
無理をせずに付き合えるのか?
距離感はちゃんと計れているのか?


そういう事を考えて出来る限りの事をしてから
関係をどっちの方向に進めていくのか、考えると良いかもしれないですね。

 

だめんず例

【愛と束縛と洗脳】

以前、だめんずばかり好きになってしまう話を書きましたが、それに関連する話を今日は書こうと思います。


私は30歳から、35歳まで付き合った人がいました。


その頃はすでに過食症の症状が出ていて、元の体重から20キロくらいは平気で増えていた頃で、とてつもなく自分に自信がなくなっていた頃でした。


そんな折に出会った彼はとてつもなくべったりさんで、私に似ていて理屈っぽく、色んな事を話す人でした。


彼はだいぶ年下だったので、若さ故に理論武装していた部分や、女性ときちんと付き合った事がなかったようで、ほぼ初めて付き合ったのが私だったこともあったのかもしれません。


若い彼は一度は年齢差に戸惑い、別れるものの戻ってきて、段々と私の家に入り浸るようになり、一時期は同棲状態の時期もありました。


そんな彼の特徴は異様に嫉妬深い。
後々周りから聞いた感想は「オタク丸出し」
だったそうですが。。。
確かに彼は出会った頃はパーカーにジーパンにスニーカーにリュックかネルシャツにジーパンにスニーカーにリュック
だったし、アニメも好きだったし、ボカロも好きなようでしたけども。。。
私はあんまりそこいらへん「オタクだからどうこう」というよりも、話して楽しいか
とか 一緒に食事して同じものが美味しいと感じるか でしかほとんど判断しないので、当時は全く気にしていませんでした。


自己否定感が強すぎた私は「こんなに太っている私を好きになってくれるなんて、なんていい人なんだろう」と思ってしまったのですね。


彼の嫉妬深い行動は携帯や私のパソコンを勝手に覗くのは当たり前。
(パスコードロックをすると怒って暴れるため、かけられなかった)


私と飲食店に行くと、既婚者以外の男性の店員さんと会話をすると怒る。


1人で出かけると、必ず現地で友達と会っている時間に電話をかけてきて、周りの声を聞かせる。(声の中に男性が混じっていないか)


夜に1分おきにメールを送ってきて、反応が遅れると電話してくる。


電話をしても反応がなく、鬼電しても連絡が取れないときは昼夜を問わず家に来る。


ちょっと会話した飲み友達に対してあらぬ疑惑をかけ、家で暴れまくる。
(下着を全部切り裂かれ、家具を壊す)


などがありました。


それでも、ある程度は目をつぶっていた私は、
今になって思うと、自己暗示半分、彼からの洗脳半分だったんだろうと思います。


自己暗示は最初に付き合うことになってから、私が自分に対する自信がなさすぎたために、こんな自分でも好きになってくれる人はそういないだろうから、多少のことは目をつぶろう。
という考えに勝手になっていたこと。
彼からの洗脳は
「こんなに年下で、健康な男性が貴方のような太っていて、自立のできないメンヘラを好きになってくれるなんて俺ぐらいしかいないからな」と事あるごとに言われていたからかもしれません。
いつしか、彼の束縛が彼の言うように「愛情表現なんだ」と自分でも刷り込んでいたように思います。


しまいには、女友達にも嫉妬するようになったり、仕事から帰ってきたら、真っ暗な部屋の中から、全裸の彼がサプライズと称して飛び出てきたこともありました。


別れると言って部屋を飛び出してからしばらくして、部屋の片隅で鳴っている返したはずの携帯電話(2人の専用電話として当時PHSを持っていた)
が、クローゼット奥から出てきたりしたこともありました。


結局、五年に渡る交際の末、やっぱり私は彼の束縛についていけない。。。となって別れてから、普通の生活を送るようになったら、段々と自分の頭の中の「こうしなければならない」という自己暗示と洗脳が解けていって、初めて「自分は洗脳状態にあったんだ」と理解したのでした。


その後何人かとお付き合いしたものの、やはりだめんずが多かったのですが、総合して考えると、「あの人の為に」という感情で動くのは実際には自分のために行っていることが多く、「何かをしてあげた」という自己犠牲の感情に自分が浸っている状況のままでは、恋愛は上手くいかないという事をやっと学ぶことができました。


もちろん、「あの人の為に」という感情だけなら問題はそこまでないと思います。
問題は「こんなにしてあげたのにどうして?」という感情だろうと思います。


結局の所その感情は相手が何かをしてくれたことそのものに感謝をしておらず、自分がしてあげたことに対する「見返り」として受け取ってしまっているからです。


なので、極端な話をすると、いつまでたっても相手が何をしてくれたのかに対しての御礼をせずに、「私はこんな「してあげたのに」といつも被害者意識の塊になってしまっているということです。


それでは、本当の意味での「相手の為」ではないからです。
自分がしてあげた事で相手が喜んでいる。
その顔を見て嬉しいと感じる。
そこまでであれば特にそこまで問題はないと思います。
もちろんその行為をやりすぎると、相手も「やってもらう」事が当然になってしまって、感謝しなくなってしまうので、立派なだめんずが育ってしまいますが。。。


自分のした事に対して相手が感謝してくれる。
というのは、自分も相手がしてくれた事に常に感謝の気持ちを伝える事が大切だと思います。


多分、束縛の激しい彼と私はお互いに
「自分がこんなにしてあげてるのに」
とお互いの気持ちを押し付けあっていて、肝心の相手がしてくれた事に対してお互いに感謝をせずに、自分を見てもらうことだけに集中してしまっていて、本当の意味で相手のことを愛していなかったのだと思います。


そんな状況で、お互いに相手から思ったような反応が返ってこなかったので、私はどんどん卑屈になり、彼はどんどん束縛が激しくなったんだと、今は思えます。


そんな状況にならないためには何が必要なのか?


それは、ある程度の自分への自信と、相手への100%の依存ではなく、「相手がいなくても生きてはいける。でも居てくれると人生はもっと楽しい」くらいの自立心を、持って生きるていくことではないでしょうか?


そして、相手と一緒に過ごす時間は時に緩く、時に気合を入れて、心から楽しむ事が大切なのではないかと、今は実感しています。

 

 

 

 

 

 

被害者意識

【脱・悲劇のヒロイン思考】

メンタルの病んだ人に割と多い(健常者にも散見されますが)悲劇のヒロイン思考。


私も昔はガッツリ悲劇のヒロイン思考に浸っていました。


悲劇のヒロイン思考=被害者意識


なのですが、別にそれ自体がとてつもなく悪いと言っているわけではありません。
事実本当に被害者な部分もあるわけだし、自分を一定時間可哀想がって、「頑張った、頑張った、偉い偉い」と褒めるきっかけになる思考の一部であればそこまで問題はないように思います。


問題なのは、いつまでも被害者思考で、自分の行動を見返してみることもなく、全てを人のせいにする思考です。


自分が被害者なのは確かかもしれない。
でも、見る角度を変えると別の人には自分が加害者なのかもしれないし、もし、本当に被害者なのであれば、次回からどう被害を受けないように行動するのか?
を考えてなるべく被害を被らないように動く必要があります。


被害者思考が強くて、いつもいつも、誰かのせいにしている人は、その被害を被った時に最終的な判断を下してその道を選んだのは「自分だ」という部分が抜け落ちていることが多くて、結局毎回、同じ道を選んでは誰かのせいしてしまうので、ずーーーーーっと被害を被ることになってしまいます。


例えどんなクズと付き合おうと、誰かにお金を貸して逃げられようと、その人と付き合うとか、お金を貸すという判断を下して行動したのは自分なのです。


誰さんに言われたから、誰ちゃんがこう言ったから、という意見もありますが、あくまでもその人達の「アドバイス」をそのまま受け入れるか否かは自分の最終的な判断によるという部分がすっぽ抜けていると、永遠に同じような事が繰り返されます。


よく、誰かとどこか知らない場所に行く時に、いつも誰かに連れて行ってもらっていて道を全く覚えない人が居ます。
自分の最終的な判断を全て人のせいにするというのはそれに似たものがあります。
最後は自分で判断したはずなのに、人任せの意識が強くて、被害を被った事を反省して次に生かさないのです。


人間、ずーーーーーっと機嫌が悪かったり、この世の不幸を一手に背負っているような表情の人とはあまり付き合いたいと思わない事がほとんどだと思います。
そういう人に話しかけてくれる人は、最終的には興味本位で話しかけてくれる人がほとんどで、親身にきちんと話を聞いてくれる人はほとんどおらず、相手の興味が満たされればその人達はすぐに離れて行ってしまいます。


そして、たいがいにしてそういう人達の意見は、いい加減な事が多く、本当に真剣に貴方の事を考えて意見を述べてくれる人は残念ながら少ないです。


勿論、人間色んな打撃を受けて凹む事は多々あります。
でも、ただ凹むだけではなくて、その凹みを次回は凸に出来るように、存分に凹んだ後に何処の判断があまり良くなかったのか?
他に最善の行動はなかったのか?
を考えてみる事が大切ではないでしょうか。


笑顔で普段いられるようになると、相乗効果で、ハッピーな人や、耳が痛くてもちゃんとした真実をきちんと伝えてくれる人や、貴方がどんなに凹んでも浮上しても同じ温度で見守っていてくれる人達が自然と周りに居てくれるようになります。


傷の舐め合いは、とても甘美で楽チンですが、そういう相手は往々にして自分の気が済めば残酷にも貴方を見捨てて新しい傷の舐め合いができる相手へらと移動してしまい、貴方は二重にも三重にも傷つきかねません。


一時的にはそれでよくても、一生そういう友人しか周りにいなかったらやっぱり虚しくなるし、哀しいと思います。


先ず、自分の行動や、判断に責任を持って、他人任せにせず、失敗しても成功しても一度立ち止まって、なぜ、そういう結果になったのか?
を見つめ直すと、自然と悲劇のヒロイン思考から抜け出せて、楽しくなるかと思います。


悲しむのはとても大切な行為なので、勿論トコトン悲しんでから、見直して次回に生かしてくださいね。

 

トキメキはどこから

【ありのままの】

「ありのままの私を愛してくれる人が本当の愛情」という事をいう女子が割と居ます。


そして、その女子達に割と見受けられるのが
「ちっとも彼氏が出来ない、結婚出来ない、何で?」
という愚痴です。


もしくは、結婚はしたor彼氏は居るけれども
「相手が私を女として見てくれない」
「相手にもうトキメク事がない」
という愚痴。


確かに恋人や夫婦になって、近しい間柄になった時にある程度、相手の今まで見えていなかった部分が見えてくる事が多々あって、見えたものが自分の予想外の場合もあるので、それに戸惑い、お付き合いや結婚を解消する方もいらっしゃるかとおもいます。


私がそういう女子の愚痴を聞いている時に彼女達に聞くと
「ありのままの自分を愛して欲しかったのに」という意見が結構多いのです。


私がその彼女達に聞くのは
「貴方達は自分の女性としての工夫を自分なりに磨いたか?」
と必ず聞きます。


私のこれは本当に独断と偏見かもしれませんが
「トキメキは自分で作るもの」
と言う持論があります。


自分が相手にトキメク事が無くなってきたなーと感じたら、相手も自分にあんまりときめいていないのではないだろうか?と思い、ここ最近の自分の女性としての魅力を磨いていたかどうか?相手を思い、相手にときめいてもらえるような言動をしたかどうか?を考えます。


女子達が、旦那や彼氏が会う度に仕事に疲れ果てていて、スウェットとか、Tシャツと下着だけとかで、頭ボサボサで、、、っていう相手を見て、最初の頃は「可愛い!」とかって思っていても、それがずーーーっとそれだけの相手の姿しか見ていなければ、トキメク事がなくなりませんか?


それは相手も同じで、旦那さんや彼氏などに対して、付き合った頃は頑張っていた洋服や、メイクや、髪型がいつもボサボサだったり、相手に対しての言葉がおざなりだったりすれば、いつもカッコ悪い相手にときめかない自分と同じで相手もそんなキレイで可愛くない彼女に果たしてトキメクでしょうか?


主婦の方でも、結婚当初は頑張っていたお料理をさぼりがちだったりしてないでしょうか?


勿論そういう話を私が彼女達に言っても大概が反論されてしまうのがいつものオチですが。。


視点を変えて例え話をしてみると、割と受け入れられる事があります。


「貴方は泥だらけの掘りたてのジャガイモをそのまま丸齧りしている男性の味覚を信じられますか?」


私はもし、そんな泥だらけのジャガイモをその噛り付いている男性の「美味しい」は信じられないので、その人と何かしらの関わりは出来れば持ちたくないと思います。
例えどんなにハンサムな人であっても。


私が彼女達と話してて思うのが、
「ありのまま」の状態をかなり勘違いしているように思えるのです。


今お付き合いしている、もしくは旦那様と出会った時に貴方はそれなりに清潔感のある格好をして、相手に気に入られるように振舞っていたと思います。
過剰な厚化粧のような振る舞いは不要かとは思いますが、私の思う「ありのまま」は
最低限の女性としての清潔感や、人付き合いの中での最低限の感謝の気持ちをちゃんと相手に伝えている状態を私は「ありのまま」だと思っています。


親しき仲にも礼儀あり
という大切な部分が特に抜けてしまっている事が多いように感じます。


泥だらけのジャガイモはまさに相手への感謝の気持ちも、女性としての魅力磨きも全て投げ出した状態であって、その状態までも愛して、ときめいて欲しいと言うのであれば、自分も相手が泥だらけのジャガイモ状態でも愛してときめいてあげればいいのでは?と思うのに、彼女達は何故かしら相手の泥だらけの状態は認めないのです。


泥だらけのジャガイモだって、洗って茹でるだけでもとっても美味しくなりますし、更にバター乗せたり、ポテトサラダにしたり、あれこれ加工をしたらとてつもなく美味しくなりますよね?


女性としての魅力も同じものだと思います。


そして、相手への感謝の気持ちをちゃんと伝えて、たまーにはちょっと力の入ったご飯を作ったり、少し綺麗な格好をしたり、そういう事を全てやり尽くしても相手の反応がゼロだったり、相手からも感謝の気持ちを微塵も感じられなかったりするのであれば、それはお別れしてもいいかと思います。


でも、一度そういう事をトライしてみて、それからでも遅くはないはずです。


そして、感謝の気持ちを相手に伝わるようにきちんと言葉にして伝えると割と男性は喜んでくれて、久しぶりにカッコいい一面を見れたりして、またそんな彼に貴方もトキメク事が出来るんじゃないかなぁ?って私は思います。


私は最長6年ほど付き合った人が居ましたが、最後お別れする直前まで、彼にときめかないという事はあまりありませんでした。


それは、単に私が鈍いのかもしれないけれど、それでも、なるべく女性として見られるように。。とか
ご飯だけでも美味しいものを例え貧乏でも限られた食材で出していたり、彼が外でご馳走してくれた時には心の底からの感謝の気持ちをちゃんと伝えるようにしていたからかもしれません。


全ての方がこのケースに当てはまらないかもしれませんが、ほんの少し視点を変えるだけでもだいぶ関係性が変わってくるので、一度お試しあれ(*^^*)