あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

生まれ落ちて

【考えて欲しいこと】


今日は、本当に個人的な思いを書きたいと思います。

 


子育ては、良いことばかりではなく、むしろお母さんが孤独になりやすく、そのストレスが上手に発散することができなければ、ストレスを向けられるのが子供になりかねません。


そして、子供はしばらくは母親と自分だけの世界で生きるので、母親に責められたり、暴力を振るわれても、「ストレス」なんて言葉も存在も知らないので、どんなに理不尽であっても、外の世界を知らない限りは「自分が悪いからお母さんが怒るのだろう」と全てを自分のせいにして、ドンドン内へ篭っていってしまいます。


知り合いに、学生結婚をして居て結果三人のお子さんを設けたご家族がいました。
そのご家族はとても幸せそうで、大変な中にも、楽しい毎日を過ごして居るようでしたし、もちろん虐待なんて事は一切していませんでした。


ただ、一点気になったのは、お母さんが
「この子(一番上の子)が居なければもっと色々仕事できたのにさー」と度々子供の前で愚痴をこぼすのが気になりました。


上の子は既に小学生でしたが、その分大人の言って居ることの意味もよく理解できるようになります。
その状態で例え愚痴であっても自分の目の前で自分が生まれて来なければもっと楽しめたのに。。。。というような発言をされて喜ぶと思いますか?


私がとても不思議に思うのは、彼女たちは合意の上で性交渉をしているという事。
そして、性交渉をしている時の年齢は確実に避妊方法を学校で教えてくれて居た年齢よりも上だったという事です。


性交渉を拒むことも、避妊具を購入する事も、不当に妊娠したとしてもその後最悪中絶する事もできたはずなのに、それを一切せずに、産んでから生まれてきた子供に対して文句を言うのです。


よく、中絶は残酷だという方や、宗教的にできない方もいますし、考え方は人それぞれですが、この世に生まれ落ちる前に絶命するのと、一個人として存在しているのに、その人権を踏みにじられながら生き地獄を生きていくのはどちらが残酷なのでしょう?


私は流産の他に、望まずに妊娠してしまったことが一度あります。


その時はメンタルの病気もMAXで酷くて、年齢的にも30歳手前で、子供を産むのには多分最適な年齢ではあったと思いますが、メンタルを病んでいて、半ばレイプのように当時の彼氏に犯されたのちの子供をその彼氏と産み育てる自信もありませんでしたし、暴力を振るう彼から子供を守れる自信もありませんでした。
何より当時は生活保護での生活で、その状態で妊娠と出産をして1人で生活を立て直して生きていく選択すら選べないほどにメンタルもボロボロでした。


なので、当時の彼氏にお金を工面してもらって中絶を選択しました。


それでも、私はそのことについて、今は良かったと思っています。
私と同じように
「生まれて来なければよかった」と思いながら生きていく子供が増えて欲しくないのです。


増してや、自分が親からそういう扱いを受けた事によって自分が病で苦しんでいるのに、その思いを自分で自分の子供にしてしまうかもしれない。。というのは本当に嫌でした。


そして、多分今はいろんな事がわかってきて、良かったと思っていますが、妊娠してしまったあの頃の私の状態ではまだ悲劇のヒロイン気質が抜けていなくて、確実に自分の子供に対して、異常な愛情か、もしくは、私の母親のように愛情があるんだか、ないんだか、子供にわからない状態で接して育ててしまっていたであろうと、安易に想像がつきます。


今はアフターモーニングピルというものもありますし、最悪、婦人科で膣洗浄ということをする事もできますし、ピルやコンドームももちろんあります。


結婚したら子供を生むのが当たり前という時代はだいぶ通り過ぎましたが、地域や、親御さんによってはそういう考え方の強い地域も、そして、周りもそういう接し方をしてしまう人も悪意なくいたりします。


でも、望まれずに産んだ子供達は必ずその思いを感じて、親子関係にヒビが入ってしまいます。
もちろん産んだら可愛くて愛情溢れる家庭を築いていけるケースもあると思いますが、それは残念ながらごく少数です。
そして、子育てはそんなに楽しいことばかりではなく、ほぼ9割型辛いことが妊娠時から多くて、思うように子供は育たず、残りの1割の喜びが今までの苦しみを吹き飛ばすほどの威力があるからこそ、育てられるのだと周りを見ていてつくづく思います。


私は子供を妊娠したことはありますが、産み育てたことは残念ながらありません。
ただ、三時間おきの授乳を生まれたてのネコを拾ったのでした事があります。
あれは、やっぱりとてつもなく大変でした。
猫と赤ちゃんを同じにするなと怒られるかもしれませんが、私が経験できた母親らしい経験はそれだけです。
たったそれだけでもとてつもなく大変だったのに、実際の子供だとしたら、段々大きくなって、言葉も通じるようになって、意思疎通ができない時期もあって。。。と、とてつもなく大変だと思います。


だからこそ、愛しさや、楽しみもあるでしょう。但し、それ以上に大変さも沢山あることを忘れずに、そしていっ時の快楽の為だけに体を犠牲にしないでください。


中絶手術も流産の手術もする事は全く同じで、全身麻酔で、子宮の中をかきだします。
その前日には子宮の中に膨らむ海藻の棒見たいなやつを入れておいて、時間をかけてムリクリ子宮口を、開きます。
もちろん、海藻の棒を入れる際は麻酔なんかありません。
とてつもなく痛いです。
全身麻酔なので、最悪命を落とす場合もあります。


どう考えても、身体に良い手術でない事は明らかです。


彼氏が避妊してくれないから。。
それならば、拒むか別れるかした方がいいです。


そんな人と健全な子育てなんてきっとできないはずです。


私のように、残念ながら暴力的に妊娠してしまう人もいると思います。


そんな相手の子供を産み育てるのは多分並大抵のことではやり遂げられないと思います。


どうか、子供を産み育てる前に、自分は育てられるのか?
相手と性交渉をする前に、避妊しなかった場合の最悪のケースが降りかかってもちゃんと対処できるのか。


それを念頭に置いてから、産み育てて下さい。


生まれる前に殺してしまうのは確かに残酷だと思います。
でも、生まれ落ちてから、人権や個人を踏み潰されながら生きていくのはもっと辛く、悲しい事だと私は思って居ます。


産んだ責任をちゃんと取るというのは、金銭だけで子供を育てるだけではなく、心の扶養もちゃんとしてあげて初めて親なんだと私は思います。


その上での「親としての責任」をちゃんと果たしてあげてくだい。

 

 

 

 

お母さんと孤独

【妊娠・出産と社会との関わりについて】

私は出産した事はありませんが、周りに妊娠・出産をして子育てをしている友人は割といます。


世間的には、「既婚者 子持ち」と「独身者 キャリア」は割と仲が悪く書かれたり、相性が悪く書かれたりする事が多く、その文章や、双方の話を聞けば、わからなくもない意見も勿論多々あります。


今回はそちらへの掘り下げは行わず、子供を身篭ってから、出産を経て、子育てをしている女性と話していた時に私が気がついた事を書いていきたいと思います。


あくまでも、私が感じた事なので、全ての方に当てはまるわけでもないですし、違う意見の人もいると思います。


私が彼女たちと触れ合っていて感じたのは、妊娠時もものすごく大変なのは言うまでもないのですが、出産後の大変さの壮絶さとか、出産後の彼女たちと会ったり、話したり、メールして感じた事と、思った事を、今日はまとめていきます。


私が思ったのは、社会的に、「妊娠時」はお腹が出てきたり「見てわかる変化」があるので、周りもそれなりに気を使い、「妊婦ビジネス」も最近は盛んになってきて、世間的にも少しずつ「妊婦さん」の扱いが昔に比べれば少しは改善された部分もあったり、使い勝手の楽なグッズが出たりと僅かではありますが、ほんの少しは過ごしやすくなってきたり、周りの理解も少しは得やすくなってきているように個人的には感じます。


身近な妊婦さんを見ていて、出産後の彼女たちと決定的に違うのは、情報収集力の違いでしょうか?


妊婦さんは身体的にはとても苦しいですし、色んな不自由も生じて、どんなに便利なグッズが出来たとしても、本調子で快適!ってほどに調子が良いのか?って、聞かれればそうではないと思います。


ただ、仕事や家事に追われていたとしても、以前とは違うペースであったとしても行動する事柄を「自分のペース」で動ける。
故に、妊婦さんにどんな食べ物がいいのか?
とか
どんな環境がいいのか?
とか
どんなグッズが便利なのか?
とか、、、
スマートフォンや、インターネットや、雑誌なんかで、妊婦が色んな世間の情報を集める事が自らの手でできる事。


子供を出産してからの彼女達との違いはこの部分ではないだろうか?
と私は感じます。


子供が生まれると、まず、自分のペースで何かを行う事は出来ません。


全てが赤ちゃんとそして旦那さんのペースで日常が進んでいき、世間もそれを当然としてみている部分もありますし、むしろ母親である彼女達が赤ちゃんのペースではなく、彼女自身のペースで何かを行おうとしたら、白い目で見られる。。なんて事も多くあると思います。


そんな、「自分」のペースではなく全てが「自分ではない誰か」のペースで進んでいく生活の中で、産後の体力や、身体的な変化等にも驚きながら、言葉の全く通じないそれも理不尽な要求ばかりされ、そして、それに対して不当を訴えても本人はおろか、周りにも理解が得られない状況下だと、彼女達は「何かを調べる」「何かの情報を得る」という場面からとてつもなく、遠い場所。
に置かれます。


「え?スマホで調べればえーやん」って思うとおっしゃる方もいると思います。


24時間稼働で、赤ちゃんが寝てる時間は家事に当て、そして、細切れの睡眠時間なので母親自身も寝ないとお乳も出なくなりますし、家も何もしないわけにはいかないので、ある程度は荒れ放題でも、旦那さんや自分のご飯を作ったり、洗濯物をするわけです。
そして、睡眠時間は三時間おきくらいしかない。。。
そんな状況下で、貴方は何かを調べようという気力が湧きますか?


という事なのです。


例え調べられたとしても、必要に迫られた、今晩の献立。
とか
どこのスーパーが安いかのチラシ
とか
純粋に彼女だけが欲しい情報を調べる。
集める。何かを得る。
なんて時間が無いわけです。


私が彼女たちと会うという時間を設ける時に、衝撃的に感じたのは、子育てに忙しすぎて、suicaPASMOの存在や、購入の仕方を知らなかった事。


寝ている乳幼児を抱っこしたまま、切符買うの大変なんだよ!って怒られた時でした。


私が「suicaは?」
って言ったら
「え?何それ?どこで買うの?」
と聞かれたのです。
その会話をしたのがsuicaが導入されたばかりでも全くなく、既に私達が30を過ぎていた頃の話なので、コンビニでも当たり前にレジでsuicaなどの決済が出来た時期です。


その時に彼女は、suicaの存在は知っていても、
それを自分が利用して電車に乗る。
例えばどこで買って、いつチャージできるのか?
なんかの知識を得る場所がなかったのです。


赤ちゃん生みたてのお母さんは電車とか乗らないもんね。
って言う方もいると思いますが、彼女は毎月病院にバスや電車を乗り継いで通っていたのです。


娘ちゃんは既に3歳でした。


彼女は、たぶんsuicaを利用して改札を通っていたり、バスに乗る人たちを横目で見ていた筈なのです。
でも、それが何なのか?
自分も使えるものなのか?
そういう情報を耳に入れる場所が子供を育てる事に必死すぎて、情報を得る場所も、調べる事も、そのもの自体を知る機会すら、余裕がなくなっていて、何もできなかったのです。


そして、彼女達を養っている旦那さんは奥さんがそんなに世間の情報から遠ざかった状態で子育てをし、家事をしているなんて、考えても勿論いないので、教える事すらもない。。。


その間彼女は、幼い子供を連れて毎月遠くの病院まで、切符を買う時にとても苦労しながら子供が生まれてから3年もの間一人で頑張って通っていたわけです。


毎日睡眠不足で、やる事満載でBGMのように流しているニュースやワイドショーの内容なんて、頭に入るわけもなく、ましてや自分の時間も無ければ、インターネットで何かの最新情報を読むわけでも無ければ、子供や家庭のためになる情報意外に何かを特別に調べたりする機会はとても減ります。


特に専業主婦の人は外部の人と接する時間が極端に減るので、働いているお母さん達より余計に何かの情報や、外部の人と接したり、触れたりする時間がほぼゼロになるわけです。


もちろん、働いているお母さん達の方が時間がない!っていう事実もあります。
ただ、赤ちゃんと接していない時間は専業主婦のお母さんより数時間は確保されるわけです。


自分が自由に使える時間 は確かに働いているお母さん達は減るとは思います。
ただ、そういうお母さん達に見られるのは、
「限られた時間をいかに有効利用するか」
ということを身につけている。


自分に使う時間はなくても、家族に使う時間も限られてはいるので、家事をいかに効率的に週末だけですませるか?
とか、時間的にどういうローテーションで子供のお迎えからお風呂夕飯作りまで頭の中で考えたりもします。


そして、働いているお母さん達には何より、家庭の人以外のアルバイトや、パート仲間や、仕事場のボスやら、、、接客業ならばお客様とか、とにかく家の中の人以外との接する時間があるわけです。


仕事をしていても、理不尽な理由で手を止めなければいけない事ももちろんありますが、子供のように言葉も通じない相手にいきなり脈略もなく、全ての予定が潰されるという事は、稀にあるかもしれませんが、仕事においては、おそらく毎日そういう状況に置かれる事は少ないように思います。


子供と触れ合っていない時間をもって、何かしら自分で行っている。
という時間はとても大切なように思います。


もちろん、仕事をしていても
「◯◯ちゃんの、お母さん」と言われる仕事先もあるとは思いますが、基本的には「彼女自身」として扱われる職場が多いと思います。


勿論、自分だけの時間は少ないのですが、周りに目を向ける時間を持つ。
という意味ではおそらく働いているお母さん達の方が多いように思います。
それはやはり、家庭内だけの世界に留まらない時間がほんの少しでもあるからではないでしょうか?


自分の視野や、世界を広げる事は「お母さん達」に限った事ではなくて、全ての人に大切な事に思っていますが、家庭内だけの生活をしているお母さんになったお友達は「自分が世間から取り残される不安感」と「自分が自分でなくなる不安感」と常に隣合わせの世界で、でも、忙しくて、視野をどうやって広げていいのかもわからず、不安感だけが取り巻く。。。
という人が多いように思います。


でも、それは彼女達が悪いわけでもなんでもなくて、むしろ周りがサポートして、一緒に子育てをしていく事が大切ではないのではないか?と私は感じています。


子供が生まれる事によって、仕事にやる気が出て、仕事をバリバリ頑張るお父さんもいます。
勿論お仕事をしてくれなければ、家庭は成り立たないので大切ですが、子供を育てるのはお母さん一人ではないはずなのに、作るときは二人だけど育てるときは1人。
という家庭が少なくありません。


別に今もてはやされている
イクメン」になる必要はありませんが、
私が思うのは、そういうお母さん達が
とてつもない「孤独」を抱えている事が多いのです。


子供にも恵まれて、旦那さんはお仕事もバリバリ忙しくて、、、
多分周りから見たらとても羨ましがられたり、羨望の眼差しで見られる状況かもしれまさんが、彼女達は誰よりも孤独で、たった1人で生活しているのです。


でも、周りからはその孤独は理解されないので、誰にも話せない。
でも、自分が自分ではない人間になっていくような気がする恐怖はなくならない。


そんな風に周りで見ていた私には映りました。


お友達でできる事は限られています。
会っている数時間だけ子供と遊ぶ。
彼女達の話を聞く。
彼女達が普段入るのを躊躇うようなお店に連れて行く。


お友達でできるのはせいぜい「数時間の気分転換」それだけです。


やはり、家族や、一番近くにいる旦那さん達のサポートが無ければ、彼女達の孤独はどんどん深まっていくと思います。


あまりに孤独が深まればそれはもう「数時間の気分転換」では晴れる事はなくなり、カウンセリングや、心療内科などの専門機関に行かないと永遠に闇の中を彷徨ってしまって、日常生活が送れないレベルになってしまう事も多々あります。


子供が生まれて、家族が増えるのは望んでいた夫婦であれば喜ばしく、周りにも祝福される嬉しい事のはずなのに、いつの間にか日常生活が送れなくなるほどに精神が破綻してしまったら、これほど悲しい事はありません。


そして、そんな苦しんでいるお母さん達を見て、子供達はもっと深い闇に足を踏み入れてしまう事もあるわけです。


そんな悲しいループが永遠に続いてしまったらこんなに悲しい事はありません。


私はお友達として、できる限りの事をできるように心がけるしかできませんが、もし、周りにそういうお母さん達が居たら、闇や孤独が深まる前に、お友達であれば、お友達でできる範囲の事を、家族であれば家族でできる事を、旦那さんであれば旦那さんでできる事を、是非してあげてくだい。


何にも特別な事はしなくていいのです。
数時間子供を見ていて、お母さんがゆっくり1人で、昼寝をする。
ゆっくり1人で、お気に入りのDVDを見る。
ゆっくり1人でリビングでコーヒーを飲む。
ゆっくり1人もしくはお友達とお茶に行く。
ゆっくり1人で本を読む。
ゆっくり友達と電話をする。


子供を寝かしつけた後に
旦那さんとゆっくり話をする。


たったそれだけでも、お母さん達の孤独感が少しは薄れます。


私にはできる事が少なく、そして、女性ならではの「もう私には産めない」「羨ましい」という、気持ちももちろん入り混じってしまう事もあります。


何より、2人で子供が欲しいと願って作ったのだから、たった1人ぼっちで子供を育てさせようとせず、お父さん達が稼ぐ以外に何をしたらいいのか分からなければ、ただ、奥さんの話を聞いてあげる時間を設けるだけでも違ってくると思います。


お母さん達が笑顔で、健康に子育てを出来たら、それはゆくゆくは、そのお母さん達に育てられた子供達も健康に育っていくという事です。


お母さん達が孤独で、闇をどんどん深めながら育てられたとしたら、それは、子供は必ず空気を読み取ります。
それは悲しい事にそのうちの何人かは、いつかこころを病んでしまう可能性があるという事です。


自分の子供が鬱病でもしくは何かしらのメンタルの病で苦しむ事を望む親がいるでしょうか?


私が思うのは、お母さん達もお父さん達も、そして将来大人になるであろう子供達も、生きていく上でのいくつかの問題を乗り越えて、それでも、たった1人ぼっちという気持ちを味わう事なく、生きていって欲しいという事です。

 

デリケート

【婦人科について】

今日はメンタルと直接的な関係があるわけではありませんが、女性にとって大切な「婦人科」について書きたいと思います。


私は昔から生理痛がとてつもなく酷く重く、時には歩くのも辛いくらいに痛い時もありました。


しかし、母親曰く「若い頃はホルモンバランスが乱れているし、自分の友人でもっと酷い人も居たから大丈夫」という方針であまりきちんと婦人科に行ったことはありませんでした。


特に、婦人科系の病気は内臓の裏側などに嚢腫が出来る事が多くて、エコーや内診ではわからない事も多かったのと、昔の婦人科の方針として「子供を産めば治る」という風潮があり、私も余りにも痛くて苦しかった高校一年生の時に、初めて婦人科にかかった時には鎮痛剤すら処方されずに「子供を産めば治る」と痛い内診をしたのにも関わらず言われ、唖然とした事がありました。


結局、20代前半に子宮内膜症が判明して半年飲み薬のホルモン治療を行いました。


それによってやっとわかったのですが、何故婦人科の医師たちが口を揃えて「妊娠すれば治る」と言ったのは妊娠をすると当然生理が止まるため、その間に婦人科系の病気が軽減する場合があるからです。
婦人科系の病気は殆どの物が生理の時に一緒に炎症を起こして、段々と悪化していくので、生理が止まる事によって、悪化するタイミングがなくなり、軽いものであれば、特に何もしなくても出産後気にならなくなる場合があるからだと言う事でした。


ホルモン治療は人工的に仮閉経状態を作り出し、最長で半年間生理を止めて、腫瘍やらが小さくならないかを試みる治療法です。


私はホルモン治療をする前までは子宮内膜症による子宮と卵巣の癒着が酷く、99.9%妊娠は出来ませんと宣言されましたが、結局のところ、妊娠しました。(その後流産していますが)


また、ホルモン治療を一度すれば完治するというものでもなく、例え、腫瘍だけを取り除く手術をしたとしても、婦人科系の病気はとても再発しやすく、クリアな期間は手術やホルモン治療が終了してから2年ほどしかないそうです。


私はその後30歳の時に子宮筋腫になり、半年間ホルモン注射でのホルモン治療を行いましたが、結局筋腫がりんご大に大きくなったのと、内膜症の再発に加え、卵巣嚢腫も併発したため、腫瘍・筋腫のみを、取り除く手術を行いました。


再発のサインとしては個人差もあると思いますが、異常な生理痛の他に、生理でもないのに生理痛のような下腹部痛が強くするというものが分かりやすいかと思います。
ただ、あまりにも腫瘍や筋腫が小さければ婦人科ではあまり、具体的な治療は行わず、経過観察を重ねてあまりにも大きくなりすぎたり、妊娠計画がうまく進まない場合や将来的に妊娠したい場合には子宮や卵巣は残したままでの治療を進める事が主体です。


婦人科にかかる時に大切なのは、生理周期を自分で過去3ヶ月間くらいは把握しておくこと。
脱ぎ着しやすいボトムスを選ぶ事、万が一内診で出血した場合用に生理用ナプキンを用意しておく事くらいでしょうか。


内診は担当医師の熟練度や、その時々の自分のコンディションにもよりますが、痛いですし、もちろんいい気分はしません。
ただ、恥ずかしいなどの理由や、面倒臭いという理由であまりにも自分の婦人科系臓器への知識がなさすぎると、イザ結婚して子作りをしたいなんて時に何度トライしてもちっとも子供ができないと思っていたら実は婦人科系の病気だったなんて、事になりかねません。
婦人科系の病気は妊娠しにくくなりやすいそうです。


良い婦人科系の医師を探すのは至難の技ではありますが、口コミ掲示板的なものも昨今たくさん存在するので、そういう場所で確かめるか、もしくは友人などで婦人科にかかった事のある人に評判を聞くのがいいかもしれません。


ただ、注意点がひとつだけあり、産科の評判は上々の医師でも、婦人科はイマヒトツという事がある事を覚えておいてください。


どちらにしても内診や、色んな問診などで不愉快な思いをするのであれば、すこしでもストレスを軽減するためにそれ以上の不快感を味合わない為にもある程度の自分の生理周期位は把握しておくのがオススメです。


そして、いつか妊娠をしたり、はたまた、更年期を迎える頃にある程度の自分の婦人科系臓器の把握が出来ていると何かしらの不調が出た時に、すぐに対応が出来て安心です。


特にホルモンバランスに関わる月経前症候群(PMS)や、更年期症候群は身体的不調だけではなく、鬱のように気分が落ち込んだり、不眠になったりもするので、生理周期や、自分の行動パターンなどに当てはめて、メンタル的な病なのか、それとも婦人科系的な不調なのかによっても受診する科を適切にかかる事が出来て、たらい回しにされる事も減ってくるように思います。


何よりも、きちんと自分のコンディションを把握して都度メンテナンスをしておく事によって結果的に自分が楽になるように、私は感じています。

信頼とは

【信じること】

今日は、私が母に対して違和感を感じたことについて書きたいと思います。


私は、生理痛がとてつもなく重かったり、様々なものにかぶれやすかったり、少し厄介な体質でした。


そんな時にお腹が痛い
とか
皮膚がかぶれて痒い
とか
一番最初に訴えるのはやはり母親に対してでした。


その時に母親からの返事はどんなことに対しても
「もっと大変な人はいる」「きっと貴方のは大したことない」
という返答で、胃痙攣を起こしても、救急車を呼んだりすることもなく、階段から落ちて歩けないと訴えても、病院まで歩けという母親でした。


結局のところ、足は骨折していて、ギブスがはめられましたし、生理痛は婦人科系の病気で、不妊気味と診断され、生理痛が酷すぎてなんとか病院に連れて行ってもらえた時は、医師に母親が「なぜ、こんなにひどくなるまで放置していたのですか?」
と聞かれる始末でした。


母親は未だに私が何か不調だったりで何かのお願いごとをした時に、まずそれを信じない
という特徴があることに気づいたのでした。


一番幼い頃から傍にいる人に信頼されないというのは、その後の人間関係を作っていく上でとてつもない、影響力があるように思えます。


結局私は今現時点では母親に触られたり、あまりにも近くに座られたりすると、哀しいかな、、蕁麻疹や湿疹が出てくるようになってしまいました。
もう、それは何か苦手意識が強いという類のものではなくて、無意識的にだと思います。


病気になって10年目くらいの時に祖母宅の掃除に母親と一緒に行った時に「過呼吸が起きそうだから、帰宅したい」
と母親に言ったら、熱を測ろうとした母親に私がとてつもなくビックリしてから母親に近くに居られると身体に異変が起きるようになりましたが、、、過呼吸はご存知の方も多いと思いますが、発熱等は通常の場合ほぼ関係なく、ビニール袋を口元に当てて、呼吸を整えるというのが、基本的な解決法です。
確かに親の前であまりそういう発作的なものを起こしたことはありませんが、私も10年病気だったのと、妹もそれなりに引きこもり期間が長かった事や、母親は心療内科的な本を自ら買ってきたりしていたので、まさかそんな行動を取ると予想できなかったのも大きかったかもしれません。


しかし、それほどに、母親は、私の病気を知ろうとはせず、そして、幼い頃からの私の不調のSOSを信じてくれることが本当に少なかったように娘としては感じました。


勿論子供であっても仮病を使って学校を休んだり、親の関心を引きたくて嘘をつくことはあると思います。


ここで、私があくまでも子供目線で物を言わせて頂くと、「なぜ、その子は嘘をつかなくてはいけなかったのか?」
ということです。
例えば、仮病であれば
何故学校に行きたくなくなったのか?
いじめられているのか?
友達と喧嘩をしたのか?
はたまた、宿題をするのを忘れたのか?


どちらにしても何かしらの理由があって、その子供は仮病使わざるをえなかった状況だったということです。


親の関心を引きたくて嘘をつく。
ということは、何かしら親の関心がその子供からそれている、「親が見ていてくれない」という不安を子供が抱えているからではないでしょうか?


100%嘘をつく子供が悪くないと言えばそれはまた違うと思いますし、嘘をつくことは自体は悪いことだと思います。
嘘をついた事についてはきちんと「いけないことだ」と教えるのも親の役目だと思いますが、「何故その子供が嘘をつかなければいけなかったのか?」にもできれば目を向けて欲しいのです。


そして、次回そういう状況に置かれた時にその子供が嘘をつかずに正直に親に「◯◯だから学校に行きたくない」と言える関係性を作ってもらえたら親も、頭ごなしに叱ることなく、その事柄についての解決方法を子供と一緒に考えることもできますし、親子のコミュニケーションも少なからずとれると、私は考えます。


そして、その関係性を深めるためにも、まず親が子供を信じてあげることが大切ではないだろうか?と思うのです。


結果としては私は何か問題が起きた時、苦しい時、余程の事がない限り親には頼らなくなりました。
それは以前癌の疑惑が上がった時も、治療費を親に相談するつもりも起きないくらいに親に何かを伝える気持ちすらなくなってしまうのです。


多分相手を信じるという事は親と子供だけの関係性ではなく、恋人や夫婦や友達との関係でも大切なことだと思います。


相手を信じて初めてその人とのおつきあいが始まるのかもしれません。
逆を返せば、相手を信じる事が出来なければ、何十年来のおつきあいの人でも根っこでは繋がっていないという事になると、私は考えます。


相手を信じるという行動は、時に騙されたり、裏切られたり悲しい事もたくさん起きてしまいますが、全く人を信用できない状況で人間関係を構築しているのであれば、自分も相手には全く信頼されていないという事を頭の中で理解して納得した上でその相手の方と付き合っていく必要があるという事です。


自分は信頼しないけど、相手には自分を信頼してほしいなんて都合のいいことは起こりえないのです。
そういった関係性はどこかに歪みがあって、どっちみち破綻してしまうのですから。
それで良いと自分できちんと把握した上でもし相手に裏切られても、文句を言わないで付き合えると言うのであれば、私は止めません。


大人になればなるほど、心から信頼できる新しい関係性を構築できる人を見つけるのがとても困難になります。


幾つになってもそんな風に信頼しあえる関係性を保てるような新たな出会いがあると良いですね。

 

 

 

飴と鞭

【肯定と否定】

自己否定の強い人って結構いると思います。
多分に漏れず私もそうなんですが、自己だけならまだしも(良くはないけど)
誰かに何かを相談された時や、ご自身のお子さんにまで否定的な人も割と見受けられます。


過剰な自己否定もどちらかと言えば私には
「自己防衛」な気もしますが、周りの人の事まで余りにも否定しすぎるのも、本人の気づかないうちに周りの信頼や繋がりをなくすきっかけになりかねません。


相談を誰かにしたとして、その自分の意見を頭ごなしに否定されたらきっと相談をした人は余計に頭が固くなって頑なに自分の意見を曲げなくなってしまったり、周りが見えなくなってしまうことの方が多いように感じます。


確かに、相談の中にはどこからどう聞いてもおかしげな事もたくさんあって、もちろん私も話を全部聞いてからおかしいことに関してははっきりと「おかしい」とは伝えます。


ただ、相手が言いたいことを全て吐き出すまではなるべく遮らないようにして聞くようにはつとめています。
そして、相手が言いたい事を吐き出してから、
私は◯◯が■■に感じた、だからその意見には同意できない。
と、何がおかしく感じたのか、をはっきりと相手に伝えるようにしています。


たまに、そういう対応をして、相談してくれた人の全てを否定されたと受け取られてしまう人もいますが、なるべくそういう意見を言う前に「決して貴方を攻撃しているわけではない」
「私の意見や感想が全てではない」
という事を伝えた後に
「もし、私が貴方の相手であれば、こういう風に捉えてしまう可能性がある」
とか
「その話を聞いて私個人としてはこう感じた」
というように伝えるようにしています。


私が残念に思う、自己否定の人は
「どうせ私馬鹿だから」という人です。
私だってちっとも利口ではありませんし、
学歴も職歴もガタガタです(笑)


ただ、その「どうせ馬鹿だから」という言葉を使って、なんにも努力をする前から勝手に決め付けてしまうのは違うと私は思うのです。


馬鹿は馬鹿なりにもがいてみたら「それなり」かもしれないけれど、何かしら形になるかもしれないし、今より少し違う場所に行けるかもしれないのに、最初から何もしないで「馬鹿だから」という言葉を盾に逃げているようにあくまでも私には見えてしまうんですよね。
自分から色んな可能性を狭めてしまっているような。。。
勿体無いなぁと思うのです。


曲者な言葉は
「どうせ」
「面倒臭い」
の二つではないかと私は思うのですが、この二つの言葉を使ってしまうと大体のことは何も挑戦せずに避けて通れますものね。


別に挑戦したくなくて、現状に満足なら構わないのですが、この二つの言葉を使う人は、大体が現状に満足しておらず、何かしらに不平や不満があり、それゆえに愚痴や、相談事が発生している人に見受けられます。


それで、こちらが何かを提案すると
「どうせ」
「でも」
「だって」
「面倒臭い」
の言葉たちで一蹴してしまい、その後もずーーーーーっと不平と不満と愚痴を言い続けます。


それは、誰でも仲良くしたいと思いませんし、
一緒にいて疲れてしまうと思うのです。


ご本人そのものだけに否定的ならばまだいいですが、それがお子さんにまでその思考を植え付けてしまったら、多分お子さん達は何かを挑戦しようと思う前に
「どうせ馬鹿だし」
と色んな可能性を何もせずに諦めてしまうかもしれません。


大げさかもしれませんが、それはある意味


未来のサッカー選手や、文豪作家や、エリート商社マンや、、、、という彼らの未来の道を親御さんの「どうせ」という思考の植え付けによって、芽を出す前から枯らしているようなものではないでしょうか?


失敗は子供でも大人でも老人でも誰でも辛くて苦しいものです。


ただ、失敗をした時に受け皿になってあげられるのは子供からしてみれば最大の受け皿は親御さんです。
その親御さんが自らご自身のお子さんを冗談でも馬鹿にするような発言をしたり、「だから失敗すると思ったのよ!なんでそんなことしたの?」なんて事を言われたら、お子さん達はもう二度と何かに挑戦しようという気持ちは起きないと思います。


何かを失敗するのは人間なのだから当然です。
その時に、せめて命を投げ出したり、世界に自分は独りぼっちだと思われない程度に親が側にいてあげられたら、それだけで多分お子さん達は辛いながらも「何かしら」を掴んで成長していくんだと思うのです。


親御さんの自己否定の思考が実は色んな所に影響してしまうことを忘れずに、あまり否定しすぎず、褒められる所は褒めて生きていきたいですね。。。
(自分で自分を褒めるのは至難の技ですけどね(笑))

 

狭い世界の中で

【馬鹿にすること】

昨日私個人の子育てに関する感じたことを投稿させていただきましたが、あの内容に補足的なことを今日は書こうと思います。


よく、お子さんそのものを謙遜のつもりで他人の前で
「ウチの子馬鹿だからさー」とおっしゃるお母さんやお父さんを見かけます。


大人の世界では「ああ、謙遜してるな」と分かっても、子供にとってみれば、大問題です。
特にまだ幼稚園や小学校に入っていない子供にとっては親の言うことが全ての世界なので、母親や、父親の言うことは全部正しいことだと認識されてしまいます。


本当はそんな風に思ってないけど、なんとなく謙遜で、、、とかで言うにしても本人を目の前にしては言わないほうがいいと私は感じます。


で、子供本人に対しての謙遜も大切ですが、
それよりも割と日本人に多い「配偶者を馬鹿にする発言」が私は問題のように感じます。


配偶者を馬鹿にする場合は大体は目の前に配偶者がいない時に「あの人馬鹿だからさー」とかもしくは自分で自分のことを「私馬鹿だからさー」とか子供の前で「お父さんほんと馬鹿だよねー」なんて割と普通に皆んなおしゃべりの中の一部として話していることが多いです。


「旦那不器用で仕事しか能が無い馬鹿だからさー家事とか全然手伝ってくれないのー」
なんて会話、私は子持ちの友達から何度も聴いてます。


もしくは「私馬鹿だからさー、スマホとか使いこなせなくてほんとダメだからさー」
とか。。。


どちらの発言も本気で配偶者や、自分を馬鹿だと思って発言しているわけではないのは大人であればわかります。
(たまに本気で馬鹿にしてる奥さんor旦那さんもいるけど)


でも、子供は割と言葉そのままを飲み込んでインプットしてしまうので、旦那さんが奥さんを謙遜で馬鹿にしたりしていると、そのうち「本気で」子供達も自分の母親を馬鹿にしだします。
もちろん、その逆も然りで、奥さんが旦那さんを馬鹿にした発言を子供の前ですれば子供達も自分の父親を本気で馬鹿にしだします。


これは、本当に、友人のお子さん達を見ていると、発言している本人達は全く気付いていませんが、お子さん達の態度にハッキリと現れます。


「まだ小さくて言葉の意味なんかわからないから」なんて言う人もいますが、侮るなかれ、小さな子供ほど、言葉の意味はわからなくても、意味以上のニュアンスを読み取る能力はものすごいものがあります。


私には何人か子供のいるお友達がいます。


そのお子さんたちが、大体みんな0歳の時から知っている子供達が殆んどです。
中には生後3日に抱っこさせてもらって、今年もう中学三年生!なんて子もいます。


両親揃ってても、父親が母親を馬鹿にしたり、子供に対してキチンと愛情表現をしていない家庭の子は、情緒が不安定になってしまって、少し心配な子も居ますし、シングルマザーでとても大変そうだけど、お母さんが頑張ってる中でもちゃんと愛情表現をしている家庭の子は彼らの中で紆余曲折ありながらも真っ直ぐに育ってきているようにあくまでも私からは見受けられます。


自分で自分を馬鹿にしている発言をしている友人のお子さんはたまに本気で自分のお母さんを馬鹿にして、友人はそれを本気で怒っています。
でも、原因を作っているのは彼女自身である事に気付いていないので、永遠にその問題は起こり続けています。


確かに学歴がないのかもしれないし、不器用な生き方をしている人なのかもしれませんが、彼女なりに家族が満足してくれるよう、献立を考え、栄養面でも偏らず、かつ満腹になるようにお料理をしたりしながらも、共働きでとても頑張っている友人です。
そんな彼女の何処に馬鹿にする要素があるのでしょう?


私には無いと思うのです。
とても立派にお母さん業をし、妻の役目を果たし、そして仕事までしているのです。
何を馬鹿にする必要があるのでしょう?


でも、彼女は自分で自分を馬鹿にし、旦那さんも彼女を馬鹿にする発言をしょっちゅうしています。


そんな両親に育てられている子供達は当然のことのように自分の母親を馬鹿にしています。


私はそれはとても残念に思います。


せっかく、家族として存在出来たのだから、気が合う合わないは別としてもまだ、小学生に上がるか上がらないかの子供達が自分の母親を馬鹿にするなんて。。。


その積み重ねは段々と親子の間の関係性を捻れさせてしまうように思えてならないのです。


人間は馬鹿にしている人の意見を素直に聞くことができない生き物です。


思春期を迎えた子供達が自分が馬鹿にしている母親から意見されて言うことを聞くでしょうか?


大人になって、母親や父親に感謝の気持ちを持てるでしょうか?


私は何かしらの拍子に持てる機会があったとしても、そういう機会がない限り自動的に感謝できることは、彼らが馬鹿にしている限りないと思います。


そして、親達は口を揃えて
「そんな子に育てた覚えはない」
といいます。
でも、実際は、、、
親御さん達がそういう風に育ってしまう原因の種を蒔いてしまっているのです。
もちろん種なので、どうやって伸びていくのかはお子さんの性格や、周りの環境や、お友達なんかにも影響を受けるとは思います。
それでも、生まれて初めて影響を受ける相手はやっぱり親なのです。
だから、せめて、種まきの際にできるだけ、適度な水と肥料をあげて、スクスクと育っていってくれるように土壌を作るのが親の役目ではないでしょうか?


水や肥料が多すぎても根腐れして枯れてしまいますし、あげなさすぎても枯れてしまいます。
生まれつき丈夫な子もいれば、繊細で弱りやすい子も居ます。


何も「俺は偉いんだ!」「お母さんは素晴らしいんだ!」と宣言して欲しいわけでも威張って欲しいわけでもなく、ただ、誰かを馬鹿にすると子供も馬鹿にしてしまうよ。という事を頭の片隅に置いてできれば子育てを進めて欲しいなと、子供を育てたことはありませんが、見守らせてもらえている立場から見える景色で話してみました。


私の将来の楽しみはお友達のお子さんたちが大きくなって、20歳を超えた頃に美味しいお酒を飲みに連れていくことです(笑)


そんな素敵なことを夢見ながら、大切な友人達の大切な子供達が心も身体も健康な大人になってくれることを願っています。

 

 

愛情表現

【子育てについての個人的な考え方】

私は、流産の経験はありますが、実際に出産・子育てをした経験はありません。


なので、残念ながら、母親の気持ちは分からないのですが、逆の発想で、子供の気持ちは分かります(笑)


私の病気の原因が親との関係性が拗れたというのがあるので、今後子育てをなさる方や、今、まさに子育て中の方なんかに「こうしてくれたらお子さんがメンタル的に病まなくて済むかも?」と思った事を今日は書いてみようかと思います。


私は2人姉妹の長女として生まれました。
珍しく全く人見知りをしない子供だったらしく、母親と出掛けて道を歩いていてもすれ違う人全ての人に挨拶をするほど愛想の良い子供だったようです。


父親は子供はおろか、結婚も本当はあんまりしたくなかった人だったようで、それでも同棲が許されなかった為に、結婚をし、結婚後二年ほどした頃に母親がどうしても子供が欲しいとねだった為に仕方なく作った。というエピソードを父親本人の口から言われたことがあります。


そんな家庭だったので、父親は当然のことながら私には興味を一切持たず、営業という仕事柄、出張やら、接待が多くて幼い頃は本当に家で父親と顔を会わせることが少なかったように思います。


そんな、孤独な子育ての中、母親も辛かったとは思いますが、何せ初めてだらけの経験なのもあったのと、母親の母親、つまり、私の祖母にあたる人も自分自身の子供に対して全く興味がないままに、母親を含む4人兄弟を育てた人だったので、どうやら私の母親は、どうやって子供に興味を示したり、愛情表現をしたら良いのかがさっぱりわからなかったらしく、また、彼女の中で「家族だから言わなくてもわかってくれるだろう」という驕りからその後妹が生まれ、愛情表現の仕方がわかってからも、特に私に対しては愛情表現をほぼしてきませんでした。


確かに家族のように近しい存在の人には何も伝えなくてもその時々の気持ちを空気で察してもらえることはあるかとは思います。
ただ、それは何かしらの社会に入ってからの話であって、母親と子供だけの世界の内からそれをしたらどうでしょうか?


例えば、物凄い海外の森やアマゾンの奥深くの種族の人の村にポツンと1人だけ置いていかれて、「言わなくても体で感じろ!」と言われて、すぐに相手が何を考えているのかわかることが貴方はできますか?


多分その状況で相手の気持ちを察するとしたら、相手の表情から汲み取る以外は何を言われても分からない人が殆どだと思います。


では、その相手が自分に対して一切微笑まなければ、貴方は相手が自分に対して好意的な感情を持っていると思いますか?


私の答えは「No」です。


赤ちゃんや、幼児は、ある程度までは言葉が話せないし通じません。
赤ちゃんが、泣いて何を訴えているのか、お母さんが分からないように、赤ちゃんや幼児はお母さんが何を言って、何を思っているのかわからないのです。
その、お母さんがいつも自分に対して笑いかけてくれることが無かったら、その子供は母親に愛されていると感じられるでしょうか?


もし、永遠にそういう状況しか知らないのであれば、愛されているのかどうか?も分からないくらい、母親が自分に対して笑わない事が普通なんだと思ったまま育つでしょう。


ただ、私には四年後に妹が生まれています。
妹は人見知りがとてつもなく激しく、またとても華奢な体型の子供だった上に食べ物の好き嫌いも恐ろしく多い子供だったので、これは私の推測に過ぎませんが、多分母親の中でこの子は守らないと!!っていうセンサーが反応したのと、2人目で子育ての仕方もある程度までわかってきて、心に余裕が生まれたんだと思うんですよね。
なので、妹は逆に過剰なくらいの母親からの愛を注がれて育ちました。


ここでの問題点はAという選択肢しか無いのであればそこまで問題では無かったのだけど、人生の割と物心付いたくらいから実はBという選択肢もあったが、自分にはその選択肢を選ばせて貰う権利がなく、目の前でBを貰えている人を見てしまった事にあります。


また、月日はずっと流れ続けているので、母親の中の「そんな事言わなくてもわかっているだろう。今更言うのは恥ずかしいし」というような照れも余計に加速して、結局のところ、私は目の前で愛情を注がれまくっている妹を横目にしながら育ってきたのでした。


ただ、ここで問題なのは、その違和感について自分では全く気付いていなかった事でした。
なんとなーーく幼い頃からずっと心の中に謎な埋まらない孤独感があって、急に寂しくなったり、自分の家に居るのに「お家に帰りたい」というような感情に襲われたりしていました。


いま思えばそれがメンタルを病むきっかけであったのだろうと思われます。


その違和感をまた、どうやって解消したら良いのかすら、幼すぎてわからなかったのですね。


そこから思うに、勿論家の中が綺麗だったり、お母さんが作ってくれるご飯が美味しかったり、食べ物に添加物が入っていなくて新鮮で無農薬の野菜だったりは大切だし、一つの愛情表現ではあるとは思います。


でも、それは愛情の変化球であって、子供からすれば残念ながらダイレクトな愛情表現ではないのです。


無添加の食材や豪華なご飯や、素敵なインテリアもさる事ながら何よりも、子供に「大好きだよ」「何があってもお母さん(もしくはお父さん)は貴方の味方だよ」と伝えてあげたり、可能ならばハグをしてあげて下さい。


言葉の通じない海外の人に気持ちを伝える時、ものすごくオーバーに表現しますよね?
自分の中から生まれてきた子供だって、個別の人間な上に、海外の人より日本語はおろか、こちらの、感情も通じにくい相手です。
そんな相手に「分かるように」愛情表現をしてあげて下さい。


部屋が多少汚くとも、ご飯が多少失敗しようと、ちょっとばかり貧乏であろうとお母さんやお父さんがいつもニコニコしていれば、子供はそれだけでだいぶ救われます。


逆に原因の分からない不機嫌な人と出会うと人間は一番最初に「自分が相手に何か悪い事をしてしまっただろうか?」と自分を疑います。
世界が自分の家族と自分だけの狭い狭い世界に生きている子供であれば尚のこと、お母さん(もしくはお父さん)が機嫌が悪いのは自分のせいであろうと、口に出せないままに、ずっと自分を責めてしまい、寂しいとか、甘えたいという感情を、抑えこんでしまう可能性があります。


そういう子供が将来的にどうなるか?というと、ある時急にぶち切れて非行に走ったり、個性的なファッションに走ったり、ピアス開けまくったりするか、もしくはその時期も逃してしまったままに大人になった人は、メンタルを私のように病んでしまい、場合によってはながーーーーーーーーい人生の夏休みを取らざるをえなくなり、夏休みが明けた後に元の生活に戻れなくなってしまう事も多々あります。


どの親御さんもご自身のお子さんを愛する気持ちは持っていて、とにかくご自身のお子さんが可愛いと思っているのは私も存じています。
でも、その親御さんの気持ちがそのままの大きさでお子さんに伝わっているかについて、貴方は自信が持てますか?


察してほしい、わかって欲しいと思うのであれば、まず、相手に自分が今何を思い、何を感じているのか?
そして自分は相手の気持ちや感情を察したり、分かったりできているのか?


何より、自分の愛情はきちんと子供に伝わっているのか?


そして、貴方は自分の愛情を子供に伝える努力をしているのか?


一度それを考えてみて欲しいと、私は思います。


幼い子供の世界では親が絶対で、一点の曇りもなく親を全身全霊で信頼し、万が一親が毒を差し出しても飲みなさいと言われれば素直に飲んでしまうくらい、子供は親を信頼しています。


ある程度の年齢になって、こんなに一点の曇りもなく、純粋に自分を信じてくれる存在ができる事はそうそうありません。
そんな、存在が側にいてくれるというのは自分にとってとてつもない自信に繋がります。
親御さんたちは自分たちが生み育てた子供たちから新たな自信を知らない間に貰えているのです。


せっかく親になれたのだから、この純粋な信頼のお礼に、とにかくご自身の中にある愛情を子供に伝えてあげることだけは、面倒くさがらずにしてあげて下さいね。