あんこ と おはぎ

雑学的なことや日常の悲喜こもごもなど

まんじゅう怖い

【私が思う人見知りとは】

最近、質問箱という匿名で質問できるツールを使い始めた私です。

そこによく投稿される質問の中に

「人見知り」についてが数多く見られて

私は生まれてこの方一度も、本当に子供時代に必ずあるはずの人見知り期間ですら無かった位に人見知りをしないまま育った人間だ。

だが、妹と母は、どちらかと言うと激しい人見知りの人間で、良く言う完全なる「内弁慶」タイプで、内々の間柄にはひょうきんだし、強気な時も全然あるし、楽しい性格だけど、知らない人と会うと全く話さなくなったり、完全に「借りてきた猫」みたいになるタイプの2人が家族に居たので、人見知りの人の苦悩だったり、誤解されてしまったり等の人見知りならではの人間関係での苦労は隣で見ていた私です。

 

で、思ったのは誰しも「恥をかく」のが好きな人間なんて居ないのですが、人見知りの人はそれを極端に怖がるのと、多分相手から見ればなんて事ない事でも本人からすると顔から火が出るほど恥ずかしかったりして、その恥ずかしい記憶がずっと人見知りの人の中に残ってしまっていて、新たな人間関係を築く時に緊張しすぎて、思った様に話せなくて、結果として相手から人間的な内面を誤解されてしまったり、その後人間関係として縁が続かなくなってしまうという残念な事になってしまう事もあります。

 

でも「人見知り」自体は私はそこまで悪いものだとは思っていなくて、裏を返せば「人間関係を築来たい人の内面をよくよく見てから関係を構築する」わけで、実際私には何故だか「人見知り」のお友達が数多くいますが、彼らは一度お友達になると「お友達になるまでの過程」で

私の内面を彼等なりにかなり観察してから信頼してお友達になってくれるので、そうそう簡単に縁が切れたりせず、長ーーーくお友達関係が続くことの方が圧倒的に多いです。

 

激しい人見知りの妹は実質的なお友達は1人だけですが、そのお友達とは10代の頃に会った人で20年経った今でもその人とは良いお友達で居るそうです。

私はと言えば、どんなに見た目が強面の人でも、その方の瞳の表情が余程ヤバい感じの人(勿論明らかにおかしげな人は除く)出ない限りは

「怖い」と思う事が先ず無いので、最初にその人の口から(もしくはその人の脳みそを経由して出た言葉としての文字)でた言葉で、その方の人柄を鑑みるので、見た目だけで相手の事を判断する事が殆どなく、怖がるって事もないのが私の特徴らしいので、有難いことに様々なジャンルに生きる色んなお友達との繋がりが色として薄かろうが濃かろうが、ご縁として繋がっております。

私は要は最初に「その人の色は何色なんだろう?」ってその方と接してみて、その人の色を知ってからその後もその人と繋がって行きたいのか?

もしくは、程々の距離感で薄くても繋がってるのか?

もしくは、決定的に自分とは合わないので、縁を自ら繋がないのか?

を考えて進めて行くタイプです。

 

まんじゅう怖いのお坊さんの様に

「怖い、怖い」と言いつつも、多分食べたら美味しいみたいに人見知りの人達というのは本当は人間にとても興味があるけど、昔に嫌な思いをした記憶が色濃く残っていて、その記憶の呪縛から解き放たれずに、次の1歩を踏み出すのが怖かったり「相手が不快に感じたら?」とか「恥をかいたらどうしよう?」とかの方の不安の方が大きくて、ご自身から行動に移せないまま、繋がりたい人と繋がれてないだけなのではないだろうか?と私個人としては人見知りの人と仲良くなる度に感じる事です。

 

私はいつでも、先に自分の全部をさらけ出して「はい、どーぞー」「私はこんなでーす」「こんなで良ければお友達になりますかー?」というタイプ笑

そのスタイルと、外見と話し方は謎に人見知りの方の人見知りガードを割と早く解除してくれるらしくて、色んな素敵な人とお友達になれています。

人見知りの方で、それに悩んでらっしゃる方の役に立つか?は不明ですが、私なりに思う「人見知り」については、こんな感じです。

 

いつか、何処かでお会いする人見知りの方がもしかしたら、この記事を読んで、少しでも初めの1歩を踏み出せるキッカケになってくだされば幸いです。